じじぃの「人の死にざま_1587_ビュフォン(博物学者)」

Comte de Buffon - Breve Historico 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2IEdKhx0ctA
ワンちゃん

ネコちゃん

俺が犬に嫌悪する理由がわかりました。 2011/11/21 Yahoo!知恵袋
回答
媚びを売るねーー、好きだという感情を出す事はそんなに悪い事?
人間より素直なだけだよ思いますが…
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1175917071
ジョルジュ=ルイ・ルクレール・ド・ビュフォン ウィキペディアWikipedia) より
ビュフォン伯ジョルジュ=ルイ・ルクレール(Georges-Louis Leclerc, Comte de Buffon 、1707年9月7日 - 1788年4月16日)は、フランスの博物学者、数学者、植物学者である。
ビュフォンはモンバールのコート・ドールに生まれた。父親はディジョンとモンバールの領主であった。
彼ははじめ数学の分野で有名になり、確率論の分野に、微分積分の概念を導入した。スイスの数学者ガブリエル・クラメールと手紙のやり取りをした。モンテカルロ法のルーツとなった「ビュフォンの針」の問題で知られる。

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『動物に魂はあるのか 生命を見つめる哲学』 金森修/著 中公新書 2012年発行
ビュフォン――思考と反省能力の欠如 (一部抜粋しています)
ビュフォン伯爵は18世紀最大の博物学者の一人であり、『一般と個別の博物誌』は1749年から公刊され始め、生前に36巻が出された。そして死後も続巻が弟子筋の人々によって出版され続け、その最終巻は1804年に出された(全体で44巻)。浩瀚な書物であるにもかかわらず、同時代、直ちに大きな成功を収め、一般社会に博物学を浸透させるのに多大な貢献をした。『博物誌』は、単に、動植物の総覧だけではなく、太陽系の起源の推定、地球の形成論、鉱物論なども含んでいる。
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動物の場合、外的感覚はもちろん、その内的感覚も純粋に器官の力学がもたらすものであり、純粋に物質的な感覚なのだ。思考と認識に最も関係する感覚は触覚だが、人間の感覚は動物のそれよりも優れている。他方、本能や食欲に最も関係する感覚は嗅覚であり、それは動物の方が優れている。言葉の存在のせいで聴覚は人間にとって重要である。他方、味覚は内的な嗅覚のようなもので、恐らく動物の方が優れているだろう。
動物は食欲によってしか動かされず、人間はより高次の原理によって動かされる。動物が食欲だけに依拠しながらも、人間が認識によって行うことに類似する、多様なことができるのは不思議だと思うかもしれない。しかし物質的な内的感覚は脳の中で保存的な震動を与えるので、究極的には食欲起源の欲望・震動だけで動物のこういは説明可能なのだ。例えば視覚や触覚は、単独では比較的すぐに動物の脳で消尽されてしまう。しかしそれらが何度も繰り返され、しかも肉の色や主人の声などが、肉という食欲の対象となんらかの形で繋がる震動になる時、肉という対象は動物、例えば犬に、より明確に認識されるに至る。
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ビュフォンの犬と猫についての評言に少しだけ触れておく。特にそれぞれの冒頭部分が一般的導入として私の注意を引く。項目「犬」では、、形の優美さや身体の力強さなどは外的特徴として美しいが、人間でも外見よりも精神を重視するように、動物の中で最も優れた部分はその内的性質だという判断から、ビュフォンは筆を起こしている。動物の完全性はその感情の完全性による。犬は外見も美しいが、なんといってもその内的性質が素晴らしい。生来的には恐らく獰猛なのだろうが、主人に仕える犬は従順で賢い。思考の光をもつことはなくとも、感情のあらゆる熱をもっている。犬が存在しなければ、人間は他の動物をどうやって征服しえただろう、とビュフォンは感慨深げに語る。総じて、犬に対して彼は次々と賛辞を積み重ねるのだ。
それは項目「猫」での記載と対比される時、一層興味深さを増す。「猫」の冒頭部分には、こう書かれている。猫は、仕方なく飼っている不実な家畜だ。まだ幼い頃にはそれなりの親切さを備えているが、猫は本能的に悪意をもち、偽りの性質、歪んだ自然をもっている。それは年と共にますます酷くなり、教育してもただ隠されるだけだ。決然とした盗人だが、教育されるとより柔軟になり、詐欺師のように諂(へつら)いをする。