じじぃの「人の死にざま_1524_エミリー・デイビソン(女性運動家)」

Emily Davison Throws Herself Under The Kings Horse (1913) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kVPTXmesMpo
エプソム競馬場で馬と激突した瞬間 デイビソン

エミリー・デイビソンとダービー競馬の死 Yukihisa Fujita Mystery World
大きな影響を与えた英国の女性参政権運動家エミリー・デイビソンは、1872年南東ロンドンで生まれました。
彼女は成績優秀で、学校を終えた時ロイヤル・ホロウェイ・カレッジで文学を学ぶ奨学金を獲得します。しかし、彼女のカレッジ生活は短期間で終わります。父が亡くなり、母親が授業料を払うことができなくなったのです。エミリーは、先生になり、ロンドン大学で学業を終えるに必要なお金をためます。学士号を取得して卒業します。彼女は、後にオックスフォードのセント・ヒューズ・カレッジに1学期の間席を置きます。
http://blogs.yahoo.co.jp/yfujita_mystery/28019518.html
『世界を変えた100日 - 写真がとらえた歴史の瞬間』 ニック・ヤップ/著、村田綾子/訳 ナショナルジオグラフィック社 2008年発行
1913年6月8日 ある女性運動家の抗議死 (一部抜粋しています)
エミリー・デイビソンは1872年、英国ビクトリア朝時代の中流階級の家庭に生まれた。オクスフォード大学に入学したが、当時は女性に学位は与えられなかった。これが、デイビソンが政治活動に足を踏み入れる遠因となったのかもしれない。1906年、彼女は「婦人社会政治同盟」に加盟し、女性の選挙権を訴えた。
それから6年のあいだに、デイビソンは数度逮捕されている。器物損壊と女性の参政権に反対しているとみた人びとへの傷害罪だ。ハンストをおこない、ロンドンの刑務所にいるときは、階段から9メートル下の針金格子に身を投げ、背骨に一生残る損傷を負っている。
1913年の夏のある日、デイビソンは鉄道の往復乗車券を買い、民衆にとっても王室にとっても一大イベントである、競馬のダービーがおこなわれるエプソム競馬場へ向かった。婦人参政権を訴える旅を携えたデイビソンは、最後の直線に入る手前のカーブに陣取る。馬がカーブにさしかかったとき、デイビソンは国王ジョージ5世の持ち馬の前に飛び出した。馬はデイビソンを地面に打ち倒し、さらに後続の馬が彼女の体を踏みつけた。
デイビソンは病院に運ばれ、4日後に頭蓋骨骨折で死亡した。多くの人は、情緒不安定で過酷な活動家の衝動的行動として片づけようとした。しかしデイビソンの死の抗議は、女性の権利を訴えてきた人々の決意をかため、新たな活動家を生んだ。5年後、ついに女性参政権が認められた。