じじぃの「落馬が原因で死んだ有名人・クリストファー・リーブ!知らないほうが幸せ」

A Tribute to Superman 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=qbHi1aGzTYs&feature=related
Emily Davison Throws Herself Under The Kings Horse (1913) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kVPTXmesMpo
クリストファー・リーブ

車椅子のヒーロー―あの名俳優クリストファー・リーブが綴る「障害」との闘い Amazon.co.jp
あの名俳優クリストファー・リーブが綴る「障害」との闘い: クリストファー リーブ/著、布施由紀子/訳
映画『スーパーマン』で主役を務めながら、落馬事故で全身麻痺となった米映画俳優クリストファー・リーブ
車椅子から離れられず、自力では呼吸も満足にできない生活となるため、一時は死も考えた。しかし、「あなたはあなたのままだもの。わたしはあなたを愛しているわ」という妻の励ましに支えられ、「障害」との闘いに挑む―。本書は、絶望の淵から、みごとに復活を遂げるまでを描いた感動の手記。

                          • -

地球ドラマチック 「ツタンカーメンの謎〜死の真相に迫る〜」 2015年3月14日 NHK Eテレ
【語り】渡辺徹 (2014年 イギリス・カナダ製作)
黄金のマスクで知られるツタンカーメン。幼くして即位し、19歳くらいで亡くなったとされる。
●死をもたらした病気とは?
 ホルモンのバランスを崩し、時に強烈な幻覚を引き起こし、ツタンカーメンの足の骨折とも何らかの関連がある病は側頭葉てんかんてんかんは脳に影響を及ぼし幻覚を引き起こしたり、ホルモンの生成を阻害したりします。さらに発作が思いがけない事故につながることもあります。左ひざの骨折は突然の発作で倒れた時に起きたものかもしれません。つまり、てんかんそのものが死因ではなく発作のさいの事故が命取りになったのです。発作のさいに転倒して骨折し、出血や感染症などに見舞われそれが元で亡くなったと考えられるのです。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/183/2340388/index.html
『根っからの文系のためのシンプル数学発想術』 永野裕之/著 技術評論社 2013年発行
科学史に大きな足跡を残した「数学的」な分類 より
メンデレーエフは元素を原子量順に整理することで元素の周期性を発見しましたが、それがなぜかは分かっていませんでした。この謎を解いたのは、1887年生まれのヘンリー・モーズリーというイギリスの若き科学者です。彼は特性X線原子番号(原子量の順に付けられた番号)の関係を調べることを通して、原子番号とはすなわち原子核のプラスの電荷の数(陽子の数)であるという結論に達しました。モーズリーはこれにより元素の周期性を説明しただけでなく未発見の元素の予言もピタリと的中させました。
ここから先は余談ですが、この若き天才は27歳の若さで不幸にも第一次世界大戦中に戦死してしまいます。モーズリーの研究は、当然ノーベル賞に値するものでした。しかし自然科学関連のノーベル賞には「存命中の人だけを対象にする」という規定があったために、モーズリーは確実と言われた受賞を戦死によって逃し、彼の名前は歴史の波の中に埋もれてしまったのです。

                          • -

『世界を変えた100日 - 写真がとらえた歴史の瞬間』 ニック・ヤップ/著、村田綾子/訳 ナショナルジオグラフィック社 2008年発行
1913年6月8日 ある女性運動家の抗議死 より
エミリー・デイビソンは1872年、英国ビクトリア朝時代の中流階級の家庭に生まれた。オクスフォード大学に入学したが、当時は女性に学位は与えられなかった。これが、デイビソンが政治活動に足を踏み入れる遠因となったのかもしれない。1906年、彼女は「婦人社会政治同盟」に加盟し、女性の選挙権を訴えた。
1913年の夏のある日、デイビソンは鉄道の往復乗車券を買い、民衆にとっても王室にとっても一大イベントである、競馬のダービーがおこなわれるエプソム競馬場へ向かった。婦人参政権を訴える旅を携えたデイビソンは、最後の直線に入る手前のカーブに陣取る。馬がカーブにさしかかったとき、デイビソンは国王ジョージ5世の持ち馬の前に飛び出した。馬はデイビソンを地面に打ち倒し、さらに後続の馬が彼女の体を踏みつけた。
デイビソンは病院に運ばれ、4日後に頭蓋骨骨折で死亡した。

                          • -

『知らないほうが幸せでした。』 博学こだわり倶楽部/編 KAWADE夢文庫 2014年発行
馬を駆使して大帝国を築いたチンギス・ハンは落馬が原因で死んでいた。
チンギス・ハンといえば、13世紀に初頭に広大なモンゴル帝国を築いたことで知られる。馬に乗って精力的に活躍した覇者だが、その最後はなんともあっけなかった。
1226年、西夏(せいか)に向かって軍を進めているとき、現在の甘粛(カンスー)省清水県のあたりで狩猟を行なった。その狩猟の最中に落馬し、その傷が悪化して死亡したのである。弓騎兵を擁し、みずからも馬に乗りなれていたはずなのに、死因が戦いによるものではなく落馬だったのは皮肉な話だ。

                        • -

どうでもいい、じじぃの日記。
ぼけっと、『知らないほうが幸せでした。』という本を見ていたら、「馬を駆使して大帝国を築いたチンギス・ハンは落馬が原因で死んでいた。」があった。
そういえば、映画『スーパーマン』の主役クリストファー・リーブが落馬事故で全身麻痺となり死亡してから10年になる。52歳で亡くなった。
先日、NHK Eテレ地球ドラマチック』で「ツタンカーメンの謎〜死の真相に迫る〜」を観た。
ツタンカーメンX線写真により新たな真実が分かった。ツタンカーメンは足を骨折していたが、落馬か、馬車で移動中に事故にあった。その原因はてんかんの発作ではないかと考えられている。19歳で死亡した。
落馬事故ではないが、競馬場で死の抗議をした女性運動家がいる。
1913年6月4日に英国・エプソム競馬場で開催されたダービーで飛び出し、馬とぶつかり重傷を負い、41歳で亡くなったエミリー・デイビソン。彼女の死の抗議は、そのあとの5年後の英国で女性参政権が認められた。
落馬事故ではないが、ひょんなことで若くして亡くなった有名人がいる。
ヘンリー・モーズリー。元素の周期表といえばメンデレーエフを思い浮かべるが、実際に元素の周期性を説明したのはモーズリーだった。彼は第一次世界大戦中に、27歳の若さで戦死してしまった。
あと、ずっと生きていたら御年2015歳? 33歳で亡くなられた方。よく分からないがすごい人。