Celebrating 100 years: Roald Amundsen's South Pole Expedition 1911 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kW5p7ANwAU4
ロアル・アムンセン
ロアル・アムンセン ウィキペディア(Wikipedia)より
ロアル・アムンセン(Roald Engelbregt Gravning Amundsen)は、ノルウェーの探検家。
主に極地に挑んだ探検家として知られる。イギリス海軍大佐のロバート・スコットと人類初の南極点到達を競い、1911年12月14日には探検隊を率いて人類史上初めて南極点への到達に成功。また、1926年には飛行船で北極点へ到達し、同行者のオスカー・ウィスチングと共に人類史上初めて両極点への到達を果たした人物となった。
【その後】
帰還後もドルニエ・ワール飛行艇や飛行船ノルゲ号による北極点通過を行い、人類初の両極点到達など精力的に活動した。1927年には報知新聞の招待で来日している。
1928年、北極を飛行機で探検中に近くで遭難した、飛行船イタリア号によるイタリア探検隊のノビレ隊の捜索にラタム 47で赴き、行方不明となる。
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『世界を変えた100日 - 写真がとらえた歴史の瞬間』 ニック・ヤップ/著、村田綾子/訳 ナショナルジオグラフィック社 2008年発行
1911年12月14日 南極点、初到達 (一部抜粋しています)
ノルウェーのロアル・アムンセン(1872〜1928)は世界中の誰より徹底した職業探検家だった。彼の頭のなかには、次に向かう旅の詳細がひとつ残らずつめこまれていた。1911年、彼の頭を占めていたのは地球でもっとも危険な旅だった。英国の探検家ロバート・フアルコン・スコットと、南極点へのいちばん乗りを競うことになっていたのだ。このレースのためにアムンセンはブーツをデザインし、スキーを選び、犬を手配し、ルートと食糧を貯蔵する”デポ”の位置を決め、無駄をそぎ落とした準備を整えた。さらに支援チームを作り、往復ルート上のデポに事前に必需品を配置した。これは、米国の探検家ロバート・E・ピアリが編み出した方法だ。
アムンセンのライバル、大英帝国海軍のスコット大佐(1868〜1912)は、自他ともに認めるアマチュアで、極地経験はつんでいたが、スキーを使わず、犬の価値を認めず、有用性の実証のないガソリン燃料の動力そりを妄信した。アムンセンはこう言っている。「勝利は完璧な準備と共にある。人はこれを幸運と呼ぶ。準備を怠れば必ず敗北が訪れる。これは不運と呼ばれる」
1911年10月、両探検隊がそれぞれのベースキャンプから出発。アムンセンはスコットより160キロほど南極点に近かった。彼は極点到達隊のメンバーを数ヵ月前から決めていたが、スコットは、ぎりぎりで極点隊を4人から5人に増やした。12月14日、アムンセンは南極点に到達した。スコットは580キロも離れた場所にいた。アムンセンは勝利とともに帰還し、スコット隊は壮絶な死を遂げた。アマチュアの熱意の敗北だ。以後の探検隊は、アムンセンのスタイルを採り入れることになる。