WHO IS JEZEBEL? 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=6XRTMGuUm5A&spfreload=10
バアル像
バアル ウィキペディア(Wikipedia)より
バアル(聖書ヘブライ語(英語版): ba‘alu)は、カナン地域を中心に各所で崇められた嵐と慈雨の神。その名はセム語で「主」を意味する。バールや、バビロニア式発音のベール、およびベルとも表記される。
本来、カナン人の高位の神だったが、その信仰は周辺に広まり、旧約聖書の列王記下などにもその名がある。また、ヒクソスによるエジプト第15王朝・エジプト第16王朝ではエジプト神話にも取り入れられ同じ嵐の神のセトと同一視された。フェニキアやその植民地カルタゴの最高神バアル・ハンモンをモレクと結びつける説もある。さらにギリシアでもバアルの名で崇められた。足を前後に開き右手を挙げている独特のポーズで表されることが多い。
イゼベル ウィキペディア(Wikipedia)より
イゼベル(英語: Jezebel)は、旧約聖書の列王記に登場する古代イスラエルの王妃。イザベル、ジザベルとも表記される。
新約聖書『ヨハネの黙示録』のなかでは、イゼベルの名はある教会のなかの「淫婦」、教会への敵対者として現れる。これが実在の人物に相当するのか、キリスト教への敵対者の象徴なのかはさだかではない。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
『聖書に見る人間の罪―暗黒に光を求めて』 三浦綾子/著 光文社文庫 1986年発行
残虐な悪女たち (一部抜粋しています)
聖書にもいろいろな悪女が登場する。小説「サロメ」で有名な王妃ヘロデヤは、義人バプテスマのヨハネの首を、祝宴の場で余興に斬らせた。だが、旧約聖書に出てくる悪玉アハブの妻イゼベルと、そのイゼベルの娘アタリヤの母子ほど、残虐な権力者はちょっと見当たらないのではないだろうか。
時はソロモンの死後、約50年頃のことである。栄華を誇ったソロモンが死んで間もなく、イスラエル王国は2つに分裂した。即ち南朝ユダと北朝イスラエルである。南朝がダビデの家系であった。
まず北朝イスラエルのアハブ王に嫁いだイゼベルから話を起こす。このイゼベルについては、私の著書『旧約聖書入門』にもふれているが、今また少しく言及してみたい。イゼベルはフェニキアの祭司の娘であった。フェニキアはイスラエルの北方にある隣国で、その宗教はバアル神信仰であった。唯一神を信じるイスラエルとは全くちがった宗教であった。
こう書くと、宗教は個人の自由である。浄土真宗の人が日蓮宗のところに嫁ぐことも、無神教の人がクリスチャンと結婚することも、よくあることではないか、と人は言うかもしれない。だがこのバアル神をイゼベルは、自分のみではなく、夫のアハブ王にも、国民にも強制したのである。バアル神信仰も1つの宗教なのだから、熱心に伝道したのであろうくらいに、私は初め思っていた。が、私はバアル神信仰の実態を全く知らなかったのだ。
『新聖書大辞典』によれば、バアルは肥沃神であり、所有者を意味するという。バアルは植物の生成を司る神として崇められ、豊饒を約束する神と信じられた。問題はその信仰のあり方である。農産物の豊饒は、バアルとその配偶神であるアシタロテとの性交による結果だと考えられた。雨と植物はバアルの支配下にあると信じられ、その雨が土と交わり合う時に、神秘的な肥沃の業が行われると考えられた。そして、バアルを代表する男子と、配偶神を代表する女子との性交が、神殿における儀式に組みこまれていたわけである。
聖書にはしばしば「神殿娼婦」「神殿男娼」の語が出てくる。私はそれを単に参詣人を客とする娼婦であり、男娼であると思っていた。むろんそうした娼婦、男娼もあったであろうが、まさか宗教儀式の中において、性交が営まれるとは、今の今まで夢にも思わなかった。鈴木サチ子氏著『旧約聖書のはなし』には、このバアル信仰について、
<その強調するところは、道徳や善ではなくて、豊饒とセックスでありました。したがって、肉欲の崇拝が神への信仰とみなされ、神殿娼婦および男娼は宗教に属する神聖な階級とされて、その売淫収入は、神への奉納金として神殿の金庫に納められるといったありさまでした>
と書かれている。
言ってみれば現代のヌード劇場におけるまないたショーのごときものであったろうか。何とも大変な宗教である。
・
アハブ王の死後、8年を経て政変があった。アハブ王の息子ヨラム王と、それに属するすべての者が殺され、イゼベルもまた反逆の部下に、城の高窓から投げ落とされて死んだ。人々が彼女を葬ろうとして彼女の傍に寄った時、既に野犬に食い荒らされて、頭蓋骨と足と掌としか残っていなかった。これまたエリアの預言、<犬がエズレルの地域でイゼベルを食うであろう>(列王紀上第21章23節)どうりの最後であった。
この悪玉アハブと毒婦イゼベルの娘にアタリヤがいた。アタリヤは北朝から、南朝ユダに嫁いだ。夫は南朝ユダのヨラムであった(北朝のヨラムと同名だが別人)。夫ヨラムが死に、息子アハジャが王となった。そのアハジャも若くして死んだ。当然アハジャの息子の1人が王位を継ぐべきであった。
だがアタリヤは、やはりイゼベルの娘であった。イゼベルに勝るとも劣らぬ残虐な女であった。アタリヤは母と同じく、バアル神を信仰する者であった。しかし南朝はダビデ王の家系である。唯一神を信ずる者が多く、バアルに身を屈(かが)めぬ者が少なからずいた。ここでアタリヤは、ダビデの血縁を根絶しようと図ったのである。自分の夫の7人の弟とその家族はもとより、息子アハジャの子供即ち自分の孫まで、皆殺しを図った。
こうして、自分の地位の確保を図り、息子アハジャの死後、アタリヤは自ら女王の座についたのである。これはイスラエルの唯一神への信仰の絶滅を図る、恐るべき所業であった。イゼベルもイスラエルの祭司や預言者たちを迫害殺戮したが、自分の孫まで殺したアタリヤの残虐さは、母イゼベルの上をゆくと言うべきだろう。
だがこの時、孫の1人ヨワシが、その叔母の手によって、かくまわれていたことをアタリヤは知らなかった。女王となったアタリヤは父アハブと母イゼベルが北朝に行なった政策を、ひたすら南朝に取り入れた。かくて6年の年月が過ぎた。かくまわれて育っていた幼子ヨワシは7歳になった。女王アタリヤの圧制が、国民の不満を次第に大きくしていった。7歳のヨワシを擁立する計画がひそかに練られ、機が熟して、遂に女王アタリヤへの反乱が起きた。この時国民は、喜びのラッパを吹き鳴らした。アタリヤは「反逆」だと叫んだが、誰一人彼女のために戦う者はなかった。アタリヤは宮の外に曳き出されて、呆気なく殺された。