じじぃの「人の死にざま_1505_アル・カポネ(ギャング)」

The Untouchables Trailer 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=xIF_WdPUBFo
アル・カポネ

アル・カポネ ウィキペディアWikipedia)より
アル・カポネ(英語: Al Capone、1899年1月17日 - 1947年1月25日)は、アメリカのギャング。
禁酒法時代に、シカゴで高級ホテルを住まい兼事務所にしてそこから組織を指揮し、密造酒製造・販売、売春業、賭博業をして組織を拡大し、犯罪組織を統合近代化していったことで知られている。
身長は179cmで、当時としては大柄であった。顔に傷があったことで「スカーフェイス」というニックネームがあった。しかし、本人はこの呼び名を嫌っていたため、本人の前で呼ぶ者はいなかった。英語の発音では「カポーン」が近い。
【映画・テレビ】
アル・カポネをモデルにした映画やテレビドラマは数多く作られ、今も歴史上最も有名なギャングとして語り伝えられている。エドワード・G・ロビンソン主演の『犯罪王リコ(英語版)』はアル・カポネをモデルにした映画であり、ポール・ムニ主演の『暗黒街の顔役』も同様で、アル・パチーノ主演の『スカーフェイス』はそのリメイク版。
1957年に酒類取締局(現アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局)捜査官エリオット・ネスの活躍を描いて発行された『The Untouchables』は、1950年代後半に『アンタッチャブル』としてTVドラマ化され人気を博したが、内容のほとんどはドラマシリーズ用のフィクションである。描かれているネスやカポネの人物像には、現実との乖離が指摘されている。

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『誰も書かなかった 世界史「その後」の謎』 雑学総研 中経の文庫 2014年発行
「暗黒街のボス」アル・カポネとエリオット・ネスのその後 (一部抜粋しています)
禁酒法時代のアメリカにおいて密造酒の製造と販売を一手に引き受け、一大帝国を築いたアル・カポネ
彼が手掛けたのは密造酒の製造・販売のほか、売春、恐喝、賭博と多岐にわたり、「シカゴの暗黒街のボス」との異名を持った。彼はバーで働いていたときに顔に傷を負ったことから「スカーフェイス」(「向こう傷」の意味)というあだ名を持っていたが、彼自身がこの名前を非常に嫌っていたため彼の前で呼ぶ者はいなかった。
彼が加担した抗争事件でもっとも有名なのがのちに「聖ヴァレンタイン・デーの虐殺」と呼ばれるもので、1929年2月14日、6人のギャングと、たまたまそこに居合わせた1人の眼鏡屋を一気にマシンガンで撃ち殺したのである。
そして、この事件によって政府に本格的に取り締まられることになったカポネは、1931年、「所得税法違反の脱税容疑」という名目でようやく逮捕されることになった。
この辺りの話については、ブライアン・デ・パルマ監督の映画『アンタッチャブル』(1987年)でもあつかわれたエピソードである。ちなみに、このときカポネを演じたのはロバート・デ・ニーロで、彼はカポネに顔を似せるため額の毛を剃り上げ、顔自体を太らせた。
さて、このあとアル・カポネはいったいどうなったのだろうか。
逮捕されたカポネは、サンフランシスコ湾内に浮かぶアルカトラズ刑務所に収監された。裁判によって11年間の禁固刑を言い渡されていたが、模範囚だったため7年で仮釈放され、1939年に出所。その後はフロリダの別荘に住んだが、収監中に梅毒に冒されたようで、出所直後にはすでにかつての彼の勇ましい姿は失われたともいわれる。
1947年1月25日、ついに伝説のギャング、アル・カポネは死んだ(享年48)。この日は土曜日だったため、彼の死は翌日の新聞(日曜版)において大きく報じられることになった。ニューヨーク・タイムズ紙はカポネの死を「悪魔の終わり」と伝えていた。
なお、カポネを逮捕にまで追い詰めた禁酒取締官エリオット・ネスはその後名声をえたが、晩年は酒浸りとなり、1万ドルを超える額の借金を抱えるまでに転落していた。そして、1957年秋に自身の禁酒法捜査官時代の体験談をベースにした『アンタッチャブル』の出版が控えていたが、同年5月、スコッチのソーダ割りをつくっている最中、キッチンにて心臓発作により亡くなった(享年55)。