じじぃの「人の生きざま_477_リチャード・ギア」

HACHI 約束の犬 (Hachi: A Dog's Tale) trailer 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JSPkf7Crwug
映画「HACHI」 リチャード・ギア

リチャード・ギア ウィキペディアWikipedia)より
リチャード・ティファニー・ギア(Richard Tiffany Gere, 1949年8月31日 - )は、アメリカ合衆国の俳優。ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。アイルランド系。
【日本との関わり】
日本好きとしても知られ、度々来日している。日本国首相(当時)の小泉純一郎と顔が似ていると報道され、ギア本人もそれを認めた。また、2005年に来日した際には、小泉首相(当時)を表敬訪問し、主演した映画にちなんで一緒にダンスを踊るというパフォーマンスを見せた。
2009年7月9日、『HACHI 約束の犬』の宣伝活動での来日中に、『森田一義アワー 笑っていいとも!』のコーナー「テレフォンショッキング」に、字幕翻訳者で通訳の戸田奈津子とともに出演、番組史上初のハリウッドスターのテレフォンゲストとなった(ただし、メインゲストは戸田であり、ギアはあくまで「付き添い」の立場である)。その際100人アンケートで「飼い犬の名前がハチ」というお題で1人を当て、その1人の女性をステージに上げストラップをプレゼントするなどした。 愛犬家であり、『HACHI 約束の犬』のシナリオを読んで涙している。なお、ハチの物語はこの時初めて知った。

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『字幕の中に人生』 戸田奈津子/著 白水社 1994年発行
ユーモア感覚と差別意識 (一部抜粋しています)
映画は作品ごとに字幕翻訳者を悩ませるネックがあって、必ずしもこのジャンルはやりやすいとか、やりにくいとか決められるものではない。しかしそのなかで、コメディーはなべて難物である、という大ざっぱな言い方には全員が同意すると思う。
日本人が生真面目でユーモアを解さないのは、いまさら耳新しいことではないが、それにしても日本の映画や芝居には、軽妙なせりふのやりとりで客を笑わせてゆくというタイプのコメディーは、昔から現在にいたるまで皆無である。ユーモアが苦手という日本人の弱点を率直に物語る一つのデータだ。
テレビのお笑い番組などを観ていると、日本人のジョークは揚げ足とりと駄ジャレが主流で、受け身で聞いていれば笑えるというたぐいものが多い。
あちらのジョークは受け身では笑えない。頭脳を鋭く働かせて言葉の裏を読み、ジョークのオチを謎解きの心構えで理解しなければならない。それを歴史のもつ文化のなかで生まれ育っているのだから、生真面目一本のわれわれが、一朝一夕で身につけられるセンスではなさそうだ。
たった一晩浮気したために、相手の女につきまとわれ散々な目に遭うという『危険な情事』で、日本で記者会見を開いた主演のマイケル・ダグラスは「あなた自身は浮気が怖くなりましたか」という質問を受けた。即座に返ってきた彼の答えは、
”Yes, I'll keep my legs crossed from now on.”(ええ。これからは脚を組もっぱなしにしていようと思います)というもので、翌日のスポーツ紙は、それをこう伝えていた。
「『今後、浮気の虫が騒いだときには、脚を組んでよく考える』と彼は答えた」
言葉の裏を読もうとした努力は買うが、なんという真面目な読み方!
リチャード・ギアが日本での体験を、こう友人に話しているのを聞いたこともある。
「日本のジャーナリストは真面目なんだよ。冗談をいっても少しも笑わずにメモをとっているから、『今のはジョークです』と付け加えたんだ。そうしたら『なるほど』と真面目にうなずいて、それをまたメモってた!」
諧謔精神が欠如しているだけではない。笑いは知識の下敷きを必要とする。涙をさそう要素は「死」にしろ「別れ」にしろ、国境を越えて人間であればだれでもわかる。しかし笑いはそうはいかない。人種、言語、風俗、習慣、その他もろもろの条件が作用して、同じジョークが通じたり、通じなかったりする。