陶淵明「飲酒二十首」(その五)を読む 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=gpRBYiIusTw
帰去来辞 陶淵明 漢詩の朗読
「帰去来の辞」は、陶淵明が41歳の時、いよいよ役人生活がイヤになって田舎に引きこもる、 その時の気持ちを歌ったものです。
飲酒 酒を飲む
結盧在人境 盧を結んで人境にあり
而無車馬喧 而も車馬の喧(かまびす)しき無し
問君何能爾 君に問う何ぞ能く爾ると
心遠地自偏 心遠ければ地自ずから偏なり
采菊東籬下 菊を采る東籬の下
悠然見南山 悠然として南山を見る
山気日夕佳 山気 日夕に佳く
飛鳥相与還 飛鳥 相与(とも)に還る
此中有真意 此中に真意あり
欲弁已忘言 弁ぜんと欲して已に言を忘る
http://kanshi.roudokus.com/kikyorai.html
陶淵明 ウィキペディア(Wikipedia)より
陶 淵明(とう えんめい、365年(興寧3年) - 427年(元嘉3年)11月)は、中国の魏晋南北朝時代(六朝期)、東晋末から南朝宋の文学者。字は元亮。または名は潜、字は淵明。
死後友人からの諡にちなみ「靖節先生」、または自伝的作品「五柳先生伝」から「五柳先生」とも呼ばれる。潯陽柴桑(現江西省九江市)の人。郷里の田園に隠遁後、自ら農作業に従事しつつ、日常生活に即した詩文を多く残し、後世「隠逸詩人」「田園詩人」と呼ばれる。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
同時にわかる! 日本・中国・朝鮮の歴史 小口彦太/著 PHP文庫 2012年発行
王羲之、阮籍、達磨大師……。南北朝の粋人、達人たち (一部抜粋しています)
魏晋南北朝の南朝は、呉、晋(東晋)、宋、斉、梁、陳と6つの王朝が続いたので、六朝とも呼ばれる。この時代は、強力な統一王朝がないので世界史の授業ではサラッと流されるが、六朝には後世まで語り草となっている人物が多い。
中国で古今ナンバーワンの書家と呼ばれる晋の王羲之は、4世紀中ごろの人だ。ただし、その達筆ぶりは模写しか残っていない。なんと、唐の太宗皇帝が王羲之の作品をいたく気に入って独占し、自分の墓に入れてしまったからだ。
・
魏晋南北朝時代には、高い教養を持ちながら、あえて政治や世俗の争いから身を引いた世捨て人も多い。
阮籍ら「竹林の七賢」は、魏から晋にかけての時代、エリートながら立身出世に背を向け、仲間と竹林で老子や荘子などについて語る哲学談義に講じた。
晋の時代では、詩人の陶淵明が名高い。こちらは質素な田舎ぐらしを好んだ酒好きの風流人だった。
当時は、シルクロードを越えた西域から仏教の僧侶も多く訪れている。その代表格が、選挙事務所などでおなじみのダルマさんのモデルとなった達磨大師だろう。禅宗の祖といわれる達磨は、もとはインドの王子でありながら南朝の梁にわたり、嵩山の少林寺で9年間も座禅したという。
世俗を脱した彼らの姿は、まさに大昔に流行した「ヒッピー」。自由で、自然を愛した生き方の元祖である。