じじぃの「人の死にざま_1407_ケネス・リング」

NEAR DEATH EXPERIENCE & WHAT HEAVEN LOOKS LIKE 2013 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=dAH0UGZ9-0Q
世界仰天ニュース【臨死体験のメカニズム】2013年10月16日 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=zw5exdoHc_o
ザ・たっちの幽体離脱

NHKスペシャル臨死体験・死ぬとき心はどうなるか』サッパリわかりませんでした。 2014/9/15 Yahoo!知恵袋
回答
明快な結論は敢えて避けながらも、意識(心)は脳内で展開される現象であり、臨死体験は死の間際に脳が見せる夢(幻覚)の一種だというのが現在の科学における有力な仮説である。
という内容だと思いました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13135586848
NHKスペシャル 「臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」 2014年9月14日
【出演】立花隆(ジャーナリスト)
『私』という存在は死んだらどうなるのか、死ぬとき『私』は何を見るのだろうか。
20年余り前、臨死体験について徹底的に取材し考察を深めてきたジャーナリスト 評論家立花隆。74歳を迎え、がんや心臓の病を抱えて死を間近に感じる今、再び臨死体験の最新研究の現場を見つめ、“死”について思索しようとしている。
立花隆が、欧米の研究者たちを訪ね最新の研究で分かってきたことに迫る。
立花隆 友人のもとへ
立花隆はレイモンド・ムーディ博士を訪ねた。
ムーディ博士、「お互いすっかり変わりましたね。お会いできてうれしいです」
立花、「そんなに元気ではないのです。私はがんにかかっています」
死後の世界を信じるようになったムーディ博士。死んだら心は消えると考える立花さん。
ムーディ博士、「 客観的に考えてみれば死後の世界があるとはっきりいえる自分に矛盾を感じます。でもそもそも人生は死ぬまで理解できないものなのです。私たちは自分が紡いできた物語つまり人生とは何だったのかその意味を知りたいと思いながら最後のときを迎える。そして臨死体験が待っている。私もあなたも好奇心を抱きながら人生を全うしていくのでしょう」
立花、「人間の死は、死と神秘と夢が隣り合わせのボーダーランドに入っていくこと」
そして、
立花、「今回、死ぬことがそれほど怖いことじゃないということがわかった。人生の目的というのは心の平安。人間の心の平安を乱す最大のものというのは自分の死について頭を巡らせること。いい夢を見たいという気持ちで人間は死んでいくことができる」
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0914/
臨死体験 ウィキペディアWikipedia)より
臨死体験(Near Death Experience)は、文字通りに言えば”臨死”、すなわち死に臨んでの体験である。英語ではNear Death Experienceと言い、日本語では訳語が「臨死体験」以外にも「近似死体験」などいくつか存在している。
臨死体験後に起きる変化】
ケネス・リングやシェリー・サザランドの研究によると、何割かの臨死体験者は、体験後に「他人への同情心が深まり、他人の手助けをしたいという願望が強まった」と回答している。ケネス・リングの調査では「他人に対する同情心や寛容心が強まった」と述べる体験者の増加が見られ、サザランドの研究では「他人をあるがままに受け入れられるようになった」と答えた体験者が多くみられた。体験前は粗暴で暴力的であった人物が、臨死体験後は他者につくす献身的な人格に変わるという例もある。
レイモンド・ムーディ ウィキペディアWikipedia)より
レイモンド・ムーディ(Raymond Moody, 1944年6月30日 - )は、アメリカの医師で心理学者。著書「かいまみた死後の世界」「死者との再会」などを通じ、臨死体験の研究で知られる。
1975年、キューブラー・ロスとともに臨死体験に関する著書を相次いで発表したことをきっかけとして、その後の臨死体験の科学的・体系的な研究が活発になった。
1991年3月、NHKが放送した「立花隆リポート 臨死体験 人は死ぬ時何を見るのか」、その23年後の2014年9月14日放送のNHKスペシャル臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」にも出演したが、その23年間には死に対して大きな心境の変化があった。

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『世にも不気味なホラー実話―世界中から集めた』 ミステリーゾーン特報班 KAWADE夢文 2008年発行
臨死体験」とは、どのようなものか (一部抜粋しています)
人間は死んだあと、どこへ行くのか――。この問題には、誰も明確な答えを出せない。宇宙と地球を往復できる時代でも、死後の世界とこの世を往復することは、不可能である。
だからといって、死後の世界の存在を否定することもできない。事故や病気で死のふちをさまよった人が蘇生して「あの世」について語った事例は、はるか昔から世界中で数多く報告されているからだ。これを「ニア・デス体験」、日本語では「臨死体験」と呼ぶ。
ここで、あるサラリーマン男性の臨死体験を紹介しよう。仮にAさんとする。交通事故を起こし、瀕死の重体で病院に運ばれたAさんは、医師の「ご臨終です」という声を聞き、泣き崩れる家族の姿を目撃している。天井のほうから、自分の亡骸(なきがら)と家族を見下ろしていたのだ。
次の瞬間、Aさんはらせん状のトンネルを猛スピードで通り抜けるような感覚に襲われた。暗くて何も見えず、恐怖に凍りついたが、その感覚はすぐに消え、今度は光に満ちた美しい世界に移動していた。小鳥がさえずり、花が咲き乱れ、苦痛のない世界だった。
そこで、死んだ祖母と懐かしの再会を果たすが、突然仕事のことが頭をよぎり、「帰らなければ」と思ったという。そしてAさんは、本当に「この世」に戻ってきたのである。
以上が、典型的な臨死体験のパターンである。臨死体験の研究者であるケネス・リングは、著書『いまわのきわに見る死の世界』で、「ほとんどの臨死体験は、決まったパターンをとってあらわれる」と述べている。多くの臨死体験例を分析した結果、国籍や人種、性別、年齢にかかわらず、Aさんと似たパターンがみられることがわかったのである。
つまり、死の宣告を聞く、魂が肉体から離れる、暗いトンネルをくぐる、心の安らぎを得る、美しい世界に入る、親しかった人と会う、人生を回想し、この世に戻るかどうかを自分の意志で決定する、というパターンだ。
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もうひとつ、臨死体験に共通していることは、嗅覚と味覚は完全に遮断され、代わりに視覚と聴覚が鋭くなること。また、時間の感覚がなくなったり、空間の概念も「この世」とは異なり、「無限に広い」場所にいるような感じがするという。