じじぃの「人の生きざま_504_矢作直樹(医者)」

人は死なない 東大救命医独自の死生観 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=HLVeGlGYdEw
【5金スペシャル・Part2】矢作直樹氏:霊魂と肉体: あの世とこの世を分かつもの 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=z6bjgNLYCjY

矢作直樹医師 (読売新聞HPより)

東大教授・矢作直樹さんインタビュー(2)亡くなった人に見守られている
――医療現場でも不思議な経験はありますか。
「治療がうまくいったはずの患者さんが急変して亡くなったり、逆に助からないはずの患者さんが回復したり、現代医学で説明できないことは多くあります」
矢作直樹(やはぎ・なおき)
1956年、神奈川県生まれ。金沢大医学部卒。麻酔科、救急・集中治療、外科、内科など経験し、2001年から、東大医学部救急医学分野教授、同大病院救急部・集中治療部長。著書に「人は死なない」(バジリコ)など。
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=72836
2014年10月30日号 『週刊文春立花隆 「死は怖くない」 より
インターネットでも大きな反響がありました。ブログやツイッターで賛否両論を書きこまれています。「考えさせられた」というコメントが大半でしたが、中には激しく反発して、番組批判を展開しているサイトもあります。臨死体験を死後の世界の存在証明であるかのごとく扱い、死後の世界との交流を売り物にしている新興宗教の人々には不愉快だったのでしょう。何しろあの番組は、脳科学の最新の知見を踏まえて臨死体験は死後の世界体験ではなく、死の直前に衰弱した脳が見る「夢」に近い現象であることを科学的に明らかにしたからです。
      ・
「死ぬのが怖くなくなった」といっても、「死後の世界は存在する。だから死は怖くない」と科学的な根拠もなく声高に断定する人たちもいます。最近、日本で評判を集めている東大医学部附属病院救急部の矢作直樹氏のような例です。最近彼は週刊誌で、TVの怪しげな番組に出まくって霊の世界がどうしたこうしたと語りまくる江原啓之なる現代の霊媒のごとき男と対談して「死後の世界は絶対にある」と意気投合していましたが、これが現役の東大教授かと口アングリでした。ああいう非理性的な怪しげな世界にのめりこまないと、「死ぬのが怖くない」世界に入れないかというと、決してそうではありません。ごく自然に当たり前のことを当たり前に、理性的に考えるだけで、死ぬのは怖くなるということをあの番組で示せたと思っています。

                            • -

週刊現代 2015年4月18日号
私の地図 あの場所へ帰りたい 矢作直樹(東大医学部附属病院救急部) (一部抜粋しています)
登山家という目標を失った私は、大学を卒業できることになってもこれといった希望がなく、先輩のすすめで富山医科薬科大学の麻酔科に入局。しかし、その後も要請を受けるままに救急・集中治療、外科、内科、小児科などと、病院・部門を転々としました。
現在勤めている東京大学医学部附属病院にきたのは、'99年に工学部の教授に着任したのがきっかけです。そこで医用生体工学を教えながら医学部で非常勤講師をしていたところ、救急医学の教授候補として推薦をいただきました。
正直、最初は気が進みませんでした。先進国において、日本ほど救急医療にたいする考え方が遅れている国はなかったからです。本来、救急医療は病院の基本機能の1つで、患者の命を守るために各部門が力を合わせて診察にあたるもの。ところが、日本は一部の病院をのぞいて救急部を眼科や耳鼻科と同じように独立した部門と捉えていた。そうした意識の遅れは院内にも表われていました。
「自分の身内は絶対に東大病院に入院させたくない」ということを、医学部の学生や若い医師たちが口にしていたのです。こんな状況ではよい医療提供は望めません。
しかし、着任したからには彼らの意識を変えていきたい。そういう気持ちを奮い立たせて、院内緊急コール体制や24時間の総合救急診療体制を立ち上げました。院内の理解、協力を得るには時間を要しましたが、いまでは東京都から救命救急センターの認定を受けています。
こうして東大病院で奮闘している間、私は相次いで両親を亡くしました。父は病院でしたが母は孤独死。父亡き後、母には同居をもちかけたんですが、「大丈夫だから」と亡くなる日まで相模原の小さなアパートで自立した生活を送っていました。
ただ、死期は感じていたようです。入浴中の心不全でしたが、生前はずすことのなかった結婚指輪が父の遺影の前に置いてありました。横には友人知人からの葉書の束があり、一番上には「葉書で連絡してください」とのメモ書き。思い返せば、清貧だった母の晩年は平穏に満ち足りた様子でした。そして、誰の手を借りることもなくそっと逝く。母の死の迎え方は私の理想に近いものです。
穏やかな死を迎えるためには自分の運命を受け入れることが大切だと思います。多くの死に接してきましたが、亡くなるときに人の顔は変わります。肉体が死んでも霊魂は生き続けるからです。
弟がそうでした。一昨年にがんで亡くなった時、時間とともに口角が上がって笑顔になっていきました。この世の苦しみから解放され、あの世へ旅立ったのだと感じました。なお、亡くなる直前に驚いた顔になる方もいます。お迎えに来た方々に会ったからでしょう。長く医療現場にいて、科学では解明できないことにいくつも直面してきましたから、不思議だとは思いません。霊魂は生き続けると思えば、今をどう生きるべきか、考え方が変ってくるのではないでしょうか。「ありがとう」という気持ちで死を迎えたいと思います。