じじぃの「科学・芸術_200_イラン・死後の世界」

死後の世界への旅立ち 動画 YouTube
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バルザフは、何処にあるか? 2012/5/26 Yahoo!ブログ
バルザフは、死んだ後の人間の魂が行く所ですが、
その場所がどこにあるのか?という事です。
https://blogs.yahoo.co.jp/fatema24jp/5502002.html
『イランを知るための65章』 岡田恵美子、鈴木珠里、北原圭一/編著 赤石書店 2004年発行
生者と使者を結ぶコミュニケーション 墓参りと夢 (一部抜粋しています)
ムスリムにとって、死とは終わりではない。死とは、世界の創造から、最後の審判を経て天国、あるいは地獄における永遠の来世に至るまでの通過点にすぎない。人が生まれ、生きて死ぬ、そのすべては神の意思によって定められた運命である。このような来世観を反映しているのだろう、ムスリムによる葬儀や墓参りは比較的簡素だという。しかしイランで見るかぎり、シーア派の墓地は賑やかである。通常、葬儀は1周忌をもって終了するが、その後も人びとは機会を見つけて親しかった故人の墓を訪れている。
ところで、イランでは、亡くなった家族や友人を夢に見るという話をよく耳にする。すでにこの世を去った者を夢に見るという現象は、決してイランに限っておこることではないが、彼らの夢には2つの傾向を見出すことができる。1つに、夢に登場する死者の態度や言葉が現実的であること、もう1つに、夢は生者が頼み求めて見るというよりは、むしろ死者からの突然の訪問よいう形をとることである。
1例を挙げよう。ハマダーン州のある聖者廟を訪れた日のことだった。廟の裏手にある墓地を散策していると、墓石の前に小1時間も座り込んで泣いている若い女性がいる。声をかけると、母親の墓参りに来たという彼女は、筆者にこう話してくれた。
 「……母を心臓発作で亡くしたのは4年前で、私は25歳だった。母が発作をおこしたとき、私はすぐそばにいたのに、何もしてあげることができなかった。慌(あわ)てて救急車を呼んで、病院に駆けつけたけれど、生き返らなかった・数日後、母が夢に出てきてこう言ったの。……ザフラー(この女性の名前)、よく聞いて、あなたがそばにいたのも、手を握って、母さん、母さんと呼んでいたのも、全部見ていましたよ。あの時、私も一生懸命(現世に)戻ろうとした。戻りたかった。けれど、戻れなかった。神がそう望まなかったのでしょう。だから泣かないで、私はここで幸せだから。
 ……家族は、なぜもっと早く病院に連れて行かなかったのかと私を責めた。でも、夢に出てきた母は、私にそう話してくれたの。…あなたは、こんなこと信じる? 私は信じている。母はすべてを見ていたし、夢の中で私に話しかけてくれる。だから、私も母に会いたくなるとここに来て、気がすむまで話すことにしているの」
夢の内容は多彩である。この女性が見た夢のように、亡くなった親族が死にゆく様子や死後の状況を伝える場合もある。家や車といった財産の売買で悩んでいるときに、死んだ父親が夢の中で最良の決断をしてくれることもある。あるいは、この世を去った母親が、受験に合格するための願かけとして、介護施設でボランティアをしなさいと助言するなど、非常に具体的なものもある。
夢に使者が登場するということは、彼らによると「死後の世界が存在している証拠」なのだという。ここで言う「死後の世界」とは、最後の審判後の天国、あるいは地獄を指すのではなく、死後、死者が最後の審判を待つあいだ、とどまるとされるバルザフという場所を意味している。バルザフとは、現世と天国・地獄の間にある「戻れない障壁」(クルアーン第23章100節)という意味だが、墓に埋葬された死者はすべてこのバルザフにおいて、ひたすら神の判決を待つことになる。筆者が話を聞いた人びとによると、バルザフとは1日のようでもあり、数千年のように感じられることもある。現世でのおこないが良かった者にとって、バルザフは決して長く苦しい期間ではない。だが、悪行ばかりをなした者は、蛆(うじ)虫が這い回る暗く狭い墓穴の中で、墓土の重圧にいつまでも耐えなければならない。
バルザフにおいて死者は墓の中にとどまるとされるが、その魂は生者が夢を見ているときに似た状態で存在している、そのため、バルザフにいる死者は墓地を離れ、夢を通して生者のもとを訪れることができるのだという。故人の夢は木曜日の夜に見たという話を聞くことが多いが、それは木曜日の午後から金曜日にかけて、この世とあの世の間の扉が開き、死者の魂が自由になるからである。