じじぃの「人の生きざま_435_中島・義道」

中島義道先生の生き様いつも前向きに生きている人が嫌いな理由 動画 YouTubehttp://www.youtube.com/watch?v=DcWef0vXEOs
生きる意味(哲学者 中島義道の考え) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=y6DsqAg1Ny8
中島義道のおすすめランキング 読書メーター
中島義道ならマズコレ!
1 哲学の教科書 (講談社学術文庫)
2 働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)
3 ひとを“嫌う”ということ (角川文庫)
4 私の嫌いな10の言葉 (新潮文庫)
5 カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ (新潮文庫)
http://book.akahoshitakuya.com/s?q=%E4%B8%AD%E5%B3%B6%20%E7%BE%A9%E9%81%93
中島義道 ウィキペディアWikipedia)より
中島 義道(なかじま よしみち、1946年7月9日 - )は、日本の哲学者、作家。元電気通信大学教授。マスコミ曰く「戦う哲学者」。専攻は、時間論、自我論。イマヌエル・カントが専門。

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林先生の痛快!生きざま大辞典 「中島義道 2014年7月29日 TBS
【出演】林修吉田明世中村昌也ふかわりょう福田彩乃 【ナレーター】田中敦子
林先生に“視聴者に知ってほしい人物の一人”と言わしめる哲学者・中島義道。常識に逆らい、世の中に好き勝手なことを言う中島義道の魅力と生きざまに迫る!
http://www.tbs.co.jp/program/ikizamadaijiten.html
7月29日 TBS 林先生の痛快!生きざま大辞典 「中島義道より
林、「僕はこの方の著書、全部好きでほぼ全部持っています。(10冊の本を前にして)実はこれ私物です」
戦う哲学者 中島義道
知る人が知る。ベストセラー作家であり、その著書タイトルは『働くことがイヤな人のための本』 『善人ほど悪い奴はいない』。
タイトル通りそのクセのある内容からか、テレビではほとんど扱われることのなかった中島義道の生きざまをどうしても伝えたい、という林先生が徹底解説!
林、「人生長い間に後ろ向きで考えている人間。じゃあ、何がいけないんだ」
後ろ向きに生きて何が悪い!
林、「嫌いなモノを嫌いって言うと、それは良くないよっていう社会になっていませんか?」
嫌いと発言して何が悪い!
林先生の熱い問いかけにゲストも熱くなる。
林、「『私の嫌いな10の言葉』という本があります。名著です。もう一つ、『私の嫌いな10の人びと』という本もあります。
ふかわ、「第一印象としては、性格の悪い方なんですか?」
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林、「卒業生に贈るはなむけの言葉。学生たちが飛び出す社会、明るさに満ちているわけじゃない」
福田、「だからこそ・・・」
林、「待ち受けている困難を伝えるべきじゃないですか。ということで実際にはなむけの言葉が大嫌いな中島先生が嫌々ながらも贈られたはなむけの言葉があります」
2006年、電気通信大学 卒業生たちに贈った言葉
「しばらく生きてみればわかるが、個々の人の人生はそれぞれ特殊であり、他人のヒントやアドバイスは何の役にも立たない。振り返ってみるに小学校卒業式以来 嫌というほど『はなむけの言葉』を聞いてきたがすべて忘れてしまった。なぜか? 言葉を発する者が無難で定型的な言葉を羅列しているだけだからである。だとすると、せめていくぶんでもほんとうのことを書かねばならないわけであるが、私は人生の先輩としてのアドバイスは何ももち合わせておらず、ただ私のようになってもらいたくないだけであるから、こんなことはみんなよくわかっているので、あえて言うまでもない。これで終わりにしてもいいのだけれど、すべての若い人々に一つだけアドバイスではなくて心からの『お願い』。どんな愚かな人生でも、乏しい人生でも、醜い人生でもいい。死なないでもらいたい。生きてもらいたい」

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『私の嫌いな10の人びと』 中島義道/著 新潮社 2006年発行
笑顔の絶えない人 (一部抜粋しています)
私は笑顔の絶えない顔が嫌いです。そんな顔を眼の前にすると、とたんに居心地が悪くなる。人生、笑ってばかりもいられないでしょうに、と思います。銀行やデパートや日本旅館などで、ちょくちょくお目にかかりますが、それがたとえ職業上の笑いであっても、あれほど微笑みつづけているのは居心地が悪くて気持ちが悪い。
でも、多くに同胞は好きなようですね。ここで注意すると、笑顔の絶えない人を現代日本において肯定的に語る場合には決まった図式があって、やたらけらけら笑っている人(笑い上戸)のことではない。むしろ、悲しい体験や辛い体験が山のようにあったらしいのだが、それらをおくびにも出さずに、いつも柔らかい笑みをたたえている人(断然男より女のほうがぴったりする)なのです。
これとは別に、たしかに、いつも笑っているような顔の人っていますね! 顔面の筋肉が笑うようにできているのです。例えば、梅原猛氏は、相当の努力をしなければ「笑わない顔」を実現することができないようですね。油断すると、すぐに笑い顔になる。どんなに緊張していても、いったん話し出すと、あっという間に「笑い」へと顔は崩れていきます。はじめそれがとても不愉快でしたが、ああ、あれはああいう顔面筋肉の構造なのだと思いはじめました。
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少し古い感覚なのかもしれませんが、多くの男が恋人や妻に「笑顔の絶えない人」を望むようです。なぜなら、明るい顔をみていると心がなごむから。人生とは、――とくに大人になると――苦しいことや悲しいことの連続なのですが、そんなときふと傍に、何も言わずにやさしく微笑んでいる顔を見ることができれば慰めになる。こうして、「笑顔の絶えない人」は、男から見てこうあってほしい女の属性であることが多い。だから「笑顔の絶えない男」とこう書いてみると、違和感がある。けらけら笑ってばかりいる頬の筋肉がたるんだ軽薄な男が浮かんでしまい、なかなかプラスの価値を以て迫ってきません。たぶん、女性が恋人や夫に求める理想像として、「笑顔の絶えない人」は圧倒的に少ないような気がします。
ここは正確に表現しなくてはなりませんが、女性が求める理想の男の笑顔とは――これも古いと一蹴されるかもしれませんが――、たえずにこにこ笑っているというのではなく、精悍な男らしい顔が、あるときふっと武装を解いたように無防備に笑う、街を歩いていりときふと隣の男の顔を覗きこむと、はっと思うほど寂しそうな表情をしている、でも、その同じ顔が「何?」と尋ねるように自分に向かうと、信じられないほどやさしい眼の奥が笑っている、こんな男の顔が好きなのではないかと思います。つまり、いつも笑っているのではなく、あるときふと少年にもどったかのようなあどけない表情を見せる。そんなとき、女はからだがしびれるように「この人が好きだ!」と確信するのではないでしょうか(江國香織唯川恵小池真理子藤堂志津子の小説の読みすぎかな)。とにかくキャリアウーマンが足を引きずるようにして家に帰ってきたら、玄関に「笑顔の絶えない男」の顔を認めて心が慰められるような気はどうしてもしない。むしろ、その顔をめがけてハンドバッグを投げつけたくなるのではないでしょうか。
この男女の大いなる感受性の違いをもう少し探ってみますと、ここには、「甘え」や「媚」という言葉が支配する広大な領域が広がっています。男は、一般に女に甘えられる外形を維持したまま、女に甘えたい。女は、逆に男に甘える外形を維持したまま、男に甘えられたい。こう言えるのではないかと思います。この二重になったルールを守ることで、伝来の強い男と弱い女、つまり甘えられる男と甘える女という対概念を破壊せず、しかもその内部構造を逆転させることによって、互いに実利を引き出すことができる。われわれがナマの事実ではなく、概念ないし観念に支配されていることは、怖ろしいほどです。このことには普通あまり気づきませんが、感受性のレベルに降り立ってみると、「感じがいい」とか「感じが悪い」という直観だけによって、かなり正確に決まってくる。
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ちょっと前にテレビドラマにありましたが、仕事の鬼のような女がかわいい年下の男の子を「飼っている」という設定もありうる。でも、やはりその青年が「かわいい」だけでは彼女はもの足りない。ただかわいいだけの女を求める男はかなりいるのに、ただかわいいだけの男を求める女はそんなにいない。女にとって男は一般に単にかわいいだけではだめであり、男のかわいさには、強さが、逞しさが、人間としての大きさが伴っていなければならない。自分が人間としても動物の雄としても尊敬できる男、つまり自分より知力において体力において仕事において勝っている男が、一瞬ふっと「かわいさ」を見せるとき、女はぐっと来るのです。かわいさ全開の青年は、はじめのうちはともかく、やがてぶん殴りたくなる。
ここで、思い出してほしいのですが、以上はすべて表層のルール。その下にぴったりと深層のルールが張り付いています。強く逞しく尊敬できる男といえども、じつは自分に甘えているんだという実感がじわっと湧きあがるとき、女は幸せを覚える。とはいえ、いつも自分に甘えっぱなしの男ではうんざりし、あるとき母親を求めるかのように甘えてくると、女は情感をくすぐられるのです。男のほうでも、ただただかわいいだけの妻が、あるとき自分の話を親身になって聞いてくれた結果、意外にしっかりしたアドバイスを与えてくれると、おうおうにして惚れなおす。でも、これは自分が窮地に陥ったときだけ。まずまずの困窮状況においては、彼女はけっして自分より正しい解答に達してはならないのです。