都営バス市01系統 築地中央市場〜国立がん研究センター前 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=6CUclDauKyU
咽頭がん/ミルメディカル 家庭の医学動画版 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=u765fzz0fFU
大橋巨泉 「一般的な本に出ている咽頭がんの自覚症状は嘘だ!」がんの転移告白に加え体験談語る 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=3viMy-usi_k
『こんなのはじめて』 石坂啓/著 文藝春秋 1995年発行
母のガン闘病記 (一部抜粋しています)
首の腫(は)れが目に見えるものであったから、母は医者に通う気になった。これがカラダの内側の部分であったら、痛くなるまで病院で検査を受けることはなかったろう。母の姉が去年ガンで亡くなっとことも、そういう意味では母に警告を残してくれたように思える。
実際問題としてこれが5年前10年前だったら、母は仕事が忙しくて病院通いなどしていなかったと思うし、逆に母がもっと歳をとってからの話だったら本人の体力のことも心配になっただろう。父と母が揃(そろ)って上京して生活していたことも幸いした。2人が名古屋で暮らしていたら、見落として手遅れになっていたかもしれない。
もっと早くわかっていれば……と思う一方で、ともかくガンをみつけることができて、それに対して最善の対処をしてあげられたのだとしたら、これはやはり「よかった」ことと思うしかない。
この日は入院の手続きをして帰ったが、ベッドの空きが出るまで2、3週間はかかるらしく、その間にいろんな検査の予約を入れてポツポツ通院することになる。ガンとわかって手術をすることになるのなら一刻も早く……と気持ちはアセるのだが、ともかくこの病院に入院希望するのは全員がガンの患者さん、母よりもっと大変な人も入院待ちをしているのだろうから指示に従うしかない。
ただこの入院の知らせを待つのが不便だった。いつ空きが出るのかわからず、患者は入院の前日に病院から電話があるのを待つしかない。私は不在にしていることも多いので留守番電話に一言入れてくれればすぐ折り返し電話するからと事務の人に頼んだが、それはできないと言う。電話をして連絡がとれなければ次の予約の人にベッドの順番がいってしまうそうだ。
つまり電話がいつかかってくるかずーっと席をはずせないわけで、これはずいぶん不合理に感じられた。よほど携帯電話を購入しようかと思ったくらいだが、ともかく日中は家族のだれかが必ず家にいるようにする。ベッドの空きをジリジリ待ちながら、しかしある日ふと、ベッドの空きとは必ずしも退院する人を待つばかりではないのではないか、もしかしたら亡くなる……人のことを待っている――という一面もあるのではないかと気がついて、複雑な思いがした。
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入院したのは3月20日、初診を受けて1ヵ月近くたっていた。この日は地下鉄サリン事件があった日である。ちょうどその通勤時間に病院に向かった母と妹のことを、テレビでニュースを知った父が心配した。
地下鉄は乗っていないはずだから……と答えたものの、がんセンターに運びこまれた被害者の方たちもいるようだ。ひと一人の病気でこれだけ家族が気をもんでいるというのに、大勢の人間を死なせるつもりでいるなんて、いったい人々に毒ガスをまいた犯人はどういう神経のやつかと腹が立った。
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母の衰弱ぶりも母の痛がり方も、そしてだんたんと気弱になっていく母の様子も……。
これまでは母は何でも話せていたが、こんどばかりは全部を話せない。
病室の窓から築地市場と、その向こうの海が見える。海が眺められるのは少し気持ちが広がるみたいで、慰められた。でもついこの間まで私もひんぱんに行き来していた羽田の飛行場も東京湾も、何だかもう向こう側の世界のようにいまの自分には意味がなく、ずいぶん遠くに感じられた。
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どうでもいい、じじぃの日記。
ちょっと古い本だが、石坂啓著 『こんなのはじめて』を読んでいたら「母のガン闘病記」というのがあった。
「つまり電話がいつかかってくるかずーっと席をはずせないわけで、これはずいぶん不合理に感じられた」
有名な病院だからなのだろうか、ベッドの空きを待つというのも大変だ。
この本に出てくるお母さんのガンは喉の扁桃腺にできたガンだ。患部を手術で取って、その後放射線治療を受けた。結果は良好で無事退院できたようだ。
「病室の窓から築地市場と、その向こうの海が見える」
そういえば、かっての大物司会者もこの病院に入院中らしい(違うかもしれない)。
病院選びもいろいろ大変だなあ。