じじぃの「人の生きざま_349_内山田・竹志」

トヨタ自動車 会長 内山田竹志 メッセージ 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=6Xqzr7gN71g
トヨタ プリウス PHV試乗レポート TOYOTA Prius PHV Test Drive 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=l8xxo6L37Tc
プリウス

内山田竹志 ウィキペディアWikipedia)より
内山田竹志(うちやまだ たけし、1946年8月17日 - )は日本の自動車エンジニアで実業家。トヨタ自動車代表取締役会長、一般社団法人日本経済団体連合会副会長。
愛知県岡崎市出身。1969年(昭和44年)に名古屋大学工業学部応用物理学科を卒業し、トヨタ自動車工業株式会社(現・トヨタ自動車株式会社)に入社。1994年(平成6年)に第2開発センター第2企画部主査に就任し、同年から初代プリウスの開発責任者(チーフエンジニア)となる。

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文藝春秋 2014年1月号
世界が驚愕した日本人54人 奇跡のプリウス開発 内山田竹志 【執筆者】マツダ副会長 金井誠太 (一部抜粋しています)
90年代半ば、トヨタ自動車が量産ハイブリッド車に取り組むと聞いたときは「本当だろうか」と半信半疑でした。開発投資や製造コストから見て、ハイブリッド車はビジネスにならない、というのが当時の自動車業界の常識だったからです。
ハイブリッド車の概念そのものは古くからあり、1900年にF・ポルシェがエンジンと電気モーターで走る自動車を発表しています。マツダも70年にハイブリッドのコンセプトカーを発表し、新聞配達用のトラックを実用化しました。しかしこれはあくまで試験的なクルマであり、一般向けの量産化はまだ先の話だと私たちは考えていました。
ですから、97年のプリウス発売は、衝撃的な出来事でした。なにしろ燃費は、リッター当たり28キロ。同クラスのガソリンエンジンに比べて約2倍と、当時としては驚異的な燃費を実現しました。この開発プロジェクトを引っ張ってこられたのが内山田さんです。
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2013年3月に、トヨタハイブリッド車のグローバル累計販売台数は500万台を超えましたが、現在のようなハイブリッド車が普及したのはトヨタ車が牽引した成果だといえます。プリウスも2代目、3代目とモデルチェンジのたびに燃費の面でも価格の面でも着実に進化してきました。
内山田はよくメディアで「温厚で穏やかだが、芯は強い」と紹介されますが、実際にお会いした印象もその通りの方です。人あたりが柔らかで親しみやすい方なのですが、ふとした瞬間にギロッと睨まれると、すくいあがるような凄みを感じることがあります。それくらいの芯の強さがなければ、「ハイブリッドはビジネスにならない」という業界の常識を打ち破って開発プロジェクトを成功に導くことはできなかったでしょう。
開発途中に何度か窮地に立ったこともあったと思いますが、そのたびに乗り越えられたのは芯の強さがあってこそだと推察しています。お会いしたときに、リーダーに不可欠な志と信念が強く感じられたことを思い出します。
当社ではエンジンやトランスミッション、ボディ、シャシーといったクルマに必要なベース技術をすべて革新するスカイアクティブ技術を開発しました。その一方で、2010年からプリウスのハイブリッド技術ライセンス給与を受け、ハイブリッド車の開発も進めてきました。ドイツのプレミアムブランドも技術給与を受けているように、今後トヨタのハイブリッド技術は世界のデファクトスタンダード(世界標準)となる可能性があります。

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