じじぃの「人の生きざま_338_中田・英寿」

中田英寿 - あのひと検索 SPYSEE
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中田英寿 ユベントスvsローマ(00-01) 高画質version 動画 YouTube
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中田英寿 フィジカルモンスター 動画 YouTube
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中田英寿

中田英寿 ウィキペディアWikipedia)より
中田 英寿(なかた ひでとし、1977年1月22日 - )は、山梨県甲府市出身の元サッカー選手。元日本代表。愛称はヒデ。FIFA親善大使。株式会社東ハト執行役員一般財団法人TAKE ACTION FOUNDATION代表理事観光庁アドバイザリー・ボード」メンバー。
日本代表のFIFAワールドカップ(以下W杯)3大会連続出場に貢献。FIFA100選。アジア年間最優秀選手賞2回。イタリア政府よりイタリア共和国功労勲章(カヴァリエーレ)受章。U-17世界選手権(現在のU-17W杯) 、ワールドユース(現在のU-20W杯) 、U-23オリンピック 、コンフェデレーションズカップ 、W杯 、以上のナショナルチーム主要世界大会すべてでゴールをあげた唯一の日本人選手である。

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文藝春秋 2014年1月号
世界が驚愕した日本人54人 中田英寿 監督にとって理想の選手 【執筆者】サッカー ロシア代表監督 ファビオ・カペッロ (一部抜粋しています)
これまで私は、世界のサッカー史上にその名を輝かせる名選手と共に、勝利を重ねてきた。したがって、それなりに選手の実力を見極める眼は備えているつもりだ。その上で、中田英寿を論じれば、次のようになる。
「決して超一流ではない。だが、監督にとっては最も理想的な選手」
だからこそ私は、2000年、時のローマ監督として中田の移籍をクラブ首脳陣に有無を言わせぬ形で要請し、実際に獲得した。今にして振り返ってみても、紛れもなき幸運だった。     ・
01年5月6日、セリエA第29節、ユベントスとの一戦。ローマは首位だったが2位、ユベントスとの勝ち点差は僅かに6。負ければ首位の座が危うくなる試合であり、しかも敵地トリノでの試合だった。その日までの1週間、チームは異常な緊張に包まれていた。あまりの緊張から嘔吐する者までいたほどだ。そして案の定と言うべきか、その試合でローマの選手たちは本来のプレーをできず、開始早々にして2点を失ってしまい、後半に入ってもなかなか流れを変えられずにいた。
後半15分、最後の手段に打って出た。それは”トッティを下げ、中田を投入する”という選択だ。ローマにとってトッティとはまさに絶対的な存在。他の監督であれば絶対にできなかっただろう。中田は、私の期待に完璧に応えてみせた。投入から丁度20分辺りだったと思うが、右足を鋭く振り抜き、見事なミドルシュートを決めてみせた。普段は物静かな彼が咆哮したシーンは今なお眼に焼き付いている。ロスタイムにもまた低い弾道のシュートを放つとGKのファンブルを誘い、そのこぼれたボールを別の選手が押し込んで同点に追いつくことができた。実に劇的な試合だった。
当時のユベントスには勢いがあり、あの一戦を同点ではなく落としていれば、首位の座を奪われていただろう。すなわち、中田の活躍なくしてローマの優勝はなかったといって間違いない。ローマは、強豪といわれるが、86年にも及ぶクラブ史上、リーグ制覇はわずか3度。そのひとつを日本人選手が決めてみせた意味は計り知れない。
数字や記録だけでは計れない部分こそ真の意味での価値があると思う。もはや1つの伝説となったユベントス戦だけではなく、中田英寿というミッドフィルダーは、まさにその計れない部分でこそ最高の選手であり続けた。

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