じじぃの「人の生きざま_254_高島・忠夫」

高島忠夫 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E9%AB%98%E5%B3%B6%E5%BF%A0%E5%A4%AB/10361
いいなCM フジカラー 写ルンです 高島一家 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ZEc4HTuwvII
高島忠夫 ウィキペディアWikipedia)より
高島忠夫(たかしまただお、男性、1930年7月27日 - )は、日本のタレント・俳優・司会者である。本名は高嶋忠夫。所属事務所は東宝芸能
【来歴】
兵庫県武庫郡(現神戸市灘区)出身。旧制第一神戸中学校卒業、同校が新制兵庫県立神戸高等学校と改称後も在籍。作家の小松左京は神戸一中時代の同級生で、一緒にバンドを組んでいたこともある仲。
寿美とは1963年に結婚。『ごちそうさま』で長く夫婦で共演していた。結婚後、長男をもうけるが、1964年に生後5ヶ月で当時17歳の家政婦によって殺害されるという事件に見舞われる(高島忠夫長男殺害事件)。
1968年、東映動画の『アンデルセン物語』では声優をこなし、ミュージカル仕込みの明朗なテノールの歌声を披露している。
東宝移籍後は壮年にさしかかるとバイプレーヤーとして脇に回り、1970年代からはテレビに進出して司会業を行う。料理番組『ごちそうさま』やクイズ番組『クイズ・ドレミファドン!』などの司会業の他、『ゴールデン洋画劇場』では映画解説をつとめ、いずれも長期に渡る人気番組のホスト役として活躍する。
高島の闘病生活は2007年6月にドラマ化された(ドキュメンタリー・ドラマ「うつへの復讐 〜絶望からの復活〜」、日本テレビ、6月26日放送)。また、2013年6月18日には「カスペ!」(フジテレビジョン)で「独占密着!真実の高島ファミリー「忠夫さん、死ぬまで一緒やで」〜寿美花代・献身愛で闘う夫の病〜」と題して、5年ぶりにテレビ出演を果たし、高島夫妻の自宅や、「最後になるかもしれない」家族旅行で出向いた台湾にも密着取材し、フリオ・イグレシアスとの再会についても取り上げた。
【人物像】
家族ともども世界的シンガーであるフリオ・イグレシアスの大ファンで、家族ぐるみで付き合いがある。音楽番組やバラエティー番組では、よくフリオ・イグレシアスとのエピソードを披露している。2010年のフリオ・イグレシアスの7年ぶりのコンサートに、観客の立場ながら同行していた。

                          • -

カスペ! 独占密着!真実の高島ファミリー『忠夫さん、死ぬまで一緒やで』〜寿美花代 献身愛で闘う夫の病〜 2013年6月18日 フジテレビ
【出演】寿美花代高島忠夫高嶋政伸高嶋政宏フリオ・イグレシアス、その他
“日本一有名な芸能一家”高島ファミリー。一家の主、高島忠夫がテレビの表舞台から姿を消して5年…その自宅にカメラが入った。いったい何があったのか。献身的に夫を支える元宝塚歌劇団のトップスターである妻、寿美花代の思いを通じて、いますべてが明らかになる!そして、夫婦として「死ぬまでにやりたかったこと」…それは忠夫の夢。寿美花代は、ある賭けに出た。“最後になるかもしれない”家族旅行へ…。
忠夫が患ったのはうつ病だけではなかった。糖尿病、心臓病、足腰の弱り…誰もが年を取ればかかるような病気に次々と襲われていたのだ。3年前には不整脈から心臓ペースメーカー手術も行っていたという忠夫。さらに、パーキンソン症候群も発症している。妻の寿美は、うつ病の発症からかれこれ15年もの間、夫の病と闘ってきたことになる。計り知れない苦難とどう向き合ってきたのか。そして、自身はいつまでも美しく元気であり続けてきたことの秘訣はどこにあるのか。
http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2013/130611-239.html
2013年6月18日 フジテレビ カスペ! 独占密着!真実の高島ファミリー『忠夫さん、死ぬまで一緒やで』〜寿美花代 献身愛で闘う夫の病〜より
この日、息子の政宏さんと政伸さんが実家に帰ってきた。妻の寿美花代さんは息子たちが大好物のおはぎを用意した。忠夫さんは病気のため我慢した。
政宏さんは語る。精神的な限界を越えた母の寿美さんは、泣き叫び、手当たり次第に物を投げて病院に運ばれることもあった。
政宏さんは父の業界復帰について語る。脚本家・演出家・監督が忠夫さんに会いたがっていたと話した。忠夫さんは「女ざかり」に出演した。忠夫さんは映画出演について「もうしんどいな」と話した。
政宏さんと政伸さんは父の病気が心配だった。政宏さんは忠夫さんが手術に成功したとき待ち受けて写真を撮り、そのときの父親の姿を携帯電話の画面にしている。
忠夫さんは一時期、アルコール依存症状態になっていた。忠夫さんがアルコールを隠れ飲みをしていたことに悩んだと話した。
高島ファミリーには49年前に悲劇があった。当時雇っていた17歳の少女に長男の息子が殺害されたのだ。
あの日から49年が経つが、亡き長男のことを夫婦で話したことは一度もない。その後、夫婦は仕事に没頭した。「3時のあなた」などバラエティー番組に積極的に出演し笑いをふりまいた。無理をし続けた忠夫さんは15年前にうつ病を発症した。忠夫さんは平成10年放送の「ゴールデン洋画劇場」を最後に全ての番組を降板した。
忠夫さんは表情を失い、家から一歩も出なくなった。寿美さんは仕事を続けながら看病した。忠夫さんは少しづつ回復し、平成11年に公の場に姿を現した。平成11年放送の「とくダネ!」の映像を紹介。しかしその後、うつ病が再発し、症状が悪化した。
忠夫さんがうつ病発症から4年目、政伸さんはリハビリライブを企画して開催した。友人知人に集まってもらい、忠夫さんが人前に出る自信を取り戻そうとした。
寿美さんは忠夫さんの身だしなみを整えながら、毎日庭に散布に出る忠夫さんに、「格好いい!」 と、声をかけた。
忠夫さんはうつ病の闇から一歩ずつ抜け出していったが、その他の病が忠夫さんを襲っていった。
特に糖尿病は深刻。寿美さんは毎日忠夫さんのインシュリン注射を手伝い、血の巡りの悪くなった忠夫さんの冷たい足指に毎晩マッサージを行う。マッサージを終えた後、忠夫さんは寿美さんに必ず感謝の言葉、「ありがとう」を返す。
3年前には不整脈から心臓ペースメーカー手術も行っていたという忠夫さん。さらに、パーキンソン症候群も発症している。食事をするとき、箸を持つ手が震える。
寿美さんはうつ病の発症から、かれこれ15年もの間、夫の病と闘ってきたことになる。
寿美さんは忠夫さんの体調が安定している今がチャンスだと、夫と海外旅行に行く計画を立てた。
寿美さんは忠夫さんをフリオ・イグレシアスに会わせたかった。忠夫さんはフリオの大ファンだった。フリオの「黒い瞳のナタリー」は日本でも大ヒットした。
寿美さんと忠夫さんと政伸さんはフリオのコンサート会場に向かった。会場は台北アリーナ。3人は体調が悪くなったときの事を考え1階の隅に座席を確保した。コンサートが始まり、フリオが「黒い瞳のナタリー」を歌った。歌った直後、フリオは舞台から大きな声で、「タダオ!」と呼んだ。高島親子は立ち上がって、それに応えた。
フリオは忠夫さんのために、思い出の曲である「アブラサメ」を歌った。
コンサートの後、台北アリーナの舞台裏でフリオと忠夫さんは再会した。今まで無表情だった忠夫さんの顔に久しぶりに笑顔が戻った。

                          • -

高島忠夫 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E9%AB%98%E5%B3%B6%E5%BF%A0%E5%A4%AB&sa=X&oi=image_result_group&ei=gxPBUd_hNce5lAXx2oHYBw&ved=0CC8QsAQ