じじぃの「人の死にざま_1172_小倉・遊亀」

小倉遊亀 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E5%B0%8F%E5%80%89%E9%81%8A%E4%BA%80/6079
1938年 「浴女 その一」 画像
http://www.gallerysugie.com/mtdocs/artlog/archives/images/04.05yuki.jpg
1951年 「娘」 画像
http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1002/image/ind_p01.jpg
1960年 「コーちゃんの休日」 画像
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/91/5bcd9f5f055319f2fc01bf0468f083b5.jpg
1953年 「O夫人坐像」 画像
http://www.natsume-books.com/img_item/61740.jpg
小倉遊亀
今日は、東京国立近代美術館で行われている小倉遊亀展に行ってきた。
私はこれまで、この日本画家を知らなかった。
http://www.ne.jp/asahi/qsou/an/qsouhanashi/2002/9gatu/29ogurayuki.html
小倉遊亀 ウィキペディアWikipedia)より
小倉遊亀おぐらゆき、1895年3月1日 - 2000年7月23日)は、日本画家。本名、ゆき。旧姓、溝上。滋賀県生れ。奈良女子高等師範学校卒。
1926年に院展に入選し、1932年に女性として初めて日本美術院の同人となる。色彩に富む人物画や静物画が特徴で、上村松園とともに日本を代表する女流画家。作「O夫人坐像」「小女」「浴女」など。
【経歴】
1895年3月1日、滋賀県大津市丸屋町に生まれる。(旧姓・溝上、遊亀は本名)。
1932年、女性として初めて日本美術院同人となり、1936年に山岡鉄舟門下の小倉鉄樹と結婚。以後鎌倉に住む。1976年日本芸術院会員、1978年に文化功労者に選ばれる。1980年には上村松園についで女性画家として二人目の文化勲章を受章。1990年から96年まで日本美術院理事長を務めた。1999年にはパリで個展を開いた。105歳の長寿を全うして、2000年に鎌倉で没している。

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美の巨人たち 小倉遊亀「O夫人坐像」 2013年6月15日 テレビ東京
【ナレーター】小木薫
今日の一枚は、日本を代表する女流画家・小倉遊亀作『O夫人坐像』。大正、昭和、平成・・・と80年にわたり第一線に立ち続け、105歳でこの世を去るときまで描き続けた画家の、転機となる作品です。縫い物の手を休め、居住まいを正して顔をあげたO夫人は、毅然とした表情で前方を見つめています。周囲には、縫いかけの着物に糸と鋏・・・。鋏には銀泥金箔、帯の柄には胡粉を施すなど日本画らしさが見られる一方で、明快で爽やかな色彩からは洋画的な要素も受け取られます。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/130615/index.html
6月15日 テレビ東京美の巨人たち』 小倉遊亀「O夫人坐像」より
鎌倉と言うと、みなさんは何を思い浮かべますか?
武家のこと、軍人ゆかりの地、さまざまでしょう。しかし、多くの画家たちに愛された町だったことを御存じですか?
洋画界の巨匠、梅原龍三郎は若きころ、材木座に住みました。近代美術家の大家 鏑木清方は雪ノ下で晩年20年過ごしています。そして、北鎌倉にもう1人、トンネルを抜けると遊亀の画室が現れます。
大正・昭和・平成と80年にわたり、第一線に立ち続けた画家は105歳でこの世を去るまで描き続けました。
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葛藤し続けた画家が答えを見つけたのは60歳を前にしたとき、ある作品を描いたことがきっかけでした。
それまでのいろいろな迷いの心が吹っ切れた。私の転機の作品です。
画家の人生を変えた作品とは一体。
東京国立近代美術館 1953年 小倉遊亀作 「O夫人坐像」
周囲には縫いかけの着物に、糸と鋏(ハサミ)、縫い物の手を休めて居住まいを正して顔を上げたO夫人は毅然として表情で前方を見つめています。
日本画らしく鋏には銀泥金箔を施し、帯の柄には胡粉を使い、質感を表現しています。また髪の毛の細部は今までのように線描を用いず、色面で表現しています。
O夫人坐像は単に伝統的な日本画技法を駆使したものではありません。O夫人をよく見てください。その瞳は左右少しずれており、唇は縦に歪んでいます。そして画面から飛び出したO夫人。さらの肩から袖にかけ、浴衣(ユカタ)は自由に折れ曲がり、この絵に躍動感を与えています。伝統的な日本画を超越しているのです。そこに自ら転機と呼んだ所以が。
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平成2(1990)年の夏、95歳の時、
「モチーフを見て、いいなと思ったら描く。想像では描かない。あくまでも、現実のものを目の前にしてよいと感じたものしか、描かない」
何ものにも捕らわれず、無心の心で描きました。植物も石ころも、木も、人間もみな美しい。
どれもこれもこの世は、神様、仏さまが紡いだのだから。
悩み多き画家が掴んだ、一枚の葉っぱだったのです。
小倉遊亀 Google 検索
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