じじぃの「人の生きざま_229_三國・連太郎」

写真で振り返る三國連太郎さん 2013.04.15 MSN産経フォト
日本を代表する映画俳優で、個性派としても活躍した三國連太郎(みくに・れんたろう、本名佐藤政雄=さとう・まさお)さんが14日午前9時18分、急性心不全のため東京・稲城市の病院で死去した。90歳だった。群馬県出身。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く。喪主は長男で俳優の佐藤浩市(さとう・こういち)さん。
http://photo.sankei.jp.msn.com/essay/data/2013/04/15mikuni/
三國連太郎 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E9%80%A3%E5%A4%AA%E9%83%8E/13104
釣りバカ日誌」などで名演 三國連太郎さん死去(13/04/15) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=FnhZbjlLc5w
追悼〜三國連太郎CM集 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Z55EhxZefEg
三國連太郎 ウィキペディアWikipedia)より
三國連太郎(1923年1月20日 - 2013年4月14日)は日本の俳優。本名は佐藤政雄。群馬県太田市生まれ。身長181cm、体重75kg。
【来歴・人物】
敗戦時、三國は収容所に入れられ、独自に作った化粧品などを売って過ごした。中国からの復員の際に、妻帯者は早く帰国できるということで、同じ佐藤姓の女性と偽装結婚している。佐世保から広島を経て大阪に戻り、多種多様な職業についた。なお復員時に鉄道で広島駅へ達した際には、駅から四国が望まれ、原子爆弾の脅威を知る。
ビルマの竪琴』(1956年)、『飢餓海峡』(1965年)、『はだしのゲン』(1976年)、『ひかりごけ』(1992年)など社会派作品から、『未完の対局』(1982年)、『三たびの海峡』(1995年)、『大河の一滴』(2001年)など中国を中心にした国際合作、『犬神家の一族』(1976年)、『野性の証明』(1978年)、『マルサの女2』(1988年)などの娯楽大作まで、主演・助演を問わず幅広く出演。カリスマ的役柄で、圧倒的存在感をスクリーンに残す。1984年には紫綬褒章を受章。1986年には映画『親鸞・白い道』を製作・監督し、カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞。1993年には、勲四等旭日小綬章を受章した。1968年には自ら映画会社APCを設立。
いわゆる役者バカであり、怪優・奇人とも称される。家城巳代治監督『異母兄弟』(1957年)において、老人役の役作りのため上下の歯を10本抜いたエピソードはよく知られている。
2013年4月14日、東京都稲城市の病院で急性呼吸不全により死去。満90歳没(享年91)。生前は浄土真宗の熱心な門徒として知られていたが、一方、「戒名はいらない。三國連太郎のままでいく」と話していたという。

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特別番組 「三國連太郎さんをしのんで」 2013年4月21日 NHK
【キャスター】桜井洋子
今月14日、日本を代表する演技派俳優、三國連太郎さんが90歳で亡くなった。映画「飢餓海峡」「神々の深き欲望」「利休」などでの迫真の演技から、釣り好きの社長スーさん役を愛きょうたっぷりに演じた「釣りバカ日誌」のシリーズ、さらに「冬の旅 ベルリン物語」などのテレビドラマでも活躍、多くの人の心に残る名優だった三國さん。自ら監督した「親鸞・白い道」がカンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞するなど、長年、日本の映画・演劇界を牽引してきた。
NHKでは、三國連太郎さんをしのんで、自ら出演した「世界 わが心の旅」などのドキュメンタリー番組の名場面や、主演のドラマ「老いてこそなお」を全編アンコール放送、たっぷりとご覧いただく。
http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/tokuban/
4月21日 NHK 特別番組 「三國連太郎さんをしのんで」 より
親鸞 白い道 製作発表
小説の執筆を始めてから15年。三國さんは自ら監督を務め、映画を作ります。製作費の5億円の全財産つぎ込んだため、事務所や車に寝泊りする日々でした。
作品はヨーロッパで高く評価され、第40回カンヌ国際映画祭では審査員賞を受賞するなど、脚光を浴びました。
NHKのアナウンサー、「三國くらいになられると、よしやったぞ、ということがおありかなと思ったんですが」
三國さん、「未完だと思います。未完であればあるほど、次の世代が後を継いでくれる。だから今、生きている我々が次の世代に対するプレゼントではないかと思います」
冬の旅 〜ベルリン物語〜 (1991年)
三國さんはテレビドラマでも活躍。戦争で引き裂かれたドイツ人の恋人が産んだ息子と初めて対面する男「加藤」を演じました。自らも体験した戦争という悲劇。
三國さんは放送から5年後の1996年、再びドイツを訪れました。
世界 わが心の旅 (1996年)
ベルリン・自由という名の哀しみ 旅人 俳優 三國連太郎
ベルリンの「ブランデンブルク門」の前に聳え立つ「勝利の女神像」を見上げる三國さんの映像が出てきた。
塔の階段を登っていく三國さん。
三國さん、「私はめったに高いところへは登りません。それは高いところが怖いからです。なぜ? もしかすると、高い建物はすべて権力者が自分を誇示するために作ったものだからだと思うからです」
塔の頂上からはすぐ近くにブランデンブルク門が見える。
三國さん、「ベルリン。この町もまたあの戦争で焼け野原となった町でした」
壁を越えて、西側に行こうとして射殺された犠牲者の墓があります。
十字架の墓が並んでいる墓地の前で、
三國さん、「どんな気持ちだったのでしょうかね、同国人が射殺するということは。何の感傷もなかったんですかね。殺すことにかけて」
三國さん、「それが分からないんですよ。人間の狂気だと思うが。狂気以前のことがあるんだろうけどね」
三國さん、「まあ、同国人同志が鉄砲で殺し合うということ。まさに悲惨に見えますけど。同じことを今でもやっているかもしれませんね。銃でなくて、殺し合いを」

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三國連太郎 Google 検索
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