じじぃの「人の死にざま_1131_杉本・鉞子」

杉本鉞子 - あのひと検索 SPYSEE
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運命的に出会った本 「武士の娘」を通じて 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=N03KYD0qd4s
A Daughter of the Samurai (武士の娘)

海を渡ったサムライの娘 杉本鉞子 玉川大学出版部
激動の明治維新期に越後の家老の家に生まれ、厳格な躾を受けて育った杉本鉞子は、文明開化の東京、アメリカで異文化と出会い、英文の自伝『武士の娘』を著し、日米文化交流の懸け橋の役割を果たした。武士の娘としてのモラルに照らして行動した鉞子の人間像を、『福翁自伝』の福沢諭吉と対比しながら浮かび上がらせる。
http://tamagawa.hondana.jp/book/b27777.html
杉本鉞子
旧長岡藩家老の娘として生まれ、渡米。一九二三年米国雑誌『アジア』に『A Daughter of Samurai』(武士の娘)が連載される。単行本化されると一躍ベストセラーとなり、日本人初の米国におけるベストセラー作家となる。コロンビア大学の講師を勤める。一九二七年(昭和二)日本に帰国、一九五○年没。『成金の娘』『農夫の娘』などがある。
http://www.ofko.jp/mimigaku/meijijinbutsu/meiji-t4.htm
『かくもみごとな日本人』 林望/著 光文社 2009年発行
和魂洋才のお手本 杉本鉞子(1873 〜 1950) (一部抜粋しています)
明治6年に旧長岡藩家老稲垣氏の息女として生まれた鉞子(えつこ)という人があった。旧幕時代に風を色濃く残した当時の上級士族の家庭がどんなものであったか、この人の書いた『武士の娘』という自伝的エッセイを読むとよく分かる。
鉞子は、臍(へそ)の緒が首に巻いて生まれた為に、数珠を掛けて誕生したと信じられ、尼になるべき者として特別に厳しい教育を受けた。高徳の僧を師に厳密な儒教教育を受けたのである。同時に、読書家であった祖母からも『古事記』など様々な物語を聞かされて育った。その幼時の教育によって鉞子は、深い考えと丈高い言葉をもった女性に成長していったものと想像される。もと家老職にあった慈父は開明的な人であったらしいが、そういう父から享(う)けた素質と薫陶も並々ならぬものがあったろう。
米国在住の杉本松雄と婚約が成っての後に、鉞子は何日もの旅を経て東京に出、青山学院で外国人教師たちから手厚い英語教育を受ける。渡米後結婚すると、隣人知人に恵まれて、全く異質な文化に戸惑いながらも、之に和して同ぜず、忽(たちま)ちに英語に通暁(つうぎょう)して大いに日本女性の声価を高からしめたのであった。
不幸にして夫に先立たれ、二人の娘とともに帰国、しばらく娘達に日本の教育を受けさせたあと、再び渡米して、孜々(しし)たる努力の末に『A Daughter of Samurai』という英語によるエッセイを米国の雑誌に発表した。これを単行本として世に送るや直ちにベストセラーとなって、欧州7ヵ国語に翻訳され、遂に鉞子は世界的女流作家となった。
この本を読むと、杉本鉞子はどこまでも謙遜で和やかな人格であったことが分かる。その人柄ゆえに多くの米人師友がたに愛されたのである。
忘れてならないことは、彼女が幼時に徹底して日本語と日本文化の基礎を学んで育ったということである。だからこそ、長じて英語を十分に獲得し得て、流暢な英文で世界の人を驚かせ楽しませることができたのである。

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