じじぃの「人の死にざま_1123_N・タルタリア」

三次方程式の解の公式 物理のかぎしっぽ
http://hooktail.sub.jp/algebra/CubicEquation/
ニコロ・フォンタナ・タルタリア ウィキペディアWikipedia)より
ニコロ・フォンタナ・タルタリア(Niccolo Fontana Tartaglia)は、ブレシア生まれのイタリアの数学者、工学者、測量士で、ヴェネツィア共和国の簿記係だった。彼は、アルキメデスユークリッドの初めてのイタリア語訳を含む多くの著書を著し、数学関係の編集の分野で高く評価された。タルタリアは、初めて数学を用いて大砲の弾道の計算を行った。彼の研究は、後にガリレオ・ガリレイによる落体の実験により検証された。
タルタリアは、今日ではジェロラモ・カルダーノとの対立で最も有名かもしれない。カルダーノは、タルタリアの三次方程式の解法を出版しないと約束して、教えられた。数年後、カルダーノは、独力でタルタリアと同じ解法に辿り着いたシピオーネ・デル・フェッロの未発表の論文をたまたま目にした。その未発表論文はタルタリアのものより前に書かれていたため、カルダーノは約束は無効と判断して、次の著書にタルタリアの解法を載せた。カルダーノが自分の名前で解法を発表したことを知り、タルタリアは激怒した。彼は公衆の前でカルダーノを侮辱した。
タルタリアは、4つの頂点の間の距離を用いて三角錐の体積を表すタルタリアの公式を考案したことでも知られる。

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ニュートン別冊 数学の世界』 2013年2月発行
ニコロ・タルタリア 「3次方程式の解法をはじめて導きだした」 (一部抜粋しています)
現在の代数学へと通じる道を最初に開いたのは、アラビアの数学者アル・ファーリズミー(780? 〜 850?)である。820年に彼は1次方程式の解法を記した『移項と同類項の整理』を出版している。「移項と同類項の整理」とは、たとえば1次方程式
 3x - 1 = x + 15
を解く場合に、まず未知数xを含む項を左辺、踏まない項を右辺に「移項」し、こうして得られた左辺および左辺にある「同類項の整理」を行って、それぞれ次のような方程式が得られる。
 3x - x = 15 + 1、2x = 16
こうして得られた最後の式から求める答えがx = 8であることがわかる。つまり、1次方程式を解くには「移項と同類項の整理」が重要となるのである。
1次方程式とくれば次は2次方程式である。その2次方程式を最も一般的な形
 ax2 + bx + c = 0 (a ≠ 0)
でとりあつかったのは、インドの数学者アリアバータ(476 〜 550?)、ブラフマグブタ(598 〜 660)及びバスカラ2世(1114 〜 1185)たちである。そして、1次および2次方程式の解が得られると、数学者たちの関心は一般的な3次方程式
 ax3 + bx2 + cx+d = 0(a ≠ 0)
の解へと向けられた。その解法を発明したのがニコロ・タルタリア(1499 〜 1557)である。
タルタリアはイタリア北部のブレシアに生まれ、幼いときに父と死別したために、貧困の中で育った。1512年にフランスがブレシアを占領したときに刀傷を受けて口が不自由になり、「吃音(きつおん)」を意味する「タルタリア」が彼の通称となった。本名はフォンタナである。彼は独学で数学を学び、1521年にベローナで、1534年にベネチアで数学教師となった。
そのころ彼は、ボローニャ大学教授のシポオーネ・デル・フェッロ(1456? 〜 1526)が書いた本を読み、3次方程式の解法に興味をもった。
1535年にタルタリアは、当時流行していた数学の試合をフェッロの弟子であるアントニオ・フィオーレとすることになった。30題ずつ問題を出し合い、50日間でより多くの問題を解いたほうが勝ちという約束であった。タルタリアは、フィオーレが出す問題の中に3次方程式があると思い、試合期日の10日前に
 x3 + px + q = 0 (pおよびqは既知数)
の形の3次方程式の解を発見した。そのおかげで、数学試合の当日に、タルタリアはフィオーレの出した問題をわずか2時間で全部解いてしまった。一方、フィオーレはタルタリアの問題を1問も解くことができなかったといわれている。
タルタリアは、自分の求めた3次方程式の解法を世間に発表しなかったが、うわさを聞いたジェロラモ・カルダーノ(1501 〜 1576)は、それを教えてくれるようにタルタリアにたのんだ。はじめは拒絶していたタルタリアも、他人には教えないことを条件として、とうとうその秘密をカルダーノに明かした。
ところがカルダーノはその約束を破り、1545年に出版した『アルス・マグナ(大いなる技法)』という本の中で、3次方程式の一般的解法を発表してしまった。そのため3次方程式の解の公式は「カルダーノの公式」とよばれている。一方、約束を無視されたタルタリアは激怒したといわれる。
タルタリアが3次方程式の一般的解法を、なぜもっと早く世間に発表しなかったのかはなぞである。彼は一生の間にかなりの本を書いており、その中にはカルダーノよりもあとにではあるが、3次方程式の解法についてのべているものもあるからである。

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