じじぃの「人の死にざま_1114_曾我・蕭白」

曾我蕭白 - あのひと検索 SPYSEE
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ボストン美術館、日本の至宝.wmv 動画 YouTube
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ボストン美術館 日本美術の至宝」関連アプリ『My雲龍図』紹介 動画 YouTube
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楽しみなボストン美術館展2012  オーデッター
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美の巨人たち 曾我蕭白雲龍図」 2013年3月9日 テレビ東京
【ナレーター】小木薫
今日の一枚は、その蕭白の最高傑作『雲龍図』です。縦165cm、横は10.8mにも及ぶ巨大な水墨画。左の画面いっぱいに迫力満点の龍が描かれています。しかし、じっくりと眺めてみると、その表情はどこかユーモラス。龍の爪は太く力強い線描で描かれています。ところどころに飛び散る飛沫の激しさ、凄まじさ。その傍らには墨特有の滲みと濃淡で生み出した雲が、不穏な空気を漂わせています。画面右には、うねりをあげた尻尾。波をかき分けるように跳ねています。まさに墨一色が生み出したスペクタクル。見る者を圧倒する迫力です。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/130309/index.html
帰ってきたニッポンの宝! 〜ボストン美術館 秘蔵の超傑作〜 2012年3月15日 NHK
【ゲスト】石坂浩二福岡伸一、はな、北陽虻川美穂子伊藤さおり) 【ナレーション】小山裕香 【VTR出演】中野嘉之、長谷川智彩、しりあがり寿
アメリカのボストン美術館は、“東洋美術の殿堂”と称されます。100年以上にわたる日本美術の収集は、アーネスト・フェノロサ岡倉天心に始まり、今や10万点を超えます。海外にある日本美術コレクションとしては、世界随一の規模と質の高さを誇ります。
 本展は、その中から厳選された仏像・仏画に絵巻、中世水墨画から近世絵画まで、約90点を紹介します。修復を終え、日本初公開となる曾我蕭白の最高傑作「雲龍図」をはじめ、長谷川等伯尾形光琳伊藤若冲などの手による、かつて海を渡った“まぼろしの国宝”とも呼べる日本美術の至宝が一堂に里帰りします。
http://www.nhk-p.co.jp/tenran/20111114_163449.html
曾我蕭白 ウィキペディアWikipedia)より
曾我蕭白(そがしょうはく、 享保15年(1730年) - 天明元年1月7日(1781年1月30日))は、江戸時代の絵師。蛇足軒と自ら号した。
【評価】
蕭白の特徴は、部分の細密で精確な描写能力と対象の動性の的確かつ大胆な把握にある。構図における大胆な空間把握、顔料の性質を熟知した上になりたつさまざまな独創に支えられた鮮やかな彩色は、相共に強烈な不安定さを生み出し、見るものを魅了しまたおののかせる。江戸時代の画史においてすでに「異端」「狂気」の画家と位置付けられていた蕭白の絵は、仙人、唐獅子、中国の故事など伝統的な画題を、同じく正統的な水墨画技法で描いていながら、その画題を醜悪、剽軽に描き出すなど表現は型破りで破天荒なものであり、見る者の神経を逆撫でするような強い印象を与えずにはおかない。
当時、蕭白の作品は、同時代の円山応挙池大雅与謝蕪村ほどではないにしろ、一般の人々に受け入れられていた。蕭白の贋作が多いのは、贋作者のモチベーションを刺激しただけでなく、それだけ蕭白の人気が高かった裏付けともいえる。明治時代以降は評価が低かったが、1968年『美術手帖』誌で連載された辻惟雄の「奇想の系譜」で取り上げられたこと等がきっかけとなり、江戸時代絵画史に異彩を放つ個性的な画家として近年再注目されている。
ボストン美術館 ウィキペディアWikipedia)より
ボストン美術館は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市にある、世界有数の規模をもつ美術館である。
ボストン美術館と日本】
ボストンは貿易港としてアジア諸国との関係が深かったこともあり、ボストン美術館では早くから中国、日本、インドなどアジア地域の美術の収集に力を入れていた。中でも日本美術のコレクションは、日本国外にあるものとしては質・量ともにもっとも優れたものとして知られている。ボストン美術館の日本美術コレクション形成に貢献した何名かの人物について略説する。
●ビゲロー
医師であったウィリアム・スタージス・ビゲロー(1850-1926)もモースの知り合いで、1882年、モースの3度目の来日に同行して来日した。短期の観光旅行のつもりで来日したビゲローは日本の文化や伝統をこよなく愛し、短期の一時帰国を除けばその後7年も日本に滞在することとなった。和服や日本食を好み、天台宗三井寺園城寺)に入門して修行し、「月心」という法名を得ている。

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美の巨人たち 「曾我蕭白雲龍図』」 2013年3月9日 テレビ東京
【ナレーター】小木薫
今からおよそ300年前。京都は日本美術におけるルネサンスを迎えていました。伊藤若冲円山応挙与謝蕪村…。後世に名を遺す多くの絵師が同じ時代、同じ街でしのぎを削っていたのです。中でも圧倒的な存在感を放っていたのが曾我蕭白でした。彼の絵は、良くも悪くも見る人をギョッとさせる力に溢れていたからです。
今日の一枚は、その蕭白の最高傑作『雲龍図』です。縦165cm、横は10.8mにも及ぶ巨大な水墨画。左の画面いっぱいに迫力満点の龍が描かれています。しかし、じっくりと眺めてみると、その表情はどこかユーモラス。龍の爪は太く力強い線描で描かれています。ところどころに飛び散る飛沫の激しさ、凄まじさ。その傍らには墨特有の滲みと濃淡で生み出した雲が、不穏な空気を漂わせています。画面右には、うねりをあげた尻尾。波をかき分けるように跳ねています。まさに墨一色が生み出したスペクタクル。見る者を圧倒する迫力です。
曾我蕭白は、1730年に京都の染物屋に生まれています。しかし、若くして両親を亡くし、17歳で天涯孤独となりました。そこからどういう経緯で絵師になったかは、今も謎に包まれているのですが、30歳の頃には京を離れ伊勢の地で多くの作品を残しています。そして、33歳からは播磨各地をさすらい、34歳の時にこの『雲龍図』を描きました。したがって、『雲龍図』は播磨で制作した可能性が高いとされているのですが、残念ながら確証はありません。
雲龍図』は蕭白、畢生の大作です。なぜなら、この巨大な水墨画にあらゆる技法を隠していたからです。今回は、特別に蕭白水墨画を実物大で再現していきました。すると、分かってきたのです。蕭白の時代を超えた変幻自在のテクニックが。それはまさに250年前の日本で起こっていた絵画革命…。蕭白はこの絵でいったい何を成し遂げたのでしょうか?
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/130309/index.html
3月9日、テレビ東京美の巨人たち』 「曾我蕭白雲龍図』」より
曾我蕭白は時代を超えた多彩な筆づかいで龍という空想の生きものをこの世に出現させたのです。絵画にしかできない力で。現実を遥かに飛び越えて、誰も見たことのない世界を作り出し、人々を驚かせようとしたのです。ところが、蕭白は日本で忘れ去られていくのです。いったい、なぜ?
日本の国会議事堂に似た建物が映像に出てきた。
アメリカ・マサチューセッツ州ボストンにあるボストン美術館。ここに曾我蕭白の世界最大のコレクションがあります。今日の作品「雲龍図」もボストン美術館から120年ぶりに来日しているのです。そこに蕭白という絵師の辿った数奇の運命が隠されているのです。
海を越える
曾我蕭白は40歳を過ぎたあたりから京都に定住しています。当時の絵師のリストに記載されるほど、注文も多くあったのでしょう。
襖に描かれた「虎渓三笑図」の画像が出てきた。
画風も風情も雅(みやび)なものになりました。伊勢や播磨で残された圧倒的な筆力は影をひそめてしまいます。
同志社大学教授 狩野博幸さん、「蕭白の評価にズレが生じ始める。少しずつ忘れられていく」
明治になって、蕭白を高く評価したのはアメリカ人資産家ウィリアム・スタージス・ビゲローでした。
1880年代に日本にやってきたビゲローは、蕭白の作品に驚きと感動を覚えて、捨てられそうな絵100点以上を購入し、アメリカに持ち帰ったのです。
やがて20世紀に入ると、西洋絵画は変貌を遂げていきます。形態の革命 キュビスム、色彩の革命 フォーヴィスム、そして抽象絵画にアクションペインティングと写実でない絵画が主流となっていくのです。
その歴史を俯瞰で見ることができる我々から見れば、蕭白の作品こそ、衝撃的なのです。

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曾我蕭白 Google 検索
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