堀江貴文 - あのひと検索 SPYSEE
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ひろゆき、ホリエモンがtwitterでキーワード収入を得ていることを暴露 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=nRQ-Vtt2uio
モヒカン頭のホリエモン収監会見ノーカット1/2(11/06/20) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=C-ck1H80H2k
堀江貴文 ウィキペディア(Wikipedia)より
堀江貴文(ほりえたかふみ、1972年10月29日 - )は、日本の実業家。株式会社ライブドア元代表取締役社長CEO、SNS株式会社オーナー兼従業員。愛称はホリエモン。
【総選挙立候補】
選挙の結果としては、亀井静香の地盤である広島6区では厳しい選挙戦を強いられ、公明党支持者からの票を得る為に「比例は公明党に」と連呼までして終盤で追い上げたが、結局は亀井静香11万票に次ぐ8万4千票で落選した。民放の開票速報番組で、「比例は公明」と訴えていたことについて丸山和也(当時は非議員、現参議院議員)に真意を尋ねられると、「公明党は改革を支持している政党だから」と発言した。
落選後、今後の衆院選で同じ広島6区から出馬する意向を示唆していたが、翌年の証券取引法違反事件で自身が東京地検に逮捕された事により、四年後の2009年8月の総選挙には出馬しなかった。一方、選挙投票日である9月11日に自身が所有する競走馬のホリエモンが高知競馬場で出走し初勝利を挙げた。
【偽計取引、風説の流布容疑】
東京地検特捜部の指摘によると、ライブドアが実質的に支配する投資事業組合が、既にマネーライフ社を買収していたにもかかわらず、増資や架空売り上げを計上するなどし、ライブドアマーケティング社(現:メディアイノベーション)が、それら事実を偽って公表したとするもの。しかし偽計取引については公判の末、シロ(無罪)となり、風説の流布のみでの実刑判決となった。なお、風説の流布のみでの実刑判決は過去に例がない。
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THE博学 「春の3時間SP」 2015年3月26日 テレビ朝日
【MC】八木亜希子、林修 【解答者】八田亜矢子、加藤登紀子、中野信子、堀江貴文、舛添要一、徳光和夫、高畑淳子、金田一秀穂、やくみつる、橋本大二郎
日本中の面白い本からクイズを出題する。話題のインテリクイズバトル第3弾登場!
第3代『THE博学』の称号を手にするのは誰だ!?
●安部奏著 「さかなのすごい話」から
問題 多くの魚図鑑で記載の順番が「ヌタウナギ」「ヤツメウナギ」→「フグ」「マンボウ」の理由は?
正解 金田一秀穂が「魚の進化の順番」と答えて正解。
決勝 金田一秀穂、堀江貴文
●木村泰司著 「名画は嘘をつく」から
問題 レンブラントの意に反して絵が「夜警」と名付けた理由は?
レンブラントが描いた当時の絵には題名がなかった。100〜200年後、絵はホコリで黒ずんでいたが、描いた当時の絵は日の光が描かれていた。
正解 金田一秀穂が「暗いから夜に見えた」と答えて正解。
●岩中祥史著 「語源に隠れた世界の歴史」から
問題 古代ローマの暦に1月と2月に名前がなかった理由は?
堀江、「オレはまだあきらめないよ」
金田一、「これは自信がない」
正解 堀江貴文が「農作業に関係が無く重要視されていなかったため」と答えて正解。
金田一秀穂と堀江貴文が同点優勝。
http://www.tv-asahi.co.jp/hakugaku/
『文藝春秋』 創刊90周年二月号
日本が震撼した47大事件の「目撃者」 「ホリエモン事件 寵児の素顔は不機嫌だった」 【執筆者】江上剛(作家) (一部抜粋しています)
先日、ある雑誌の取材でリブセンスの村上太一に会った。25歳で東証マザーズ最年少上場を果たした経営者だ。短髪、清潔なスーツ、ふっくらした丸顔に笑顔。素直に未来を語る姿は、どこにも攻撃的な雰囲気はなく、とても少壮気鋭の起業家に見えなかった。失礼だが、外見だけは上品に育った優等生に見えた。
その時、ふと堀江貴文氏(通称ホリエモン)とは随分とちがうなぁと感じ入った。堀江氏は、1996年、学生時代に起業し、インターネット関連企業ライブドアの経営者になった。だが、それだけでは満足しなかった。
「人の心はお金で買える」
「カネがあればなんでもできる」
刺激に満ちた攻撃的な言葉で世間を挑発し、いわゆる時代の寵児となったのだ。突如現れ、既成の大人社会に挑戦する彼の姿にカタルシスを感じた若者たちは彼を支持した。
その契機となったのは大阪近鉄バファローズ球団買収ではなかったか。
彼と、あるテレビ番組で一緒になった。スタジオ内の控え席に座った彼は、Tシャツ、ジャケット、ジーンズにスニーカーという飾らないラフな姿で、何だか不機嫌そうな表情をして、近づき難い雰囲気を漂わせていた。
「野球をやっていたんですか」
私は彼に尋ねた。
「やってませんよ。野球には関心がないんです」
彼は、そっぽを向いたまま答えた。
「へえ、そうなんですか」
球団を買収しようとしているのに野球に興味がないとは驚きだった。
彼は「『マネー・ボール』を読まれましたか」と聞いた。
大リーグの貧乏球団を奇跡の優勝に導いたというベストセラーだ。
「いいえ、読んだことはありません」
彼は、私を馬鹿にしたような顔で見つめ、興味深いことを言った。
「打つだけの奴、走るだけの奴、守るだけの奴、そんな奴を集めれば野球って簡単に勝てるんですよ」
残念ながら、今日に至るまで『マネー・ボール』という本を読んだことがないため、彼の言葉が本の受け取りなのかどうかは判断つかない。
私はその時、彼は監督になりたいのではないかと馬鹿なことを考えた。なぜだかそのことを妙に鮮明に記憶している。彼が真剣に球団を保有したいと考えていたのかは、その様子からはうかがい知れなかった。彼は、人間を機能として動かしてみたかっただけかもしれない。
彼は球団の救世主として登場し、たちまちスターになった。それにつれてライブドアの業績を飛躍的に伸びた。
彼は、「シンプルに考えることが僕の信条です」と著作の中で何度も語っている。ビジネスはスピードが決め手であり、複雑では時代の変化に対応できない。だからシンプルなのだ。
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彼は言葉通りシンプルに戦い続けたのだが、失敗した。まるで小泉規制緩和時代の象徴、貧乏な若者にチャンスが拓かれているんだという格好の実例に使われてしまったかのようだ。それは中国の戦国時代に「王侯将相なんぞ種あらんや」と叫び、農民蜂起を主導し、奏を崩壊させた陳勝に似ていなくもない。陳勝も一時期は王になったが、最後は悲劇だった。
堀江氏は、なぜ失敗したのだろうか。一言でいえばマネジメントがなかったのだろう。P・F・ドラッカーは『イノベーションと起業家精神』の中でベンチャーの創業者には、その判断や強みに対して客観的にアドバイス、すなわち問題にできる外部の人間が必要であると説く。これこそがベンチャーのマネジメントであり、これがないベンチャーは放埓から無秩序、独裁に脱落し、破綻するという。
堀江氏はこの言葉通りの結果になった。彼には誰もアドバイスせず、また彼も誰のアドバイスも受けようとしなかったのではないか。外部の人間は、彼に儲け話を持ってくるだけだ。彼は、やがて独裁者になり、破綻の道に踏み出してしまったのだろう。
堀江氏の存在にどんな意味があったかと言えば、村上氏のような次世代のベンチャー経営者に強烈な失敗の実例を見せつけたことだろう。
前者の轍を踏まないように村上氏はTシャツにジーンズではなく、白いワイシャツにスーツを着用する。その姿は、優等生的だが、じつは何倍も堀江氏よりしたたかに違いない。
堀江氏の失敗で「出る杭は打たれる」という教訓を肌身で知った若者たちが一層深い閉そく感に陥ったことは事実だ。しかし、したたかさを身に付けた新しい経営者を生みだしただけでも良しとしようではないか。