じじぃの「人の死にざま_1043_弘瀬・金蔵」

弘瀬金蔵 - あのひと検索 SPYSEE
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絵金スライドショー 動画 YouTube
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SHUNGA------HIROMI UEARA - place to be 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=xtbUJlz8TEA
SHUNGA PRINTS
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乳ぶさおさへ神秘のとばりそとけりぬここなる花の紅ぞ濃き 小哲姉の毎日 楽天ブログ(Blog)
【訳】
乳房を押さえながら、私は性の神秘のベールをそっと蹴り、そこに入ったのです。燃える心と体を包む愛。そこに咲く花の紅のなんと濃いこと。
http://plaza.rakuten.co.jp/mimuaki/diary/200408100000/
浮世絵 絵金(えきん) 1812(文化9)-1876(明治9)
http://www.emakijaya.com/2008/08/18129-18769.html
弘瀬金蔵 ウィキペディアWikipedia)より
弘瀬金蔵(ひろせきんぞう、文化9年10月1日(1812年11月4日) - 明治9年(1876年)3月8日)は、江戸時代末期から明治にかけての浮世絵師。
本名は生前10回以上にわたり改名しているが一般には弘瀬金蔵の名で知られており、高知県下を中心に絵金(えきん)の愛称で親しまれている。
【人物】
文化9年、高知城下に髪結い職人の子として生まれる。幼少の折から絵の才能で城下の評判となり、16歳で江戸に行き土佐江戸藩邸御用絵師・前村洞和に師事する。また幕府御用絵師・狩野洞益に師事したともいわれる。
高知城下を離れて町医者から弘瀬姓を買い取った後の足取りには不明な点が多いが、慶応年間より叔母を頼って赤岡町(現・香南市)に定住し「町絵師・金蔵」を名乗り、地元の農民や漁民に頼まれるがままに芝居絵や台提灯絵、絵馬、凧絵などを数多く描き「絵金」の愛称で親しまれた。この時期の猥雑、土俗的で血みどろの芝居絵は特に人気が高く、現在も赤岡では毎年7月に各家が屏風絵を開陳する「土佐赤岡絵金祭り」が開かれている。
大政奉還の後は生まれ故郷の高知に戻るが、1873年に中風を患い右手の自由が利かなくなったため左手で絵を描き続けた。

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『もし、日本という国がなかったら』 ロジャー・パルバース/著、坂野由紀子/訳 集英社インターナショナル 2011年発行
日本よ、自らと世界を再デザインせよ (一部抜粋しています)
エロチシズムのデザインも、日本が世界に与えてくれた贈り物の1つです。日本というのは、礼節、作法、慎重さを大いに重視する社会ではあるけれど、そこには欧米に見られるような、身体を恥と結びつけるような宗教的な感覚はありません。体を見せることは恥ずかしいことかもしれないが、罪悪というわけではありません。たとえば、矛盾するようですが、欧米のほとんどの国にあるような公共のヌード・ビーチがない日本ですが、しかし、その文化には驚くほどエロチックな図像があふれています。おそらく明治時代に、ビクトリア朝のイギリスなどを参考に造られた倫理観によって、江戸時代にあったきわめて猥褻で猥談風の文化が、現在の日本の、世に関してかなり堅い文化に変化したのでしょう。しかしいまもその表面をひと皮むけば、昔のみだらな文化が、元気旺盛に生き続けています。
ぼくは上野で北斎展を見ているときに、その矛盾に気づいてハッとしたのです。博物館の売店では、日本語と英語版の2種類のカタログが販売されていました。2つの版は、次の一点を覗いてすべて同じ作りになっていました。それは、英語版には北斎春画が収録されていたのに、日本語版にはなかったということです。
与謝野晶子の句に見られる、時代に先駆けた身体に対する開放的な姿勢は、世界的に見ても珍しい。晶子が『みだれ髪』のいくつかの句で見せたような率直さと正直さは、日本のエロチシズムのデザインを象徴しています。どの国の女性詩人も、1世紀前にこのような詩を書くことはできなかったでしょう。
 乳房おさえ 神秘のとびら そとけりぬ ここなる花の 紅(くれない)ぞ濃き
エロチシズム、グロテスク、演劇性のデザインは、僕が深く愛する、ある芸術家の作品において極限にまで高められています。彼の名前は弘瀬金蔵、通称は絵金。
1844年に贋作(がんさく)スキャンダルに、おそらく無実だったろうと思うが巻き込まれて以来、彼は四国の田舎町を渡り歩いて、染め物師やたこ職人などの職人たちのために絵を描いて暮らしていました。
絵金の天才的な才能が発揮されたのは、彼がふすま絵を描くようになってからでした。それからの大きなふすま絵には、ドラマチックな場面が描かれ、人々の感極まった、ときにはオーガズムを迎えたような瞬間が捉えられています。それはグロテスクか? その通り。残酷なシーンも多く、そのようなさらにグロテスクです。絵金の絵は、まるでビューゲルとダリを1つにして、それをもっとショッキングにしたようなものだと言えます。日本の美術には控えめな表現とミニマリズム(余分な飾りを取り、シンプルに徹しようとするスタイル)しかないと思っている人は、ぜひとも絵金の作品を見てほしい。これが日本の豪華な演劇性の典型例です。

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弘瀬金蔵 Google 検索
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