じじぃの「人の死にざま_1015_桐生・悠々」

桐生悠々 - あのひと検索 SPYSEE
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2011-05-13の作曲&録音「桐生悠々 正義の国と人生」 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=uiuHG05jt68
桐生悠々 画像
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/82/Y%C5%ABy%C5%AB_Kiry%C5%AB.jpg
NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」 第3回「熱狂はこうして作られた」 その16 岩崎公宏のブログ
満州事変で始まったメディアの軍への接近。一方で軍に批判的な態度を残す新聞には言論弾圧が忍び寄った。その一つは信濃毎日新聞。きっかけは1933年(昭和8年)8月11日の紙面に掲載された「関東防空大演習を嗤う」という記事だった。
これまでも軍に批判的な記事を書いていた主筆桐生悠々は、木造家屋が密集する日本は空襲されたら終わりであり、防空演習は役に立たないと論じた。
この記事が軍部の目に留まり、信濃毎日新聞は言論機関としての岐路に立たされた。9月上旬の暑い日、長野市信濃毎日新聞の本社にいた常務の小坂武雄のところに信州郷軍同志会と名乗る団体が突然訪れた。彼らは「我々は会員8万人を代表して、主筆桐生悠々と編集局長の三沢の退社ならびに貴殿による謝罪文の掲載を要求する」と述べた。
http://ameblo.jp/razor777/entry-11143603927.html
桐生悠々 ウィキペディアWikipedia)より
桐生悠々は、石川県出身のジャーナリスト、評論家。本名は政次。明治末から昭和初期にかけて反権力・反軍的な言論をくりひろげ、特に信濃毎日新聞主筆時代に書いた社説「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」は、当時にあって日本の都市防空の脆弱性を正確に指摘したことで知られる。
【個人雑誌 他山の石】
以後の悠々はその死に至るまでの8年間を愛知県東春日井郡守山町(現在の名古屋市守山区)にて「名古屋読書会」の主宰者として過ごした。彼自身が紹介したいと考えた洋書を翻訳しその抄訳を会誌で頒布するという仕組みであり、悠々の言論活動は『他山の石』と題された会誌の巻頭言およびコラム「緩急車」に限られることとなった。抄訳紹介にはたとえばハーバート・ジョージ・ウェルズ、ハロルド・ラスキ、ポール・ヴァレリー、ポール・アインツィヒなどが含まれ、悠々の読書範囲の広さをうかがわせる(名古屋の丸善書店では悠々は最上顧客だったともいう)。もっとも、これら翻訳も彼自身の執筆部分も検閲の対象であったから、○○○、×××といった伏字や白紙化されたページが『他山の石』を埋めることもしばしばであった。
1941年(昭和16年)9月10日、太平洋戦争開戦を3ヵ月後にひかえて桐生悠々喉頭癌のため68歳で逝去。その直前、死期を悟った悠々は『他山の石』廃刊の挨拶を作成したが、これもまた数年後の日本の敗戦に対する正確な予言となっていた。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
桐生悠々(きりゅうゆうゆう) (1873-1941) 68歳で死亡。 (一部抜粋しています)
昭和8年『関東防空大演習を嗤(わら)う』という社説を書いて軍部の怒りを買い、信濃毎日新聞主筆の地位を追われたジャーナリスト桐生悠々は、以来名古屋郊外の守山の自宅で個人雑誌「他山の石」を発行して、不撓不屈の軍国主義批判をつづけた。
その昭和8年ごろから彼は慢性の咽喉カタルを自覚していたが、昭和16年に至って、急にのどの腫物(はれもの)が大きくなり、呼吸困難を感じはじめた。彼はこれがガンだとは知らなかった。
発禁につぐ発禁にも屈しない「他山の石」に、県当局から廃刊命令が来たのは昭和16年8月のことであった。彼もようやく死期の近づいたことを知った。彼はわざわざ赤飯を炊かせ、読者への「廃刊の辞」を書き出した。その末尾は、
「……小生は寧ろ喜んでこの超畜生道に堕落しつつある地球の表面より消え失せることを歓迎致居候も、唯(ただ)小生が理想したる戦後の一大軍粛を見ることなくして早くもこの世を去ることは如何にも残念至極に御座候」
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その後、水のほかは摂取し得ない状態になり、衰弱はその極に達したが、彼は医者の手術を拒否した。この最後の「他山の石」8月20日号が読者の手にとどいた9月10日夜半、彼はその生涯をとじた。
9月12日の葬儀に、憲兵が「他山の石」発行停止命令を持ってやって来たとき、長男の浪男は父の句を口ずさんだ。
「蟋蟀(こおろぎ)は鳴きつづけたり嵐の夜」
太平洋戦争勃発3ヵ月前のことである。