じじぃの「人の死にざま_1004_杉山・元」

杉山元 - あのひと検索 SPYSEE
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野村萬斎 扮する昭和天皇杉山元を叱責 動画 YouTube
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杉山 元
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プライムニュース 「昭和天皇実録」公開 1万ページを読み解く 開戦・終戦時の真意は 2014年9月9日 BSフジ
【キャスター】島田彩夏、反町理 【ゲスト】秦郁彦(現代史家)、山内昌之東京大学名誉教授)
8月21日、昭和天皇実録が完成し、天皇皇后両陛下に献上(奉呈)された。
これは、昭和天皇の生涯に渡る日々の活動を記したもので、61冊約12000ページにも及ぶ。本文中に黒塗りはなく、宮内庁は来春にも公刊する予定だ。太平洋戦争の開戦前や終戦時の昭和天皇の様子がどう記録されているのかなどに注目が集まっている。
この日は識者を迎え、昭和天皇実録についてうかがう。
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d140909_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d140909_1
杉山元 ウィキペディアWikipedia)より
杉山元は、大日本帝国陸軍軍人。元帥陸軍大将、陸軍大臣教育総監、太平洋戦争開戦時の参謀総長。福岡県出身。
陸軍士官学校卒業(12期)、陸軍大学校卒業(22期)。陸軍大臣参謀総長教育総監陸軍三長官を全て経験し元帥にまでなったのは二人しかいない(もう一人は上原勇作)。
【自決をめぐって】
終戦後、9月に入ってから司令官室でピストル自決した(9月12日)が、この際にも彼らしいエピソードを残した。彼は終戦後もすぐに自決せず、終戦直後に療養先から自宅に戻ってきた妻に「自決すべき」と迫られたとされる。既に「御詫言上書」は終戦の日に書き上げて自決の覚悟もしていたようだが、これを妻に明かしたのは23日になってからであった。
終戦処理を終えた後、9月12日朝、部下から拳銃を受け取った後自室に入った彼は、暫くして突然ドアを開き緊張してドアの外で待っていた第53軍高級参謀・田中忠勝大佐に「おい、弾が出ないよ」ととぼけて言ったという。田中大佐が安全装置を外してやるとそのまま部屋に再び入り、胸を4発拳銃で撃ち抜き従容と自決したという。この自決の報を自宅で聞いた夫人は「息を引き取ったのは間違いありませんか?」と確認した後、正装に着替え仏前で青酸カリを飲み、短刀で胸を突き刺し自決して夫の後を追った。2人が再会したのは幡ヶ谷葬儀場であったという。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
杉山元(すぎやまはじめ) (1880-1945) 65歳で死亡。 (一部抜粋しています)
杉山元は、昭和12年日中事変勃発当時、陸軍大臣であり、昭和16年太平洋戦争開戦当時、参謀総長であり、昭和18年には元帥となった。
「明治陸軍建設以来、元帥府に府せられた陸軍大将17名、このなかで杉山ぐらい無能無力な元帥はなかったのではあるまいか。かれは将軍でなく能吏である。三軍叱咤の戦将、帷幄籌謀(いあくちゅうぼう)の謀将ではなく、机上整理の官僚である。ただその時の陸軍の事情によって元帥となった幸運児である」。(松下芳男『日本近代軍人伝』)
かって天皇に叱られて、あとでペロリと下を出したという話もある杉山元は、敗戦当時、本土決戦のための第一総軍司令官の地位にあった。
本土決戦の場合、戦場付近の住民はどうなるのか、この問題に関して「杉山元帥以下の判断は、日本人ならば、大和魂があるならば、決して皇軍の邪魔になるような行動をとることはないであろう、皇土死守の犠牲となって喜んで死ぬだろう、難民となりパニックを起すようなことはないであろうという軍人的解釈の精神論に終始して、これを頼みに本土決戦の基礎が打立てられたのであった」。(昭和20年9月17日「読売報知」より)」
昭和20年9月11日、東条大将が米軍に逮捕されると、彼ももうだめだと観念したのであろう。12日、市ヶ谷の総軍司令部に出勤すると、部下の田中忠勝大佐に自決の意思を伝えた。
田中大佐が、拳銃に弾5発を詰めて渡すと、杉山はそれを持って指令官室にはいっていったが、すぐにワイシャツ姿で出て来て、「おい弾が出ないぞ」といった。田中が見ると、安全装置をかけたままであった。そこで田中は、いま杉山がいじったために弾に故障が生じている可能性もあると考え、第1発目の弾を抜き、安全装置をはずして手渡した。最高級の軍人でありながら、杉山は拳銃の使い方も知らなかったのである。
やがて指令室から相ついで銃声が聞え、田中がはいってみると、杉山はテーブルに向いたソファーの上で血まみれになっていた。しかし4発撃ったのにみな心臓を外れていたとみえて、彼はまだ生きていて、「おい、死ねないぞ、しくじったかな」といった。
田中は軍医部長を呼んで毒薬をもらった。それを口中に流しこまれて、杉山ははじめて絶命した。午後5時55分であった。

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