じじぃの「人の生きざま_149_三遊亭・圓歌(3代目)」

三遊亭圓歌 - あのひと検索 SPYSEE
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三遊亭圓歌 授業中 1/2 動画 YouTube
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【芸人紹介】三遊亭圓歌 Rakugo Performers Promotion 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Akmrb7m-d8U
Air Raid Over Tokyo March 10 1945 (東京大空襲) 1/5 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=XZMn3WhAGMo
徹子の部屋 三遊亭圓歌 画像
http://www.tv-asahi.co.jp/pr/photo/20120815_50115.jpg
三遊亭圓歌(3代目) ウィキペディアWikipedia)より
三遊亭圓歌(本名は中沢信夫、1929年1月10日 - )は、落語家の名跡。当代は3代目。
【来歴・人物】
東京都出身で、岩倉鉄道学校(現岩倉高等学校)卒業後、運輸通信省東京鉄道局に入局し、山手線新大久保駅で駅員を務めた。終戦を迎えた1945年8月に東京鉄道局を退職し、同年9月に2代目円歌に入門した。前座名は歌治。1948年4月に二つ目に昇進し、2代目三遊亭歌奴に改名した。1958年9月に真打昇進した。
得意演目は「授業中(山のあな)」「浪曲社長」「月給日」「中沢家の人々」「我孫子宿」「坊主の遊び」「西行」「湯屋番」「天皇陛下、初めて落語を聴く」「宮戸川」など。
自宅は、東京都千代田区六番町にある作家有島武郎の旧家である。

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徹子の部屋 「16歳の駅員だった私…戦争秘話」 2012年8月15日 テレビ朝日
【司会】黒柳徹子 【ゲスト】三遊亭圓歌(さんゆうていえんか)
終戦記念日の今日、迎えるゲストは落語家の三遊亭圓歌さん。鉄道学校に通っていた圓歌さんは、14歳の時に学徒動員で新大久保駅に配属され駅員として働き始めた。当時、働き手の男たちは戦争に駆り出され、駅員の多くは女子挺身隊の女性たちだったという。今から67年前の今日、圓歌さんは駅長に命じられてラジオを駅のプラットホームに設置。流れてくる玉音放送を乗客たちと共に聴いたという。
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/120815.html
8/15、テレビ朝日徹子の部屋』の番組 「16歳の駅員だった私…戦争秘話」より。
駅のホームでポースをとっている駅員姿の少年の写真が出てきた。
黒柳 空襲警報が鳴るときに、新大久保の駅にいらっしゃったんでしょ。
圓歌 駅員。年よりの人は皆、兵隊に行っているので、駅に泊ったりしていた。お姉ちゃんたちも駅員になっていた。
黒柳 その方たちは挺身隊の人。
圓歌 この間、電話がかかってきて、80歳以上になっているけど、どっかの市会議員かおやりになっているとか。
黒柳 それで、空襲のまっ最中でも、電車はあるんですか?
圓歌 警戒警報というのはあまり関係がなくて、空襲警報になると、無理に電車がズーと駅に入ってくる。全部お客を降して、駅にそばにあった防空壕に入れて。それがまたデッカイ防空壕で。そこに入ってもらって。我々はその防空壕の前で立って。気をつけろ、とか言って。
黒柳 大変ですね。中に入れないのですか?
圓歌 夜になると焼夷弾。きれいですよ。ピカッと。それを見ていると、本当の爆弾が降ってくる。
黒柳 新大久保の防空壕には爆弾は落ちなかった?
圓歌 落ちたけど、防空壕自体には落ちなかった。
黒柳 今日は終戦記念日ですので。当時の短いニュースがあるので、ちょっと観てみましょう。
若い女性たちが、長い棒を持って、一斉に敵に向かい突くような訓練をしている映像が出てきた。
鬼畜英米。撃ちてし止まん。 一億総火の玉となって。日劇ダンシングチームも木銃を握り、足腰を鍛えた・・・。
黒柳 あのような情況の中で、駅で働いていらしたのですが、なんか、女学生の人たちが防空壕の中で、このまま死んじゃうの、なんて言ってたんですって?
圓歌 こんなこと話していいのかな。女の子同士でどうせ、人間として生まれてきて、このまま死んじゃうの、みたいな。防空壕の中で、女の人が、どうせ死んじゃうのだから。
黒柳 何て言ったんですか、その人。
圓歌 どうせ死んじゃうのだから、と。どういう意味だか分からなかった。だけどその時、そうなっちゃったんですよ。
黒柳 防空壕の中で。他に人がいなかったんですか。
圓歌 いなかった。それがね。空襲警報なんかで、パッと開いたんです。中から、お兄ちゃん、脱いでおいで、と言うんです。まあ今から60年以上も前。あんとき俺、あの人にいい事したのかなって、考えたことがありましたよ。
黒柳 その方も複雑な気持ちだったのでしょう。とにかく、3月10日の東京大空襲の時、10万人の人がお亡くなったわけです。あの時、駅にいらっしゃったんですか。
圓歌 僕は駅に勤めていて、下町ですから、あっちこっち、ボコボコやられているわけです。おい、中沢、お前のうち、無いぞ、と言われれて。
黒柳 次の日。朝、歩いて行った?
圓歌 上野の駅まで電車で。上野の駅から歩いて。
黒柳 電車は動いていた?
圓歌 電車は動いていた。私、向島ですから、上野から田原町の方へずっと歩いて、吾妻橋を渡って。今でもかわいそうだなって思うのは、あの隅田川が全部人で埋まっているんです。
黒柳 亡くなった方が。
圓歌 木に付いているカギがあるんです。男だか女だけ調べている人がいるんです。それで引っ掛けて、おっ、知っている人だとか。
黒柳 かわいそう。
圓歌 今、墨田公園の中に、亡くなった方の墓碑がありますけどね。
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