じじぃの「人の生きざま_113_E・ハンソン」

イーデス・ハンソン - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3/25260/
イーデスハンソンさんの講演会 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=DfQ1BVW0siI
和歌山県 NHK
http://www.nhk.or.jp/furu-tabi/80chan/archive/07/wakayama.html
【枝雀と私】イーデス・ハンソンさん 共演、打ち合わせなし 2009年2月18日 asahi.com
お互いに「変わり者」「変人」って、世間から言われていたと思うよ。とにかく、前にも後にも、枝雀さんのような人はだれもおらんやろうね。落語のうまい人はおるけど、ただおかしいだけやなくて、奥底にある何かに、引きつけられるんや。それは説明できへんもん。
初めて会ったのは、関西テレビの番組「ハイ!土曜日です」に桂米朝師匠と出てた時のことやと思う。小米と名乗ってて、お弟子さんとして付いてきていた。まだ髪の毛はふさふさ。特に話をしたわけやないけど、何か気になる人やったな。目が合うと、ニタっと笑っていた。その後、仕事の打ち上げの席で会うことが増えたけど、弟弟子のざこばさんみたいににぎやかに騒ぐことはなく、静かにニコニコとその場にいるのを楽しんでる感じの人やった。
http://www.asahi.com/kansai/mini-rensai/OSK200902180018.html
イーデス・ハンソン ウィキペディアWikipedia)より
イーデス・ハンソン(Edith Hanson, 1939年8月28日 - )は、女性タレント、エッセイスト。オフィス・トゥー・ワン所属。在日アメリカ人。 血液型はAB。
デンマーク系の宣教師の子として父の任地であるインド北部のマスーリ(海抜1825m)で5人兄妹の末娘として生まれる。9歳まで在住。 1960年、米国のオクラホマシティ大学在学中に、大阪大学客員教授として赴任した遺伝生物学者だった4番目の兄と一緒に来日。1963年、文楽人形遣いの吉田小玉と結婚するが、1965年に離婚。
1966年まで大阪在住。以後、東京でのタレント活動などを経て、1987年、和歌山県田辺市中辺路町の山里に移住、熊野古道の散策と田舎暮しを楽しむかたわら、インド、アメリカ、日本での経験を基に、人権、異文化・多民族共生、環境問題などに発言と執筆を続けている。
国際的人権擁護団体のアムネスティ・インターナショナル元日本支部長(1986年-1999年)。日本支部の社団法人化以後は特別顧問を務める。 ベトナムラオスカンボジアなどの児童の生活支援・教育環境改善を目指す特定非営利活動法人エファジャパン理事長(2004年-)。
大の野球好きで、パ・リーグびいき。特に大阪近鉄バファローズファンで知られ、オリックスとの合併反対運動にも参加し各メディアを通じて訴え続けた。いつも観戦する席は記者席の前であり、守備配置やグラウンド全体が見渡せるバックネット裏上段である。 近鉄バファローズ亡き後も「あのコたち(元近鉄の選手のこと)が気になって」観戦を続けている。
大阪府にある近畿大学が2010年春に新設した「総合社会学部」の客員教授に就任。

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徹子の部屋 「来日52年 夢の田舎暮らし」 2012年3月21日 テレビ朝日
【司会】黒柳徹子 【ゲスト】イーデス・ハンソン
1960年に21歳でアメリカから来日以来、日本に住み続けるイーデス・ハンソンさん。33年前、『徹子の部屋』に出演した時のVTRを流すと、ハンソンさんの口から思いがけない告白が…。現在住んでいるのは和歌山県田辺市の山間の集落。自宅周辺の様子を紹介しながら、自然と共存する暮らしぶりを語る。
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/120321.html
3/21、テレビ朝日徹子の部屋』の番組 「来日52年 夢の田舎暮らし」より。
山々が連なる中でその山々の中腹に、雲が一面漂っている景色が出てきた。
黒柳 うらやましいところにお住まいでいらっしゃいます。日本にいらっしゃって52年、半世紀以上日本人のように暮していらっしゃいます。イーデス・ハンソンさん。今日のお客さま。
(ハンソンさん、笑い)
黒柳 和歌山県にお住まいなんですけど、いろいろ楽しいお話を、よろしくお願いします。
ハンソン 50年って、こんなもんかな?
黒柳 私も、あっという間ですね。和歌山県田辺市というところにお過ごしです。さっきの景色ですけど、朝起きるとあの光景が目に入るんですか?
ハンソン あれは、いつでも。うちの庭から撮ったものです。
山々と雲が一体となった景色が出てきた。
黒柳 これはまた、きれいな。
ハンソン これは、さっきの右の方、ちょうど雨が降った後、いろんな沢から湯気が出て。
黒柳 きれいねぇ。
ハンソン なんぼ見ても、飽きない。
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黒柳 アメリカの方でいらっしゃるけど、インドで生まれたんですよね。小さいときにアメリカにいらっしゃって。
ハンソン インドで生まれて、ちょっとアメリカに行って、またインドに戻って、10歳ごろまで。
黒柳 日本にいらっしゃったのは20歳ぐらいのときですけど、英語は覚えているの?
ハンソン 覚えています。何となく。(笑)
黒柳 だけど、日本語で本書いて、何冊も出版しているんですよね。
ハンソン 辞書引きながら、でも面白かった。
黒柳 今は田辺市にお住まいになって、もう25年? 日本にいらっしゃって半分は和歌山県ですね。
ハンソン もうそろそろ、25年です。
黒柳 里芋なんか作ったり、今は何を作っているんですか?
ハンソン いいかげんです。作ったり、作らなかったり。
黒柳 ああいうところに住んでいると普段はいいけど、台風があったとき大変だったんですって?
ハンソン 去年はすごかった。3月の地震津波と比べたら、全然規模が違うけど、でも津波の後のようなのが部落とか、集落があったんです。
黒柳 あなたの所に電気はこない、水道はこないってなっちゃった。
ハンソン 停電はまあまあありますよ。別に台風でなくても。電気が止まると、ポンプで水を汲み上がられないから、水がこない。
黒柳 そういう時は、沢まで水を汲みに行く。
ハンソン 昔はみな、そうだったんですよ。
山の岩肌から水が勢いよく流れる沢の映像が出てきた。
ハンソン ここの沢から約1キロパイプを通して、うちまで。
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黒柳 ご主人も元気で、なによりです。あなたがそこにいらっしゃって、いろんな仕事もしている。近畿大学の先生もしていらっしゃっる。
ハンソン はい。東大阪市。おととしの秋から。
黒柳 どれくらいの割合?
ハンソン 9月から1月まで7回の講義と、それからフィールド・ワーク。
黒柳 一緒にどっか行く。
学生たちが、山の峰を登って行く映像が出てきた。
ハンソン 来てもらうの。こうやって、水源にいく道なんですよ。2晩泊って、それから集落を見てもらって、みんな集落の生活はどういうものか見てもらって。次の日は1日中、山に行っている。そして水源に連れていって。一番最初、飲み水はこんなところからきているよ、とか、夜の本当の暗さ、怖くないよ。夜空、見てみ、きれいでしょって。月の光で自分の影が写るって知らないんですよね。
黒柳 その学生さん、フィールド・ワークしていて、手はどこで洗えばいいんですか、とか。
ハンソン それはお弁当持って行って。1日中山にいる日はね、いろんなものを触ってもらうんですよ。きのことか、コケとか。それでお弁当食べるとき、『あっ、手洗ってない』とか、ほんま、汚いものを触っているわけではない。土って汚くないよって。(笑)
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