じじぃの「人の死にざま_930_G・ハウプトマン」

ゲアハルト・ハウプトマン - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E3%82%B2%E3%82%A2%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%83%97%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3/8639/
Western Poland (#06): Gerhardt Hauptmann 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=tG2emOgGIlo
Florian Geyer lied 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=LfhyUn_ezqw
『沈鐘』 さすらい人の徒然日記
泉鏡花がハウプトマンの『沈鐘』を訳している」と書いておられたので興味を持ち、手持ちの「沈鐘」を読んでみました。
ちなみに泉鏡花の訳による『沈鐘』は、登張竹風との共訳のようです。
http://ameblo.jp/ittetsu23/entry-10408822065.html
ゲアハルト・ハウプトマン ウィキペディアWikipedia)より
ゲアハルト・ハウプトマン(Gerhart Hauptmann)は、ドイツの劇作家、小説家、詩人。1912年にノーベル文学賞を受賞した。
【主な作品】
・1891 - Einsame Menschen(寂しき人々)
・1896 - Florian Geyer(フロリアン・ガイアー)
・1897 - Die versunkene Glocke(沈鐘)

                                        • -

『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
ハウプトマン (1862-1946) 84歳で死亡。 (一部抜粋しています)
『寂しき人々』『沈鐘』などを書き、1912年ノーベル文学賞を受賞したドイツの文豪ハウプトマンは、83で祖国ドイツの敗戦を迎えた。
ソビエト軍は、故郷シュレジュンの山荘に住むこの老文豪を鄭重(ていちょう)に扱ったが、シュレジュンをふくむオーデル、ナイセ東方の地域はポーランドの管理下におかれることになった。
シュレジュン一帯にはポーランド人が続々入りこみ、老衰したハウプトマンを追い出そうとしたが、ハウプトマンは「私はドイツ人だ。ここはドイツだ」といって、動こうとしなかった。1946年4月に、ポーランド政府はついに立退命令を出したが、その命令書を持って来たポーランドの役人に彼は、「お前さんたちは、決して私をこの家から連れ出すことは出来ないよ」と、いった。
5月に彼は肺炎になったが、苦労して手にいれたペニシリンのおかげで回復し、「私の最後の仕事は、ドイツ人に、自信を持て、団結せよ、という演説にしたい」などいっていたが、6月にはいるとまた肺炎がぶり返し、昏睡状態におちいった。
6月3日、ハウプトマンはふと眼をあけ、「わしはまだこの家におるのかな」とつぶやいたが、それが最後の言葉になった。6月8日午後3時10分に息をひきとった。
1時間もたつと、家のまわりにたくさんポーランド人が集まって来て、おもちゃのラッパや笛を吹き、バケツをたたいて、強情に居座りつづけたこのドイツの文豪の死を祝福した。

                                        • -

gerhart Hauptmann Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=gerhart%20Hauptmann%20%E7%94%BB%E5%83%8F&gs_upl=0l0l1l20783lllllllllll0&spell=1&sa=X&oi=image_result_group