じじぃの「世界初のヘッドホンステレオ・ウォークマン!国産はじめて物語」

Sony Walkman CM 1987 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=SlhIQYd-qAg&feature=fvwrel
ソニー ウォークマンZシリーズのハンズオン 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=6qzAhsgwnsM
ipodyoutubeの音楽を入れる 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=my_TQMgZJAI
未来世紀ジパング 〜沸騰現場の経済学〜 (追加) 2014年2月17日 テレビ東京
【司会】シェリー、大浜平太郎テレビ東京報道局キャスター) 【沸騰ナビゲーター】財部誠一(経済ジャーナリスト) 【ゲスト】米倉誠一郎一橋大学イノベーション研究センター教授)、宮崎美子、RENA(インド系モデル)
ソニーが徹底調査で探り当てた、インド人のニーズ
●インド決戦①「絶対に負けられない闘い」 ソニーの逆襲
トリニトロン”や“ベガ”で世界をリードしたソニーのテレビ事業は、今や10期連続の赤字。「テレビ事業の再建」と「新興国市場での事業拡大」を再建計画の柱に掲げている。12億人の人口を抱え、ゆくゆくは中国を抜くとも見られる巨大インド市場は、今後のソニー全体の復活をも左右する。そんな重要拠点を任されるのがソニーインディアの日比社長。沸騰ナビゲーターの財部誠一が「サムスンとのガチンコ対決は厳しい戦いなのでは?」と鋭く切り込むも、「世界的にはそうかもしれないが、インドは違う」と答えた。デリーなど都市部のテレビ販売現場で、その実態が分かるという。直ちに財部は、日比とともにデリー市内の家電量販店に向かった。
ソニーが繰り出すのが「インド画質作戦」。インド人を徹底調査して「鮮やかな色がより鮮やかに見える画質を好む」という傾向を探り当てたのだ。世界首位サムスンと激しい首位争いを繰り広げる、その実態とは。
http://www.tv-tokyo.co.jp/zipangu/backnumber/20140217/
ニューズウィーク日本版』 2012年5月30日号
【特集 ソニーと日本人、再生への試練】
日本が世界に誇るハイテク企業ソニーが、往年の輝きを失ってからしばらくたつ。利益が出ているのは映画、音楽、金融だけで、肝心の家電が不振を極め、会社全体では4年連続の赤字が続く。
ソニーといえばかっては、夢と感動が詰まったおもちゃ箱のような会社だった。トランジスタラジオに始まりトリニトロンテレビ、ウォークマン、CDプレーヤー、プレイステーション、薄型軽量ノートパソコンの先駆けだったVAIO、犬型ロボットAIBO……。その独創性と技術力で世界を魅了し続けたソニーは、日本人のプライドを体現する特別な存在だった。
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ソニーには、日本人の特別な思い入れという越えるべき高いハードルがある。日本人が期待しているのは、いつでもどこでも音楽が聴ける世界初の携帯音楽プレーヤー、ウォークマンを「発明」し、、世界中の音楽ファンのライフスタイルを一変させたソニーの復活だ。
かっての輝き――いうなれば「ソニーらしさ」を取り戻さない限り、ソニーの復活はないと、誰もが思っている。ソニーソニーたらしめたのは、人々に新しい感動や体験をもたらす発想力とそれを製品化する技術力だ。
http://www.newsweekjapan.jp/magazine/73494.php
少し前のまる見えで、アメリカのクイズ番組でポストイットウォークマン、どちら 2012/3/13 Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1083347185
NHK プロジェクト X (挑戦者たち) 名番組よ再び! なぜ、「クォークマン開発」が生まれなかったか。 小島教育研究所
http://blog.goo.ne.jp/mathconman/e/9961c83e9ecc9f36c179edc905a45d52
実践カルチュラル・スタディーズ ソニーウォークマンの戦略 大修館書店
http://plaza.taishukan.co.jp/shop/Product/Detail/20891
ウォークマン ウィキペディアWikipedia)より
ウォークマンWALKMAN)は、ソニーが1979年7月1日に発売した携帯型ステレオカセットプレーヤー及び音楽性能を強化したソニー・エリクソン製携帯電話の名称であり、現在ではソニー製ポータブルオーディオプレーヤーの総称となっている。
場所を選ばず、いつでもどこでも音楽を聴くことのできる製品は画期的で、世界的な大ヒットとなった。それ故に「ウォークマンWALKMAN)」は永らくポータブルオーディオの世界的代名詞であった。
【概要】
もともとはポータブルモノラルテープレコーダーの「プレスマン」から録音機能を省き、ステレオ再生用ヘッドに置き換えステレオの再生に特化して誕生したものだった。初代モデル「TPS-L2」にはその余った内蔵マイクや録音回路を生かし、外部の音を拾いヘッドフォンでモニタできるというホットラインと呼ぶボタンがあった。初代モデルはヘッドホンを2台接続でき2人で同時に音楽を聴くことができたが、相手に話しかける際にボタンを押すことで双方がヘッドホンを外さなくても会話できることから、2人の会話を繋ぐ意味でホットラインと名づけられた。
発売当初はマスコミの反応が芳しくなく、新聞掲載もごくわずかだったために、発売1ヶ月での売上はわずか3,000台に留まっていた。しかし、宣伝部や国内営業部隊のスタッフらによる広告・宣伝活動により、当時の若者たちの間に評判が広がり、8月に初回生産の3万台を完売すると、供給が需要に追い付かない状態が年内いっぱい続いたという。
【旧世代メディア採用機種の販売終了へ】
こうした中、新世代メディアの台頭により旧世代メディアのウォークマンの販売終了も進んでいる。2010年10月22日、カセットテープ型ウォークマンの日本国内での販売終了を発表した。1979年に初代のカセットテープ型の製品が発売されてから、31年間の歴史に幕を閉じた。理由として、音源および機器のデジタル化(音楽配信フラッシュメモリー型製品など)に伴う新世代メディアへの移行がほぼ済んでおりカセットテープの需要が少なくなったことが挙げられる。2010年3月時点のカセットテープ型の世界累計販売台数は約2億2000万台。2010年4月最終出荷分の店頭在庫がなくなり次第その姿を消すこととなる。ただし、中国のEMSで委託生産している日本国外向けは販売を続ける方針。
同様にCD・MD型ウォークマンも需要が落ち込み、2011年7月7日にはMD最終機種のMZ-RH1と「Hi-MD」ディスクの全世界での生産・販売終了を発表した。CD2機種(D-NE241、D-EJ002)は当面の間製造・販売を続ける。

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『国産はじめて物語―世界に挑戦した日本製品の誕生秘話』 レトロ商品研究所/編集 2003年発行
世界初のヘッドホン・ステレオ 「ウォークマンTPS-L2」 (一部抜粋しています)
世界を席巻した「ウォークマン」の誕生にはさまざまなストーリーが流布しているが、ソニー創立50周年記念誌『源流』によれば、ウォークマンは当時名誉会長だった井深大の要望から誕生した。
ソニーは昭和55(1978)年に、教科書サイズの小型ステレオ録音機「TC-D5」を登場させていたが、携帯するにはまだ重く、値段も10万前後と高価だった。井深はこれにヘッドホンを付けたものを海外出張に持って行っては、飛行機の中で音楽を聴いていたが、その重さには閉口。「プレスマンに再生だけでいいからステレオ回路を入れたのを作ってくれんかな」と社内の技術者に持ちかけた。「プレスマン」とは、昭和54(1977)年に発売していたモノラルタイプの、手のひらに乗るくらい小さなテープレコーダーである。
要望を受けたテープレコーダー事業部では、早速プレスマンから録音機能を取り去り、ステレオで音を聴けるように改造し、ヘッドホンを取り付けた改造品を作り上げた。これがウォークマンの原形である。
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昭和54(1979)年7月、プレスマンを改造したウォークマン第1号は井深と盛田の絶大なる支持を得て発売された。
しかしウォークマンの発売には、井深と盛田以外の大半が難色を示していた。録音機能のないものが売れるのか、というのがその意見。それに対して盛田は、「自分の首をかけてもやる決意だ」とまで言ったという。
当時70歳を過ぎていた井深と60歳に近かった盛田。この2人の、自分の年齢や、過去の偉業にとらわれることのない、好奇心に満ちあふれた感性がウォークマンというヒット商品を生み出したのだ。
ところでウォークマンというネーミングは、若いスタッフのアイデアであった。当時スーパーマンが流行していたことと、基になった機種がプレスマンだったことから思いついたという。屋外に持ち出して、歩きながら楽しむという意味も含まれていた。
しかし、ウォークマン和製英語である。そこで海外の販売会社は、このネーミングを使いたくないと言ってきた。そしてアメリカでは「サウンドアバウト」、イギリスでは「ストウアウエイ」、オーストラリアでは「フリースタイル」という名前を付けて売り出してしまうのだ。
しかし、日本でのウォークマンの人気が高まり、来日した外国人がおみやげとして買っていくようになると、いつしかウォークマンのネーミングは海外でも認知されるようになっていった。
そこで盛田は「こうなったら世界中でウォークマンという名称を使おう」と決断し、全世界で名称は「ウォークマン」に統一されることになる。
そして1986年にはイギリスの権威ある英語辞典『Oxford English Dictionary』にも「ウォークマン」は掲載され、正しい英語として認定されるまでになった。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ぼけっと、『国産はじめて物語―世界に挑戦した日本製品の誕生秘話』という本を見ていたら、「世界初のヘッドホン・ステレオ 『ウォークマンTPS-L2』」というのがあった。
「昭和54(1979)年7月、プレスマンを改造したウォークマン第1号は井深と盛田の絶大なる支持を得て発売された」
昭和54年か。ネットで「昭和54年」をキーにして調べてみた。1月にアメリカ合衆国中華人民共和国が国交樹立した。大阪の三菱銀行北畠支店で猟銃強盗殺人事件が起き、女子行員らを人質に立てこもったが犯人は射殺された。アメリカのスリーマイル島原子力発電所放射能漏れ事故が発生した。イギリスで保守党の党首サッチャーが首相に就任した。北海道・三菱大夕張鉱業所でガス爆発が起き、16人が死亡した。韓国の朴正煕大統領暗殺され、全斗煥が軍の実権を握った。11月に第二次大平内閣が成立した。12月、国鉄リニアモーターカーが宮崎実験線において時速504キロの世界記録を達成した。ノーベル賞平和賞はインドの マザー・テレサが受賞した。歌では、ジュディ・オングが「魅せられて」、さだまさしが「関白宣言」、サザンオールスターズが「いとしのエリー」を歌っていた。テレビでは、徳光和夫 司会の『ズームイン!! 朝!』、藤子・F・不二雄原作のアニメ『ドラえもん』、藤田まこと 主演の『必殺仕事人』、武田鉄矢 主演の『3年B組金八先生』、関口宏 司会の『クイズ100人に聞きました』の放送が始まった。コマーシャルでは世良公則 作曲の「燃えろ、いい女」がテレビから流れた。エズラ・ヴォーゲル著『ジャパン・アズ・ナンバーワン』がベストセラーになった。昭和53年に登場した『スペースインベーダー』が大流行した年でもあった。
2月20日日本テレビ 『世界まる見え』で、世界中で話題騒然のクイズ番組という紹介をやっていた。
クイズで「マッキングトッシュ」、「ポストイット」、「ウォークマン」の内、どれが一番先に発売されたか、という問題に対して回答者夫婦はポストイットが先と予想したが、答えはウォークマンということで夫婦は賞金を獲得することができなかったというものだった。(番組終了後、いちゃもんがついたが)
「2010年3月時点のカセットテープ型の世界累計販売台数は約2億2000万台」
カセットタイプのウォークマンに、CDタイプのウォークマン、その他のタイプを含めるとウォークマンの世界累計販売台数は約4億になるらしい。
ウォークマンは全世界の人々に愛された。
今のソニーに発売当時の勢いはない。
きっと、全世界の人々がソニーの復活を願っているに違いない。