じじぃの「ソニーには日本人の特別な思い入れがある・ソニーと日本人・逆襲のシナリオ!ニューズウィーク」

SONYの逆襲 (NHKスペシャル 逆襲のシナリオ第1回) 趣味と健康日記 動画あり
http://blog.goo.ne.jp/jms0557/e/b991b3f149425211d899b30a5929cfc5
30s ソニー ウォークマン Sony Walkman CM ②  動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=2keYsYqv-UE
Sony Walkman CM 1987 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=SlhIQYd-qAg&feature=fvwrel
Columbia Pictures and Sony Pictures Animation 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=b5XAVws0UsE
未来世紀ジパング 〜沸騰現場の経済学〜 (追加) 2014年2月17日 テレビ東京
【司会】シェリー、大浜平太郎テレビ東京報道局キャスター) 【沸騰ナビゲーター】財部誠一(経済ジャーナリスト) 【ゲスト】米倉誠一郎一橋大学イノベーション研究センター教授)、宮崎美子、RENA(インド系モデル)
ソニーが徹底調査で探り当てた、インド人のニーズ
●インド決戦①「絶対に負けられない闘い」 ソニーの逆襲
トリニトロン”や“ベガ”で世界をリードしたソニーのテレビ事業は、今や10期連続の赤字。「テレビ事業の再建」と「新興国市場での事業拡大」を再建計画の柱に掲げている。12億人の人口を抱え、ゆくゆくは中国を抜くとも見られる巨大インド市場は、今後のソニー全体の復活をも左右する。そんな重要拠点を任されるのがソニーインディアの日比社長。沸騰ナビゲーターの財部誠一が「サムスンとのガチンコ対決は厳しい戦いなのでは?」と鋭く切り込むも、「世界的にはそうかもしれないが、インドは違う」と答えた。デリーなど都市部のテレビ販売現場で、その実態が分かるという。直ちに財部は、日比とともにデリー市内の家電量販店に向かった。
ソニーが繰り出すのが「インド画質作戦」。インド人を徹底調査して「鮮やかな色がより鮮やかに見える画質を好む」という傾向を探り当てたのだ。世界首位サムスンと激しい首位争いを繰り広げる、その実態とは。
●未来予測 インドの現場が日本を変える
かつて世界を席巻した日本の家電メーカー、しかし近年グローバル戦略で苦戦を強いられている。その大きな原因に、現地化と言いつつも日本の本社から現地の支社をコントロールしようとする官僚的な体制があった。本当の意味でのローカル化とは、現地の人をただ社長にすれば良いということではなく、きちんとした信頼関係を築く事によって現地のニーズに合わせたものづくりが出来ることなのだ。インドの現場が日本の「殻を破る」ことによって、日本のビジネススタイルが変わる。インドの現場で働く人々が日本を変えると財部は予測する。
http://www.tv-tokyo.co.jp/zipangu/backnumber/20140217/
NHKスペシャル 「メイド・イン・ジャパン 逆襲のシナリオⅡ 第1回 ニッポンの会社をこう変えろ」 2013年5月11日 NHK
【司会】ジョン・カビラ上田早苗 【解説】片岡利文、有馬嘉男 【ナレーター】高橋克美、小林千恵
去年秋、「日の丸家電」苦戦の本質から製造業の逆襲のシナリオを考えたシリーズの第2弾。円高が修正され、家電メーカーの株価も値上がりするなど状況が好転し始めているかに見える中、本当の意味での復活につなげ「失われた20年」に終止符を打てるのか、それとも「あだ花」に終わってしまうのか。日本経済にとってきわめて大切な時期を迎えるいま、前回とは違う角度から製造業の課題と進むべき道を探り出し「シナリオ」を提示します。
高品質なイメージ  (博報堂 Global HABiTより抜粋)
           日本製  アメリカ製  韓国製

                                                                                • -

香港        82.2%   51.6    38.5
シンガポール   82.8    48.1    42.0
ソウル       63.3    38.9    51.5
バンコク      51.7    37.7    17.7
マニラ       61.3    69.6    19.2
ジャカルタ     62.2    40.1    15.8
デリー       66.4    49.4    44.2
北京        44.8    18.3    18.3
                  16都市で調査 回答
アジアの主要都市で各国の製品がどういうイメージを持たれているかという調査です。その中の1つ「高品質なイメージ」という調査では日本が圧倒しています。フィリピンのマニラ以外では全部トップです。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0511/
NHKスペシャル 「メイド・イン・ジャパン 逆襲のシナリオ第1回 岐路に立つ"日の丸家電"」 2012年10月27日
ソニーパナソニック、シャープ・・・「メイド・イン・ジャパン」を象徴する電機メーカーが昨年度、過去最大の赤字となるなど、日本の製造業が大きな転換点を迎えている。なぜこうした状況に陥ったのか、サムスンなどライバルメーカーはどうやって力をつけたのか、そして、どうしたら逆襲のシナリオを描けるのか。この20年あまりの各社の戦略・時代の変化を見つめ直しながら、格闘する現場を密着ルポし、日本の製造業の行方をシリーズで考える。1回目は「日の丸家電」。ソニーでは平井社長が進める改革に密着。縦割りだった組織を「ワンソニー」としてひとつにまとめ、商品開発の仕組みを変えようとする現場などを取材。一方、シャープでは、台湾のホンハイと提携することに活路を見いだそうとする現場を取材。両社の過去の経営陣の証言を交えながら、なぜ両社が苦しんでいるのか、どこに逆襲のシナリオがあるのか考える。あわせて、強力なライバルとなったサムスンやハイアールも取材し、日本企業がとるべき戦略を重層的に考える。
現在、ソニーは世界レベルでの販売戦略に力を注ぎ果敢に攻めようとしています。その第一歩がインドで成功を治めたテレビのカラー調整です。自然な色よりもインド人が好む「青」と「赤」を強調したテレビを開発しました。このインド仕様の高画質のテレビはソニーが長年高い技術から生まれたもので、サムスンが真似のできない技術です。ソニーはこの技術でインドでNO.1の売上げを達成しました。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/1027/index.html
ソニー、インドのテレビ局株追加取得 2012年6月15日 SankeiBiz
ソニーは14日、テレビ放送事業を手掛ける米国のグループ会社が、インドのテレビ放送局マルチスクリーンメディア(MSM)の株式を今年末までに追加取得し、保有比率を現在の約62%から94%強へ引き上げると発表した。取得額は2億7100万ドル(約215億円)で、2015年度にかけて分割して支払う。MSMはヒンディー語の娯楽番組、クリケットなどのスポーツ番組、米ハリウッド映画、音楽番組などを放映するインドの視聴者に人気のチャンネルを運営している。
http://www.sankeibiz.jp/business/news/120615/bsg1206150502002-n1.htm
音とデザインを追求し続けた“ウォークマン  ソニー
音とデザインを追求し続けた“ウォークマン” 〜音楽を持ち運ぶライフスタイルが生まれてから30年〜
https://msc.sony.jp/member/mail/mysony/feature/20090702_1/index.jsp
ソニー ウィキペディアWikipedia)より
ソニー株式会社(SONY CORPORATION)は、日本を代表する大手電子機器メーカー・電機メーカーである。AV機器分野においては、世界最大手である。特に音響・映像機器や放送機材では、世界屈指のブランド力を持つ。エレクトロニクスをはじめ、エンターテインメント、金融、流通等多分野の企業を包括するソニーグループの中核企業。創業者は井深大盛田昭夫である。
【歴史・製品分野別の沿革】
・1950年(昭和25年)、日本で初めてテープレコーダーを製作、販売した。
・1958年(昭和33年)、ソニー株式会社に社名を改め、東京証券取引所に上場した。
・1960年(昭和35年)、世界最初のトランジスタテレビを発売。
・1968年(昭和43年)、世界初のトリニトロン方式によるカラーテレビ「KV-1310」を発売。
・1979年(昭和54年)、ウォークマン「TPS-L2」を発売し大ヒットした。
1984年(昭和59年)、世界初の携帯CDプレイヤーディスクマン「D-50」を発売。
・1987年(昭和62年)、世界初のデジタルVTRを発表、発売(D1方式、定価:700万円)。
・1989年(平成元年)、コロンビア映画(現、ソニー・ピクチャーズエンタテインメント)を買収。
・1996年(平成8年)、 パソコンVAIOVAIO)「PCV-90」を北米で発売。
・1999年(平成11年)、子犬型ペットロボットAIBO「ERS-110」を発売、国内では販売開始から20分で完売する売れ行きだった。
・1999年(平成11年)、DSD技術を用いた世界初のSuper Audio CDプレーヤー「SCD-1」(定価:50万円)を発売。
・2003年(平成15年)、当時世界初のBDレコーダー「BDZ-S77」発売。
・2006年(平成18年)、世界の液晶テレビの出荷におけるシェア率で初の1位となる。

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ニューズウィーク日本版』 2012年5月30日号
特集 ソニーと日本人、再生への試練 (一部抜粋しています)
日本が世界に誇るハイテク企業ソニーが、往年の輝きを失ってからしばらくたつ。利益が出ているのは映画、音楽、金融だけで、肝心の家電が不振を極め、会社全体では4年連続の赤字が続く。
ソニーといえばかっては、夢と感動が詰まったおもちゃ箱のような会社だった。トランジスタラジオに始まりトリニトロンテレビ、ウォークマン、CDプレーヤー、プレイステーション、薄型軽量ノートパソコンの先駆けだったVAIO、犬型ロボットAIBO……。その独創性と技術力で世界を魅了し続けたソニーは、日本人のプライドを体現する特別な存在だった。
ところがソニーが果たしてきた「新しい生活を創造する」役割は、iPadiPhoneで世界を席巻したアップルにとって代わられている。業績面では、既に韓国のサムスンに大きく水をあけられた。
自らは革新的な製品を生んだことがないサムスンと比較されるということ自体、ソニーが他のどんな会社とも似ていない孤高の存在だった昔なら、考えられないことだった。今のソニーは、革新的な製品を生み出すよりも業績回復に追われる「普通」の一流企業だ。
ソニーが危機に瀕している今、復活待望論もかってなく高まっている。一般にはソニー集落の原因は部品の自前主義や赤字を垂れ流し続けるテレビ事業、「サイロ型」と揶揄される縦割り組織の弊害が原因と言われている。だが、たとえこれらの課題に取り組んで黒字転換できたとしても、それだけではソニーが復活したことにならない。
ソニーには、日本人の特別な思い入れという越えるべき高いハードルがある。日本人が期待しているのは、いつでもどこでも音楽が聴ける世界初の携帯音楽プレーヤー、ウォークマンを「発明」し、、世界中の音楽ファンのライフスタイルを一変させたソニーの復活だ。
かっての輝き――いうなれば「ソニーらしさ」を取り戻さない限り、ソニーの復活はないと、誰もが思っている。ソニーソニーたらしめたのは、人々に新しい感動や体験をもたらす発想力とそれを製品化する技術力だ。
皮肉なのが、かってはソニー自身が「感動体験」を売り、新市場を開拓する企業の先駆者だったことだ。79年に発売したウォークマンは、盛田昭夫と共にソニーを創業した井深大が飛行機の中で音楽を聴きたいと思ったことが開発のきっかけだった。
ヘッドホンでしか聴けず、さらに当時の小型化技術ではソニーが誇る音質は犠牲にせざるを得なかった。メディアは「耳が痛くなる」と懐疑的で、社内からも一斉に反対の声が上がった。だが、この10センチほどの大きさしかない小さな電子機器が、音楽の楽しみ方の幅を大きく広げた。
ソニーは、創業者の井深自身が「エスパー研究所」を作るような、異端や失敗に寛容な会社でもあった。それがヒット商品の連続で会社が肥大化するにつれ、デジタル製品開発のスピードについていけなくなった。
東京の品川にあるソニー歴史資料館には、日本発のNゲージ鉄道模型を目指したソニーマイクロトレーンや電子調理器、カード式音声教育玩具といった今のソニーからは想像もできない過去の「失敗作」が並んでいる。戦後、井深が起草した設立趣意書にある「自由闊達にして愉快なる理想工場」を思わせる。逆に、最近のソニーからこんな思い切った失敗が生まれなくなって久しい。あの雰囲気はどこへ行ったのか。
「アナログ時代は一人の技術者が片手間で開発した技術がヒット商品になることもあり得たが」と、ソニーの広報・CSR担当役員の神戸司郎は言う。「何人もの技術者がかかりきりになってやっと製品が完成するデジタル時代にそれは難しい」 「技術のタネはたくさんある。ある部署から現に200近いアイデアが上がっている」と、平井は言う。だがそのアイデアを「生活を変える」製品に昇華できるかどうかは未知数だ。
ソニーが復活するのは、アップルのような「究極の選択」に踏み切らなければならないだろう。他社と同じ土俵に立つことをやめ、「ソニーの敵はソニー自身」という考えに立ち返り、他人が思い付かない新しい発想というソニー本来の「強み」に集中する――。重電や白物家電といったほかの電機メーカーのような安定した収入源のないソニーが「世界が驚かせる製品」を作れなければ、その未来はじり貧だ。
「マーケットに合うような商品を作っていたのでは後れを取る」と、ソニー創業者の盛田は言い残した。音質は劣るが潜在的需要を開拓したウォークマンこそ、ソニーが目指すべき製品の格好の例だ。「ソニーらしさ」の答えは、ソニーの中にある。
平井が「技術のタネ」を生かせるかどうかは、それを再発見できるかどうかに懸かっている。
      ・
IBMの決断は、ソニーにとっても参考になる。彼らは過去の得意分野へのこだわりを捨て、不採算部門を躊躇なく切り捨てた。重要なのは、アップルと同じ土俵で勝負しなかったことだ。
IBMなら、アップル流のビジネスも十分に可能だったはずだ。だが、彼らは代わりに自社の内部に目を向け、将来の鍵となる存在を探した。
IBMの場合、答えは「社内の人材」だった。過去に目を向け、社内が最も創造性にあふれていた時期と迷走の原因を見極めることは、ソニーにとっても重要かもしれない。
今のソニーが最初にやるべきなのは、従来の自己イメージと決別し、今後のビジョンを真剣に考えることだろう。
http://www.newsweekjapan.jp/magazine/73494.php
どうでもいい、じじぃの日記。
図書館で、表紙に大きく「ソニーと日本人」というタイトルが書かれた少し古い週刊誌(『ニューズウィーク日本版』 2012年5月30日号)を見つけた。
ソニーと日本人」か。
日本は2011年3月11日、東日本大震災で壊滅的被害を受けた。そして、2012年4月9日、「ソニー、1万人削減へ」のニュースが流れた。
あたかも、ソニーの凋落は東日本大震災と連動して、日本の凋落を暗示しているかのようだ。
ソニーには、日本人の特別な思い入れという越えるべき高いハードルがある。日本人が期待しているのは、いつでもどこでも音楽が聴ける世界初の携帯音楽プレーヤー、ウォークマンを『発明』し、、世界中の音楽ファンのライフスタイルを一変させたソニーの復活だ」
また、こんなことも書かれている。
「自らは革新的な製品を生んだことがないサムスンと比較されるということ自体、ソニーが他のどんな会社とも似ていない孤高の存在だった昔なら、考えられないことだった」
ネットで「ソニーの歴史」をキーにして検索してみた。
ソニーの歴史には日本初、世界初がいかに多いことか。
ソニーウォークマン「TPS-L2」を発売したのは1979年だ。全世界の人がウォークマンを持ち歩いた。
ソニー神話」というのがある。
「人真似はしない」、「他人のやらないことをやる」
これはソニー創業者 井深大の言葉だ。
世界の工場が日本から韓国へ、韓国から中国へとシフトしている。
「日本が間違えたのは、1985年のプラザ合意時だと思う。あの時、日本は新世界への大飛躍の入り口に立っていた。ドルの過大評価が修正されることの裏返しとして、円の価値が上がる。それに伴って、日本経済の体質と構造が変わる。日本経済物語の新しいページに新しいイメージが書き刻まようとしている。その瞬間が、あの時だった」
          ―― 『文藝春秋』2012年 新年特別号 特集 「日本はどこで間違えたか? もう一つの日本は可能だったか?」(エコノミスト 浜矩子氏)より
1989年、日本はバブル絶頂期だった。9月にソニーアメリカのコロンビア映画を買収し、10月に三菱地所アメリカ のロックフェラービルを買収した。 12月には東証大納会日経平均株価が史上最高値の38,915円を記録した。
プラザ合意があった1985年はバブル絶頂期に突入する直前だった。誰が、一体、バブル絶頂期直前に、今日の日本を想像しえただろうか。
世界の人々は、こんなソニーウォークマンで喜びを与えてくれた時代を懐かしく思っているのだ。ソニーに代表される日本の復活を望んでいるのだ。
それには、韓国や中国が真似できないこと、他人のやらないことをやるしか、ソニーと日本の復活はないのかもしれない。