じじぃの「人の死にざま_921_G・ラスプーチン」

グリゴリー・ラスプーチン - あのひと検索 SPYSEE
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The Assassination of Grigori Rasputin 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=76MQqlx7x1w
Tribute to Grigori Rasputin 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=WkCE6WKqzBk
グリゴリー・ラスプーチン ウィキペディアWikipedia)より
グリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチンラテン文字転写:Grigorii Efimovich Rasputin、1871年1月23日? - 1916年12月29日)は、帝政ロシア末期の祈祷僧。シベリア、チュメニ州ポクロフスコエ村出身。
奇怪な逸話に彩られた生涯、怪異な容貌から怪僧・怪物などと形容される。ロシア帝国崩壊の一因をつくり、歴史的な人物評はきわめて低い反面、その特異なキャラクターから映画や小説など大衆向けフィクションの悪役としては昔から非常に人気が高く、彼を題材にした多くの通俗小説や映画が製作された。
【暗殺】
皇后の信任を背景にラスプーチンが宮廷人事を左右しはじめたことに宮廷貴族たちは危機感を抱き、ついに暗殺の計画が立てられた。1916年12月29日、皇帝の姻戚のユスポフ公は皇帝の従兄弟のドミトリー大公と共謀し、ラスプーチンを晩餐に誘い、彼の食事に青酸カリを盛った。しかしラスプーチンは毒入りの食事を平らげた後も態度に変化を示さず、周囲を驚愕させた。食後に祈りを捧げていたラスプーチンは背後より重い燭台で何度も激しく頭部を殴打されたのち、大型拳銃で2発の銃弾を撃ちこまれた。反撃に出るがさらに2発、計4発の銃弾を受け、倒れたところに殴る蹴るの暴行を受けて窓から道路に放り出された。それでも息が残っていたので、絨毯で簀巻きにされて凍りついたネヴァ川まで引きずられ、氷を割って開けた穴に投げ込まれた。3日後、ラスプーチンの遺体が発見され、警察の検視の結果、肺に水が入っていたため死因は溺死とされた。川に投げ込まれた時もまだ息があったのである。

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『インテリジェンス人間論』 佐藤優/著 新潮社 2007年発行
怪僧ラスプーチンとロシアン・セックス (一部抜粋しています)
今回、編集部からいただいたお題は「セックスの壁・怪僧ラスプーチンとロシアン・セックス」だ。帝政ロシア末期に宮廷で暗躍し、皇帝や皇后に多大な影響を与えた民間宗教家・治療師のグリゴリー・ラスプーチンは、精力絶倫であったとか、巨根であったとか、青酸カリ入りのケーキを食っても死ななかったとか、様々な伝説がある。このような伝説が独り歩きし、うさんくさい人物をラスプーチンと呼ぶ伝統ができた。
2002年2月、わが日本国でも国会で辻本清美衆院議員が「外務省にラスプーチンという職員はいますか」という質問を行ったのを契機に、筆者も「外務省のラスプーチン」と呼ばれる光栄に浴し、それがその後の逮捕・起訴につながっていく。グリゴリー・ラスプーチンと前世の因縁があるからこのようなことになったのであろう。実は、ラスプーチンについては、ロシアのインテリの間ではそれほど評判は悪くない。むしろ硬直したシステムで皇帝に正しい情報が上がらない情況に風穴をあけ、民の声を伝える機能を果たしたという見方をする人が多い。時に第一次世界大戦に反対した平和主義者で、またロシア革命を予言した天才的洞察力をもった宗教人との評価もよく聞く。この人物に関心をもたれる読者にはエドワード・ラジンスキー沼野充義/望月哲男訳)『真説ラスプーチン』(上下2巻、NHK出版、2004年)をお勧めする。新発見資料の解読を含むラスプーチンの全貌に迫る名著だ。本稿ではラスプーチンのセックスを中心に、同書の記述を基礎にいくつかの謎解きをしたい。
1.ラスプーチンのイチモツのサイズはどれくらいだったのか?
以下はラスプーチンの有人で出版者だったフィリッポフの証言だ。
<「彼の体は非常にがっしりとしてしまっており、血色がよくスマートで、この年齢にあっては当たり前の腹のたるみも筋肉の衰えもありませんでした。そしてある年齢になると黒くなったり茶色がかったりする性器にも、黒ずみは見られませんでした」これが、彼が指摘している「肉体的特徴」のすべてだ。異常なところは何もなかった。当時の伝説やのちに作られることになる伝説にあるような、巨大な性器などを持っていたわけではなかった。きちんとしていて大変きれい好きな、若々しい体をした農夫――ただそれだけだった>(『真説ラスプーチン』)
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2.青酸カリ入りのケーキを食べてもなぜラスプーチンは死ななかったのか?
牛を殺すほどの量の青酸カリの入ったケーキを食べ、ワインを飲んでもラスプーチンは死ななかったと実行犯の一人フェリックス・ユスポフ侯爵は手記で述べている(フェリックス・ユスポフ侯爵『ラスプーチン暗殺秘録』青弓社、1994年)。しかし、常識で考えて青酸カリを飲んで死なない人物はいない。回想録と常識が乖離する場合、だいたい常識の方が正しいのである。この謎解きはどのようになるのだろうか。ラスプーチンはそもそも甘い物を食べない。
<それでは、どうして毒が効かなかったのか? ラスプーチンの娘、マトリョーナも回想録の中で、同じ疑問を発している(中略)。そして、自らこう答えている。……父はどんな毒入りケーキも食べるはずがなかった。特別な食餌療法(ダイエット)をしていたから>(『真説ラスプーチン』)
<彼が甘いケーキを食べることなどありえなかった。これもまた作り話なのだ。彼はワインに混入した毒の溶液を飲んだだけだった。そして毒は薄すぎたのだ。ケーキの話は、フェリックスが後になって思いついたものだろう――ラスプーチンという悪魔を普通の人々が英雄的に打ち破った、という説明を編み出した際に>
ラスプーチンは拳銃で撃たれ、その後、川に投げ込まれて絶命した。毒入りケーキは食べず、ワインの毒は薄すぎたということに過ぎないが、これでは話が面白くない。ここから青酸カリを飲んでも死なない化け物が生まれてくる。

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