じじぃの「人の生きざま_121_北・杜夫」

作家の北杜夫さん死去 「どくとるマンボウ」シリーズ 2011年10月26日 asahi.com
とぼけたユーモアに文明批評を織り込んだエッセー「どくとるマンボウ」シリーズで人気を博し、「楡(にれ)家の人びと」などの小説で知られる作家の北杜夫(本名斎藤宗吉)さんが、24日午前6時2分、腸閉塞のため東京都内の病院で死去した。84歳だった。
http://www.asahi.com/obituaries/update/1026/TKY201110260123.html
北杜夫 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E5%8C%97%E6%9D%9C%E5%A4%AB/1702/
北杜夫 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=9JaciQ3-n8c
【ズバリ!文化批評】北杜夫を偲んで[桜H23/11/4] 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=xj28LdmyvWs
ニュースウオッチ9 (追加) 2012年5月3日 NHK
【キャスター】大越健介井上あさひ
北杜夫が書き遺した“クプクプ” 執筆秘話 手塚治虫への思いとは
去年亡くなった北杜夫が書き残していた未発表の作品「手塚さんの偉大さ」に、手塚治虫への思いやエピソードがユーモアあふれる文体で書かれている。
    ↓ 参考まで
http://d.hatena.ne.jp/cool-hira/20120505/1336165956
北杜夫 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
北杜夫(本名:斎藤宗吉、1927年5月1日 - 2011年10月24日)は、日本の小説家、エッセイスト、精神科医、医学博士。
【生い立ち】
東京市赤坂区青山南町(現在の東京都港区南青山)に、母・斎藤輝子、父・茂吉の次男として生まれた。生家は母・輝子の実父、斎藤紀一が創設した精神病院、「青山脳病院」であった。
少年時代は昆虫採集に深く熱中する日々を送り、文学には興味を抱かなかった。
父・茂吉の短歌の素晴らしさに触れた北は、それまでは恐ろしいカミナリ親父、頑固親父としか思っていなかった父親を優れた文学者として尊敬するようになった。しかし、進路を決める際、志望外であった医学部へ進学する事を一方的に厳命され、ささやかな抵抗や交渉を試みるも父の威力を覆すことは敵わず、東北大学医学部へ進学した。当時は精神科医では食べて行けないと思われていたため、父からは外科医になることを望まれていたが、霰粒腫の手術を見て気を失いかけ、外科に進むのを断念した。『トニオ・クレーゲル』の影響で大学時代に小説を書き始め、さまざまな雑誌の懸賞に応募したが片端から落選し、一度だけエログロ雑誌に代作者として採用され1枚30円の稿料を貰ったのが職業作家としての第一歩だった。
大学卒業後は東京に戻り、慶應義塾大学病院インターンとなった。無給であったため、すでに所帯を構えていた兄の自宅に居候せざるを得なかった。精神科医として勤める傍ら、同人雑誌『文藝首都』に参加し、川上宗薫佐藤愛子、田畑麦彦、なだいなだらの知己を得る。1959年、『文藝首都』に連載した『幽霊』を、田畑の『祭壇』とともに自主出版する。
ナチス・ドイツの「夜と霧作戦」をモチーフにした『夜と霧の隅で』で、1960年に第43回芥川龍之介賞を受賞。また、1958年から翌年にかけて水産庁調査船に船医として乗船しインド洋から欧州にかけて航海(ドイツ訪問が乗船の動機だった)。この体験に基づく旅行記的エッセイ『どくとるマンボウ航海記』が同年に刊行されると、アメリカン・ユーモアから影響を受けた、従来の日本文学にない陽性でナンセンスなユーモアにより評判となり、ベストセラーとなる。以降、小説、エッセイとも、特に若い読者から熱狂的に支持される人気作家となった。
躁鬱病
壮年期より躁うつ病(双極Ⅰ型障害)を発症した。みずからの病状をエッセーなどでユーモラスに記し、世間の躁うつ病に対するマイナスイメージを和らげるのに一役買うこととなった。1976年には躁状態で「チャップリンのような大喜劇映画を作りたい」と夢想し、映画の製作資金を作るために株に入れ上げて巨額の損失を蒙り、穴埋めのために東京都世田谷区の自宅を抵当に入れて新潮社や銀行や佐藤愛子から借金し、自己破産と準禁治産宣告に追い込まれた(佐藤愛子からは延べ1000万円を借りている。このころ山口瞳に電話をしてサントリーのCMへの出演を斡旋してもらおうとしたが断られた)。当時の負債は1億円以上、1976年11月の税金の滞納額は1000万円以上にのぼった。この経験が戯曲風小説『悪魔のくる家』の執筆のヒントになったとされる。当時、生活費を稼ぐ手段として女性週刊誌で芸能人を相手にたびたび対談をおこなった。
【作風】
祖父の斎藤紀一は「大ぼらふき」の傾向がある奇人であったが、純文学作品とされるものにも祖父のようなユニークな「ほら吹き」の人物を登場させることがある。
作品は『夜と霧の隅で』、『楡家の人びと』(奇人変人が多かった齋藤家の歴史を描いた大河小説)など純文学と位置づけられるものから、『奇病連盟』『高みの見物』などのユーモア中間小説、『怪盗ジバコ』『父っちゃんは大変人』『さびしい王様』などファンタジーといえるもの、『船乗りクプクプの冒険』のような児童文学や童話など、多様である。他に近年の作として父茂吉の評伝4部作があり、エッセーは『(どくとる)マンボウ』ものなどが小説以上に広く読み継がれている。1970年代に新潮社より全集を刊行。親子で生前に全集を完成させた最初の例となった(死後刊行では幸田露伴・文親娘がいる)。
【昆虫採集】
幼少時から始めた昆虫採集は東京大空襲でコレクションのほとんどを失ってからほとんど行わなくなったが、コガネムシ類にだけは高齢になっても執着心を持ち続けてきたことを証言している。また、幼少期からの自然史趣味は、高校の同級生で後に著名な植物学者となった西田誠を、その該博な植物学の知識で驚嘆させた。昆虫採集に関しては『どくとるマンボウ昆虫記』が根強い人気を持っている。また、その後の著作でも『南太平洋ひるね旅』『母の影』などでしばしば昆虫採集に言及している。

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文藝春秋』 2010年12月号 「安保と青春・されどわれらが1960」
北杜夫(きたもりお) 母に叱られた芥川賞受賞作品 (一部抜粋しています)
7月19日、第43回芥川賞が発表された。受賞したのは、4度目の候補者だった北杜夫氏の『夜と霧の隅で』。第二次大戦中、ナチスが精神病患者を抹殺しようとするのに反抗し、苦悩する石の姿を描いた中篇である。北氏は現役医師であり、歌人斎藤茂吉の息子、かつ、同年3月に刊行されてベストセラーとなった『どくとるマンボウ航海記』の著者でもあったことから、話題を呼んだ。
当時は徐々に、「芥川賞を取ると、作家として認められる」ということが分かってきてはいました。でも今のように、候補者が編集者たちと集まって吉報を待つという習慣は、まだありませんでしたね。
実は私はその直前まで、沖縄にいたんです。沖縄で医院をやっている友人が、「久々に内地に行って、みんなに会いたい」というので、留守中の診察のピンチヒッターで私を呼んだんです。
ある日、沖縄に兄から「ヨルトキリアクタガワユウリョク ハヤクカエレ」と電報が来ました。もちろん沖縄返還前ですし、宋すぐに帰れません。数日して友人が内地から戻ってきて、ようやく東京に戻れたのは、受賞が決まる前日でした。
私一人の受賞か、倉橋由美子さんの『パルタイ』との同時受賞かで意見が分かれたそうです。選考委員の一人、船橋聖一さんは選評に「慶応の付属病院という安定した職場に坐って」いる私よりも、「身体をはって書いている倉橋の方に興味が深い」と書かれた。これには参りました。というのも、私は慶応病院では無給だったんです。安定とは程遠く、兄の医院に居候し、週に一度、そこでアルバイトをして生活していました。
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夕方、医院にかかってきた電話を看護婦がとり、「若先生、電話です」と言うので出てみると、受賞の知らせでした。「ありがたくお受けします」と返事をしたものの、「こまっちゃったなあ」と思わず本音が漏れました。私は筆が遅くて、『夜と霧の隅で』も完成まで随分と時間がかかったんです。ですから、受賞第一作をどうしようかという思いが真っ先に浮かんだんですね。
思えば芥川竜之介は父と親交があり、不眠症に悩む彼に睡眠剤を処方していたのも父でした。授賞式では、そんな不思議なご縁についても話をした覚えがあります。
受賞後は、文春のカメラマンに慶応病院までつれていかれて、顕微鏡をのぞかせられたり、大変でしたね。普段は私はそんなことをしないので、いわば「やらせ」です。「昆虫採集とマンガが大好き」ということで、寝そべって漫画を読んでいるところを撮られましたが、こちらは本当のいつもの姿ですから、文句はありません。
受賞後、母が電話をかけてきて、「知人から、あれは難しくて分からないといわれました。もっと易しい小説を書かないと、これでは売れません」と言われたのw覚えています。
振り返ってみると、この作品は苦労した割に、成功した作品ではないと思っています。ただ、この後随分たってから、アウシュビッツの詳しい本が世に出るようになって、精神病患者の抹殺が知られるようになりました。1960年当時は、まだほとんど知られていなかったんです。作品としての出来はともかく、その点においては、いくらか意味があったのかもしれません。

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