じじぃの「人の死にざま_896_草野・心平」

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男声合唱曲 雨 曲 多田武彦 〜「草野心平の詩から」 動画 YouTube
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うんだもしたん の 子どもと読む詩 草野 心平  春のうた
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草野心平 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
草野心平は日本の詩人。福島県上小川村(現・いわき市小川町)出身。
【詩作品】
初期の作品を除くと、ほとんどの詩において、文末に句点が用いられている。そのかわりに読点はほとんど使われていない。『第四の蛙』から『侏羅紀の果ての昨今』まで新仮名を採用していたが、それ以前と以後は旧仮名である。
「蛙の詩人」と俗に言われるほどに、生涯にわたって蛙をテーマとした詩を書きつづけた。この分野では、蛙の鳴き声がさまざまなオノマトペで表現されている一方、いくつかの前衛的な試みが行われている。たとえば「冬眠」を構成するのは黒丸1文字のみである。また、「Nocturne. Moon and Frogs」「天気」などでは絵画的な手法が用いられている。
  “ るるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる   「生殖 Ⅰ」 ”
蛙について心平は『第百階級』のあとがきで「僕は蛙なんぞ愛してゐない!」と叫んだことがあった。実際、蛙についての詩作をやめようと思ったこともあったと詩集『第四の蛙』の「覚え書I」にはある。1948年(昭和23年)に『定本 蛙』を出したいきさつについて、「もう蛙も年貢の納めどきだろうから」と語っている。しかしその後も心平は蛙の詩を書くことを止めなかった。

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『知識人99人の死に方』 荒俣宏/監修 角川文庫 2000年発行
草野心平(くさのしんぺい) (1903-1988) 85歳で死亡。(一部抜粋しています)
福島県に生まれる。慶応大学を中退し、中国広東の嶺南大学に学んだが、排日運動のため帰国を余儀なくされる。中原中也高橋新吉らとともに詩誌『歴程』を創刊(S10)。その人柄は「心平さんに接する毎に、感じてきたのは、まじり気のない『詩』(ポエジー)が、ここに人間の形をして生きているという、その驚きだった」という入沢康夫の言葉が端的に示していた。みずからの死について、「死んだら死んだで生きてゆくのだ。/おれの死際に君たちの万歳コーラスがきこえるやうに。/ドシドシガンガン歌ってくれ」[定本蛙]と書き、生前から「おれが死んだら、ベートーヴェンの第九の、オオ、フロイデ(歓喜)というあの合唱、みんなでガンガン歌ってくれ」と繰り返していたという。富岡多恵子が言うように、日本には稀有の「日本の湿気を乾燥させる元気を詩で見せた」詩人にふさわしい言葉だった。正妻とは別居のまま、60歳になるまで質屋と縁が切れなかった草野を、倒れた後も最後まで看取ったのは、40年間連れ添った山田久代だった。
死の6日前に彼女に「……かんべん かんべん/ありがとう いろいろ/言うべきこと多し/許せよ/何事もカンベンセヨ……」と最後の力をふりしぼって感謝のことばを書き残した。これが絶筆だった。

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