じじぃの「人の死にざま_893_川本・幸民」

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蘭学者 川本幸民 | 書籍 PHP研究所
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川本幸民 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
川本 幸民(文化7年(1810年) - 明治4年6月(1871年))は、幕末・明治維新期の蘭学者。名は裕、号は裕軒。父は三田藩侍医の川本周安。その業績から、日本の化学の祖とも言われる。
【経歴】
1829年(文政12年)、三田藩藩主九鬼隆国に命ぜられ江戸に留学し、足立長雋、坪井信道らに蘭学を学び、物理・化学に精通。1833年天保4年)三田に帰郷し、父と同じ藩医に任じられた。薩摩藩藩主島津斉彬に見出され、薩摩藩籍となる。1859年に薩摩藩校学頭、蕃書調所教授となる。1868年(明治元年)、三田に帰郷し英蘭塾を開校すると分校が出来るほど盛況となる。その後、息子の清二郎が太政官出仕となり共に再び上京。1871年明治4年)6月1日没。享年62。
多くの科学の著訳書があり、白砂糖、マッチ、銀板写真なども試作しており日本の科学の発展に貢献した。また、1853年(嘉永6年)頃、日本で初めてビールを試醸し、浅草の曹源寺で試飲会を開催した。このことがキリンビールの「ビール5000年の旅探究プロジェクト」の一環として取り上げられ、広告などに使われた。

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『考える人 日本の科学者100人100冊』 新潮社 2009年発行
川本幸民(かわもとこうみん) 『蘭学者 川本幸民』 北康利/著 PHP研究所 江戸の蘭学から、現在の科学の「種」を取り出した男。 【執筆者】竹中朗
「蛋白」「分子」「大気」「水蒸気」「重金属」……どうだろう。まだまだある。「尿素」「合成」「化学変化」「気象」……そう、これらは全て、彼が造語したものだ。
「哲学」などを造語した西周を人文系の造語王とするならば、川本は理科系造語王といえるかもしれない。これらの語を見てもわかるように、彼の仕事は現在の我々の生活に直結しているが、彼自身は純然たる江戸の蘭学者である。彼以前にこの国にサイエンスというものを導入しようとした者は当然数多存在し、彼以後にそれを根付かせようとした者はさらに多数挙げられるが、医学が主であった蘭学から科学の種を取り出し、それを幕末期に「化学」(これも彼の導入した語である)として構造変化させ、明治期に西欧科学導入が一気に行われる素地を造ったのは彼の功績である。
北氏の小説仕立ての伝記を読むと、維新期の洋学者ネットワークの中心にあって彼がなした仕事の大きさに圧倒されるばかりだ。

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