じじぃの「重厚長大の転機とモノづくり再生のカギ!池上彰の危機を乗り切る戦後不況史入門」

Bizプラス 「製造業復活のヒントは」 (追加) 2012年7月13日 NHK
【キャスター】飯田香織近田雄一
▽製造業復活のヒントを探るシリーズ3回目。
街の大通りを無数のバイクが並んで走っている映像が出てきた。
ベトナムで、およそ60%のシェアを誇っているのが日本のホンダです。ベトナムではバイクのことを「ホンダ」と呼ぶほど定着しています。
かって、ホンダは大きくシェアを奪われる危機に直面しました。中国メーカーが当時のホンダの製品の半額、500ドル前後の低価格で販売。11年前にはシェア12%まで落ち込みました。
危機感を強めたホンダ。シェア奪還を目指して品質だけでなく、価格でも勝負する方針に舵を切りました。それまでタイや日本から輸入していた部品を人件費が安く、輸送費もかからないベトナム国内から挺謫することにしたのです。
問題となったのは部品の品質の維持でした。そこでホンダでは現地の担当者が定期的に部品メーカーを訪問し、技術指導を続けています。この日は部品に細かな金属クズが付いているのを見つけ、注意しました。
ホンダ・ベトナムの工場長、「妥協せず、徹底的に悪いところは改善していく。さらに競争力を上げ、今後継続できるようにチェックし、指導していく」
こうして高い品質を維持しながら、価格を700ドル余りに引き下げることに成功しました。
さらに去年、新しい取り組みも始めました。
日本から輸入していた生産設備をベトナム人技術者を育成することで、現地で作れるようにしたのです。結果、この生産設備にかかるコストを3分の1に削減できました。
ホンダではベトナムを成功のモデルケースと位置づけ、アフリカなどでもシェアの拡大を目指すことにしています。
ベトナムでの現地調達の割合は90%になりました。来年度中には98%にまで引き上げる予定です。
ベトナムの若い男性、「値段も手頃だし、ぜひ買いたい」
http://www.nhk.or.jp/bizplus-blog/2012/07/13/
ガイアの夜明け - 12.04.24【ニッポンの生きる道②どこでモノづくりをしていくのか】 Pideo 動画検索
http://www.pideo.net/video/youku/ebe8ad2f02c2b79d/
「米沢は変わらない」と強調、NECレノボ合弁会社が発足 2011年07月04日 ASCII.jp
7月4日、「NEC レノボ・ジャパン」グループの発足が、レノボ・ジャパンNECパーソナルコンピュータの両社から正式に発表された。かねてからアナウンスされていたNECレノボ合弁会社Lenovo NEC Holdings B. V.が7月1日に発足したことを受けたもの。これは既報のとおり、出資比率がレノボ51%、NEC49%の持ち株会社であり、傘下に100%子会社として、日本法人のレノボ・ジャパンNECパーソナルプロダクツのPC事業が独立した新会社・NECパーソナルコンピュータを収める。
http://ascii.jp/elem/000/000/617/617234/
ガイアの夜明け 「ニッポンの生きる道"第2弾 どこで"モノづくり"をしていくのか」 2012年4月24日 テレビ東京
【案内人】江口洋介 【ナレーター】蟹江敬三
ニッポンの製造業が喘いでいる。一服したものの、まだまだ続く円高や、震災、さらには高い人件費など、六重苦ともいわれる逆風が吹き、日本で"モノづくり"の現場を維持することが困難になっている。この10年でさらに進んだ空洞化が一層加速していくのか・・・。そんな中、日本の"モノづくり"の灯を消すなと立ち上がった人々がいる。日本に残って戦う企業、敢えて外に出ることで生き残りを図る企業。次の10年を見据えて選択した、それぞれの"道"を取材する。
●中国にできないことをやって生き残れ! 〜NECパーソナルコンピュータ
 かつてPC9801シリーズなど大ヒットを飛ばしたNECのパソコン。しかし、NEC本体が深刻な業績低迷に見舞われる中、パソコン事業は切り離され、去年7月、中国のレノボグループと合弁。NECパーソナルコンピュータとして再出発を切った。統合前から生産現場のほとんどを中国に移管し、国内で残るのは主に法人向けPCを製造する山形の米沢工場のみ。レノボとの統合で、この米沢工場も閉鎖されるのではという懸念もあったというが、一転、現在は活況が続いている。実は法人向けPCは、オーダーメード注文なので、組み合わせが数限りなくあるという。1台限りの注文も決して珍しくない。しかし注文から最短3日の納品を売りにする。それを可能にしているのが、常にカイゼンを重ねる日本のモノづくり現場の底力。コンマ何秒の世界で効率化を磨き上げ、多品種の同時生産を可能にしている。これは大量生産の中国工場では実現不可能。カイゼンの現場リーダー、若月新一さんは「我々の人件費が中国の6倍ならば、効率を6倍あげれば同じ土俵で戦える。中国にできないことをしないと生き残れない」と悲壮な覚悟を述べる。北に唯一残ったパソコン工場、その生き残りの苦闘を取材する。
●国内100万台生産を守れ! 九州独立宣言 〜日産自動車
●部品メーカーよ 群れを成して大陸へ渡れ 〜元トヨタマン・東和男氏〜
http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber3/preview_20120424.html
NHKスペシャル 「2011 ニッポンの生きる道」  2011年1月1日 動画
激しい円高、雪崩をうつ企業の日本脱出、雇用の崩壊…。得意だったはずの「モノづくり」でも韓国や中国に技術で追いつかれ、原発高速鉄道の受注競争などで競り負ける場面が続いている。
しかし本当にニッポンは力をなくしたのか? まだまだ強みはあるのではないか?自信を持ってやるべきことをやり、変えるべきを変えて2011年を力強く歩み出す、年頭のメッセージを送る!
http://veohdownload.blog37.fc2.com/blog-entry-8701.html
文藝春秋 2012年5月号 (一部抜粋しています)
池上彰の戦後不況史入門 「重厚長大」の転機とモノづくり再生のカギ 今井敬(新日本製鐵名誉会長)
池上 今井さんは1970年に八幡製鐵富士製鐵が合併して誕生した新日鐵で2度のオイルショック円高不況、バブルの崩壊といった、いずれも日本経済が初めて経験する危機に直面し、それらを切る抜けてこられました。特に役員、社長時代には、大々的な合理化を指揮されるなど、大変なご苦労をされながら立て直しに取り組まれました。現在、日本は長引く不況からなかなか脱却できずにいるわけですが、そのご経験から、私たちも学ばせていただきたいと思うのです。
今井 昔のことがどれだけ参考になりますか、なかなか難しいと思うのですよ。時代のパラダイムが激変していますからね。それをご説明するために、まず、私の経済史観というものを簡単にお話ししてもよろしいですか。
池上 おおっ、ぜひお聞かせください。
今井 近代日本は、ほぼ40年ごとに転機を迎えていると思うのです。まず、明治維新(1868年)からの40年間は脱亜入欧を掲げ、必死に先進国に追いつこうとした。軍艦を買い、1905(明治38)年には日露戦争をやってのけました。勝利を収めた日本は「坂の上の雲」をつかんだと思ったでしょう。しかし、「これから日本は段々と発展する」と言う三四郎に対して、広田先生は……。
池上 夏目漱石の『三四郎』ですね。三四郎東京大学に入るために上京する際に、東海道線の車中で広田先生に出会う。
今井 そうです。先生は「滅びるね」と切り捨てました。先生が言うとおり、日本には一等国になったという傲りがあった。その自尊心から軍拡主義に陥り、戦争に突入する。日露戦争に勝ってから太平洋戦争で敗戦(1945年)を迎えるまでが、ちょうど40年なんです。 次の40年は日本の発展期ですね。前半の20年は10パーセントの高度成長。後半はニクソンショック(71年)、オイルショック(73年・79年)があり、約4.5パーセントの安定成長になる。
池上 その間に八幡製鐵富士製鐵が合併し、新日鐵が誕生しましたね。
今井 はい。このように1985年までの40年間の成長期が続いた後は、5年間のバブルがあり、そのバブルが崩壊してから今日まで、日本経済はほとんど成長していません。成長率は平均で1パーセント以下の横ばいです。この40年間の区切りはまだ13年を残していますが、今後の見通しを非常に大きく左右するのが、中国だと思うのです。 その中国においては、30年ごとに転機が訪れています。49年に毛沢東が政権を握ってから、彼は死ぬまで共産党政権のレジティマシー(正統性)を確立することにまい進しました。 次の30年間には、78年から訒小平が「改革開放」を唱え、市場経済化を進めます。日本もこれを応援しました。
池上 新日鐵も上海の宝山製鉄所の創設に際し、技術供与しましたね。
今井 はい。それからの30年間で中国派急成長し、一昨年はついにGDPが世界二位になりました。日本の鉄鋼業界も、この中国特需の恩恵を得たんです。 しかし、中国に関しては過去の経験というのが役に立たない、通用しないということがあります。ですから、次の30年がどうなるか、全く予断を許さないわけです。
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池上 アメリカから強いられて自主規制したものの、自動車産業は結局、勝ち抜きましたね。半導体はなぜ、だめだったのでしょう。
今井 それは、アナログとデジタルでは、アナログ製品のほうが強いということだと思います。要するに、アナログ製品の生産には、ノウハウが要るんです。デジタル製品の生産には、たいしたノウハウは要りません。最新の設備さえあれば、誰にでもつくれてしまうんです。
池上 一方、日本の製鉄業は、高品質な鉄をつくることにおいては、中国の追随を許しませんよね。
今井 これこそノウハウなんです。
池上 ということは、アナログなんですか。
今井 そう、アナログなんです。日本の技術者は、まさに調味料を加えるかのごとく、原料を調合します。 たとえば、自動車メーカーから要求されているのは、軽くて、硬くて、加工性がいい鋼材です。加工性というのは、成形しやすい、つまり柔らかくなくてはいけないんです。硬くて柔らか。さらに安くなければいけない。そういうものは技術者のちょっとしたサジ加減、職人技があって初めて、つくることができます。
池上 秘伝のレシピがあるわけですね。
今井 中国にはそのレシピも出しました。宝山鋼鉄とは合弁でやっていますから、向こうの工場を使わせてもらう代わりに。こちらの技術もその段階では無償で提供します。ただし、その後に進歩した技術については、秘伝です。
池上 そこが肝心ですね。 これからいろいろな産業で国際競争を勝ち抜いていこうというときに、純粋なデジタルだけでは、人件費の安いところに負けてしまう。今井さんがアナログとおっしゃるところの「ノウハウ」をきちんと持っていれば、勝てるんだということですね。

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どうでもいい、じじぃの日記。
文藝春秋』 5月号の、特集「池上彰の戦後不況史入門」に 「重厚長大の転機とモノづくり再生のカギ」が載っていた。
「そこが肝心ですね。 これからいろいろな産業で国際競争を勝ち抜いていこうというときに、純粋なデジタルだけでは、人件費の安いところに負けてしまう。今井さんがアナログとおっしゃるところの『ノウハウ』をきちんと持っていれば、勝てるんだということですね」
具体的にどうすればいいのだろうと思いながら、テレビを観ていたら、
4/24のテレビ東京ガイアの夜明け』の番組「中国にできないことをやって生き残れ! 〜NECパーソナルコンピュータ〜」でこんなことを言っていた。
「我々の人件費が中国の6倍ならば、効率を6倍あげれば同じ土俵で戦える。中国にできないことをしないと生き残れない」
一人当たりの1日の生産台数はどこまで伸びたのか?
去年5月、レノボとの統合前に取り組みを強化した時点では29台でした。
一人当たりの1日の生産台数
去年5月末   →  今年3月末

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目標 29.9台    目標 37.7台
実績 29.0台    実績 38.0台
カイゼンの現場リーダー、若月新一さん、
「去年の5月末では29台だったのが、今年3月末は38台達成することができた。一人当たり1日9台の生産性が上がった。ここには400人の作業者がいるので、1日3600台分上がったことになる」
まさに、血の滲むような「カイゼン」という努力をしないと、生き残れないのだ。
これが、日本の生き残る道なのか。