じじぃの「世界遺産・2000トンもの巨石・バールベック神殿!レバノンの遺跡」

The Phoenicians 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ROmU_9uwuXg&feature=related
Temples of Baalbek and Anjar 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=KhdSpDAG1SI
Baalbeck Lebanon 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=9ZEfmQOHw5Q&feature=related
レバノン地図 バールベック 画像
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/a/a2/LocMap_of_WH_Baalbek.png/275px-LocMap_of_WH_Baalbek.png
バールベックの巨石

バールベック Google 検索
http://www.google.co.jp/images?sourceid=navclient&aq=f&oq=%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AF&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AF&gs_upl=0l0l1l254703lllllllllll0&aqi=g3&oi=image_result_group&sa=X
バールベック、レバノンの遺跡
現在のレバノン共和国の東部にあるバールベックはフェニキア人の神パアルが祭られていた神殿跡に建てられたローマ神殿跡で、ローマの神ユピテル(英名ジュピター)とフェニキア人(セム語系を主体とした混血民族で紀元前15世紀頃から紀元前8世紀頃にかけて現在のレバノンの地域にティルス、シドン、ビブロスなどの都市国家を形成、海上交易で活躍し北アフリカカルタゴなど地中海各地に海外植民地を建設した)の神バアルが融合した神殿。
ユピテル、ジュピターの他にワインの神バックス(英名バッカス)、美の神ウェヌス(英名ヴィーナス)を祭る神殿も存在する。
バールベックはギリシャ人にヘリオポリス(太陽の都)と呼ばれていた肥沃な土地で、紀元前64年にローマ帝国の属州となって以降、歴代ローマ皇帝ローマ帝国の威信を賭けて200年以上を費やし建設した。
http://www.zarathustra-wins.net/lebanon2.shtml
『21世紀 世界遺産の旅』 小学館 2007年発行
3神を祀るローマ帝国時代最大の聖域 バールベック (一部抜粋しています)
ベカー平原中央部のバールベックは、ユピテル(ジュピター)、ディオニュソスバッカス)、ウェヌス(ヴィーナス)の3神を祀(まつ)る1〜2世紀頃のローマ帝国最大の聖域である。
ヘリオポリス(太陽神の都市)の名で知られていたこの地に、巨大神殿を構想したのはカエサルで、その後約200年の間に3つの神殿が完成し、多くの巡礼者で賑(にぎ)わった。4世紀に入ってキリスト教が広まると神殿はキリスト教の聖堂になり、7世紀にはイスラム教徒によって要塞とされた。

                                      • -

世界遺産に隠されたゾッとする話』 博学こだわり倶楽部 KAWADE夢文庫 2012年発行
バールベック 生けにえたちは、こうして神に捧げられた (一部抜粋しています)
レバノン東部に、1200メートルのベカー平原がある。そのほぼ中央部に位置する「バールベック」は、かってもっとも訪れるのが困難な遺跡のひとつに数えられていた。
その原因は、1975年にはじまったレバノン内戦である。キリスト教徒とイスラム教徒・パレスチナ難民が対立して内戦に発展、シリアとイスラエルが介入したため、バールベックを訪ねるどころか、レバノンへ入国すること自体、困難な時代が20年近くも続いた、
その内戦では、暴力と暴力がぶつかり合い、大量の血が流されたが、1700年前のバールベックでも、神に捧げられる生けにえの鮮血が大地を染めていた。
当時、バールベックには、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスが建立をはじめたユピテル(ジュピター)神殿が立っていた。完成したとき、すでにアウグストゥスは世を去り、暴君ネロの時代になっていたが、その広さは90メートル x 54メートルを誇り、往時は直径2.2メートル、高さ20メートルの柱が、54本も並んでいたという。ただし、18世紀後半の大地震で崩落し、資材が街の復興に使われたため、現在は6本しか残っていない。
ユピテル神殿では、完成後も増築工事が進められた。2世紀になると、神殿の中庭には128本のバラ色の柱が建てられ、中央祭壇が設けられた。そして祭壇には、神への生けにえとして奴隷や動物が捧げられた。
連行された奴隷は、水槽のなかで身を清めてから血を抜かれ、その体は池で洗い流された。奴隷が祭壇に捧げられると、人々は儀式を行ない、その後は一晩じゅう乱痴気騒ぎをくり広げたといわれている。
もともと、この街はフェニキア人のあいだで崇(あが)められていた聖地であり、フェニキア人の最高神バールを祀(まつ)る神殿が立っていたため、「バールベック(平原の主の意味)」と呼ばれていた。
ところが、紀元前4世紀にアレキサンダー大王が亡くなると、一帯は古代エジプトプトレマイオス朝に制圧される。さらに、クレオパトラ7世を最後にプトレマイオス朝が滅びると、紀元前64年、古代ローマ支配下に置かれた。
初代皇帝のアウグストゥスは、バールベックの人々にたいしてローマの神々を押しつけることはなく、古来のパアル神を崇め、じょじょにローマの神々と習合することを図った。そして、アテネパルテノン神殿をはるかにしのぐ、壮大な神殿建設を命じた。それがユピテル神殿なのである。

                                      • -

どうでもいい、じじぃの日記。
ぼけっと、『世界遺産に隠されたゾッとする話』という本を見ていたら、「バールベック 生けにえたちは、こうして神に捧げられた」があった。
「バールベック」とは、レバノンの東部、ベカー高原の中央にある古代遺跡である。1984年、ユネスコ世界遺産文化遺産)に登録された。
この地中海とヨルダン川死海に挟まれた地域一帯(レバノンイスラエル、シリア)はもともと「カナン」と呼ばれた「約束の地」である。
かって、ここには「パアル神」を崇めるフェニキア人が住んでいた。パアル神はこの地方の自然神バールの女性形同一神である。
フェニキア人は紀元前1000年頃、フェニキア文字を作った。そのフェニキア文字が現在使われているアルファベット文字の原型であると言われている。
ユピテル神殿では、完成後も増築工事が進められた。2世紀になると、神殿の中庭には128本のバラ色の柱が建てられ、中央祭壇が設けられた。そして祭壇には、神への生けにえとして奴隷や動物が捧げられた」
まるで、マヤの残酷な生けにえの儀式のようだ。
現代文明の礎を作ったとされるフェニキア人がこんなことをしていたのであろうか?
レバノン杉はかって、レバノンの山々に青々と繁っていた。そのレバノン杉はレバノンの国旗およびレバノンの国章のデザインに用いられている。しかし、現在わずかにレバノン杉はレバノンのカディーシャ渓谷にわずかに存在するだけで、世界遺産に登録されている。
かっての栄華を誇った都市は、荒れ果てた高地に、巨大な石の残骸が点在しているだけである。あたかも、レバノン杉のようである。
東洋の果てにも、かって、このような栄華を極めた民族がいたらしい。
バールベックの遺跡近くの石切り場には、幅4.5メートル、高さ4.3メートル、長さ21.4メートル、重さ2000トンの巨石が放置されている。