じじぃの「人の死にざま_848_伊藤・若冲」

伊藤若冲 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E8%8B%A5%E5%86%B2/6302/
伊藤若冲 & アンリ・ヴュータン 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=F44h-Ft3EHA
YES "It will be a good day" 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=e6GxZFKd4Fw&NR=1
伊藤若冲特集:ワシントン ナショナル ギャラリー現地取材 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=0fY-B26y_fo
伊藤若冲 「紫陽花双鶏図」 画像
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ed/Ito_Jakuchu_AjisaiSoukei-zu.jpg/170px-Ito_Jakuchu_AjisaiSoukei-zu.jpg
伊藤若冲 「蓮池遊魚図」 画像
http://bluediary2.web.fc2.com/j-17.html
クローズアップ現代 「生命(いのち)の色を被災地へ 〜若冲・奇跡の江戸絵画〜」 2013年8月1日 NHK
【キャスター】国谷裕子 【ゲスト】江戸絵画コレクター ジョー、プライス、悦子・プライス
「神の手を持つ」と言われる江戸時代の天才絵師・伊藤若冲。絶大な人気の作品群が来日し、今、被災地をまわっている。極細密な技法と鮮やかな色彩で描かれる“生命の世界”に、「泣けた」「勇気をもらった」という声が広がっている。多くの命が失われ、故郷の街や自然が破壊された被災地に、若冲が描く「命の力」を届けたいと企画した世界的コレクター、ジョー・プライス夫妻。貴重な作品群の魅力と展覧会に込められた思いに迫る。
https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=300-20130801-21-00046
伊藤若冲 ウィキペディアWikipedia)より
伊藤若冲(いとうじゃくちゅう、 正徳6年2月8日(1716年3月1日) - 寛政12年9月10日(1800年10月27日))は、近世日本の画家の一人。江戸時代中期の京にて活躍した絵師。
写実と想像を巧みに融合させた「奇想の画家」として曾我蕭白長沢芦雪と並び称せられる。
【生涯】
正徳6年(1716年)、京・錦小路にあった青物問屋「枡屋」(家名と併せて通称「枡源」)の長男として生を受ける。問屋の仕事は小売ではなく、生産者や仲買・小売の商人に場所を提供して販売させ、彼らの関係を調整しつつ売場の使用料を徴収する流通業者である
齢40となった宝暦5年(1755年)には、家督を3歳下の弟・白歳(宋巌)に譲り、名も「茂右衛門」と改め、はやばやと隠居する(当時、40歳は「初老」であった)。宝暦8年(1758年)頃から「動植綵絵」を描き始め、翌年10月、鹿苑寺大書院障壁画を制作、明和元年(1764年)には金刀比羅宮奥書院襖絵を描く。明和2年(1765年)、枡屋の跡取りにしようと考えていた末弟・宗寂が死去した年、「動植綵絵」(全30幅のうちの)24幅と「釈迦三尊図」3幅を相国寺に寄進する。このとき若冲は死後のことを考えて、屋敷一箇所を高倉四条上ル問屋町に譲渡し、その代わり、問屋町が若冲の命日に供養料として青銅3貫文を相国寺に納めるよう契約した
【再評価】
生前の若冲は、『平安人物志』の上位に掲載されるほどの人気と知名度を持っていたが、明治以降一般には忘れられがちな時期もあった。しかし、大正15年(昭和元年、1926年)、秋山光夫によって本格的な研究が着手され、昭和45年(1970年)に辻惟雄の『奇想の系譜』が出版されて以来注目を浴びるようになった。特に1990年代後半以降その超絶した技巧や奇抜な構成などが再評価され、飛躍的にその知名度と人気を高めている。

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動的平衡2 生命は自由になれるのか』 福岡伸一/著 木楽舎 2011年発行
実は、動的な平衡に宿る――まえがきにかえて (一部抜粋しています)
メディアといえば新聞やテレビのことを意味するが、生物学の世界では、メディア(単数形はメディウム)とはシャーレの中で育つ培養細胞を浸す栄養液のことを指す。細胞は、体温と同じ37度Cに保温された、あたたかいメディウムの中ですくすくと育つ。
細胞たちはおそらく自分たちを取り囲む、この媒体(メディア)の存在を自覚していない。ちょうど水の中に棲む魚が水という媒体の存在を知らないように、あるいは、私たちが空気や重力や温度といった媒体の存在を気にしないように。
伊藤若冲の描く鮎はまるで空中を飛行しているかのようだ。水という媒体の存在をまったく感じさせない。たぶんアユにとって水という環境はそのようなものなのだ。
しかし、メディアは、生命と常に接し、生命活動を支えている。メディアとの接点を通じて、物質とエネルギーと情報の交換が絶えず行われる。それが化学反応を引き起こし、生命という平衡を保つ。
つまりメディアとは、何かをためこんだアーカイブではなく、動的な流れとしてある。若冲のアユが生き生きと自在に泳ぐのもそれゆえである。

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伊藤若冲 Google 検索
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