じじぃの「人の死にざま_728_D・リッチー」

プログラミング言語 C』の著者であるデニス・リッチー氏が10月12日に亡くなられた。ご冥福をお祈りします。
  
デニス・リッチー - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E3%83%87%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%BC/641/
2011年(第27回)日本国際賞 : リッチー博士/トンプソン博士 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=FfsuuEqiqyY
Unix History 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=7FjX7r5icV8
Introduction to C Programming I 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=fUcSXbQnrLI&feature=related
プログラミング言語
ブライアン・W・カーニハン、デニス・M・リッチー 著、石田晴久/訳による『プログラミング言語 C』の感想ページです。
http://see-ku.com/book/k-and-r/index.html
C言語の開発者、デニス・リッチー氏が死去  2011年10月14日 ITmedia ニュース
C言語およびUNIXの開発者の1人として知られるコンピュータ科学者のデニス・リッチー氏が亡くなった。享年70歳だった。同氏が2007年の引退後もコンサルティングをしていたベル研究所のジェオン・キム所長が公式ブログで明らかにした。
同氏の元同僚で現在Googleに務めるロブ・パイク氏のGoogle+への投稿によると、リッチー氏は先週末、長い闘病の末、ニュージャージー州の自宅で亡くなったという。
リッチー氏は1967年にベル研究所に入り、そこで開発したプログラミング言語コンパイラをケン・トンプソン氏とともに発展させてC言語とした。また、同研究所で開発されたUNIXC言語への書き換えを統括したことで、UNIXの父とも呼ばれる。リッチー氏とブライアン・カーニハン氏が1978年に出版した解説書「プログラミング言語 C」は、現在も世界中で読み継がれている。リッチー氏は1983年にトンプソン氏とともにチューリング賞を受賞し、その際にベル研究所のフェローに昇格した。
2011年にトンプソン氏とともに日本国際賞を受賞し、5月にベル研究所ニュージャージー州で開いたセレモニーに姿を見せた。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1110/14/news018.html
デニス・リッチー ウィキペディアWikipedia)より
デニス・リッチー(英語:Dennis MacAlistair Ritchie、1941年9月9日 - 2011年10月12日)は、アメリカ合衆国AT&Tベル研究所のコンピュータ科学者。コンピュータ言語のC言語や、オペレーティングシステム(OS)であるUNIXMulticsなどの開発者として知られる。
【生涯】
1941年9月9日ニューヨークにて、ベル研究所でスイッチング回路の研究に携わっていた父親の元に生まれる。ハーバード大学で物理学と応用数学の学位を得た後、1967年、ベル研究所に入所し、コンピュータ科学の研究を始める。その後1968年ハーバード大学で、コンピュータ科学に関する博士号を取得した。博士論文のテーマは計算量複雑性理論に関するものであった。
1969年ごろ、リッチーはケン・トンプソン博士と共に、ベル研究所で放置の状態にあったPDP-7上で独自のオペレーティングシステムを作り始める。これが後にUNIXと呼ばれるOSの原型となった。UNIXは1971年に原型が出来上がり、同年PDP-11/20に移植された。 1973年、それまでアセンブラで書かれていたUNIXを、C言語に書き換える。この時、UNIXの記述言語として、ブライアン・カーニハンと共にC言語の開発に関わった。C言語の原型はケン・トンプソンのB言語である。リッチーはこれにデータ型と新しい文法を追加しC言語が出来上がった。この頃のUNIXは文書マシンとして使われており、主にベル研究所の特許事務に用いられていた。
1983年、UNIX開発の功績により、ケン・トンプソンと共にチューリング賞を受賞している。21世紀初頭現在でさえ、C言語はハンドヘルド型コンピュータからスーパーコンピュータまであらゆるタイプのプラットフォーム上で用いられており、彼の業績は非常に大きい。
2011年10月12日、ニュージャージー州の自宅で亡くなっていることが発見された。70歳没。
プログラミング言語 C ウィキペディアWikipedia)より
プログラミング言語 C』(原題:The C Programming Language)は、ブライアン・カーニハン (Brian W. Kernighan) とデニス・リッチー (Dennis M. Ritchie) によって書かれたC言語についての書籍である。著者名の頭文字からしばしばK&Rと略される。
初版は1978年に出版され、C言語が標準化されるまでの間リファレンス的な扱いを受けていた。1988年の第2版ではANSIでの標準化を反映して大幅に変更されている。
日本語訳は初版・第2版と訳書訂正版とも石田晴久
例として掲載されている"hello, world"プログラムは、多くのプログラミング言語の入門書に影響を与えた。
ブライアン・カーニハン】
ブライアン・カーニハン (Brian Wilson Kernighan, 1942年1月 - ) は、ベル研究所に在籍していたカナダ出身の計算機科学者である。C言語UNIXの開発者であるデニス・リッチー、ケン・トンプソンと共に、C言語およびUNIXに対する多くの貢献で知られている。
デニス・リッチーと共著の『プログラミング言語 C』(通称:K&R)は、C言語の規格化が成されるまで事実上の規格書的な扱いを受けていた。現在でも古典的な教科書の一つである。
現在は、計算機科学部教授としてプリンストン大学に在籍している。
K&R
1978年に出版された、リッチーとカーニハンの共著である「The C Programming Language」(いわゆる「K&R」)は、その後標準化がなされるまで実質的なCのリファレンスとして使用された。しかし、「The C Programming Language」の記述にはいくつか曖昧な部分が存在していた。そのため、Cが普及するに従い、互換性のない処理系が数多く誕生することとなった。

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// C言語 最初のプログラム
#include <stdio.h>
void main(int argc, char **argv)
{
    printf("Hello, World!\n");
}

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Dennis Ritchie Google 検索
http://www.google.co.jp/images?sourceid=navclient&aq=hts&oq=&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=Dennis+Ritchie&oi=image_result_group&sa=X