じじぃの「人の死にざま_713_K・ベンツ」

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カール・ベンツ フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
カール・フリードリヒ・ベンツ(1844年11月25日-1929年4月4日)は、 ドイツの技術者である。ゴットリープ・ダイムラーと同時期に、世界で最初に実用的なガソリン動力の自動車を発明した。ダイムラー・ベンツ(ダイムラー)の創立者の一人でもあり、メルセデス・ベンツのブランドに名を残している。
1844年11月25日、ベンツはドイツ南西部にあるバーデン大公国のカールスルーエ・ミュールブルクで生まれた。ベンツは早いうちから工学技術に関心を抱いており、カールスルーエ工科大学に入学して機械工学や内燃機関について学んだ。大学卒業後は、様々な機械工場を転々としてエンジンの開発を目指していた。1872年、ベンツはベルタ・リンガーと結婚。
1870年代には機械工作所の設立に関わり、2サイクルエンジンの開発に取り組んでいた。1883年、ベンツはマンハイムでのちのダイムラー・ベンツの母体となるガス動力車両製作会社を設立。1886年には、4サイクルのガソリンエンジンを搭載した三輪の自動車の開発に成功した。この三輪車はパテント・モトールヴァーゲンと名付けられ、同年1月29日、この発明に対して帝国特許局からNo.37435の特許登録証が交付された。これは世界で最初の「ガソリンを動力とする車両」に対する特許であり、この日ははじめて乗用車が誕生した記念日とも言われている。奇しくも同じ年、ダイムラーもガソリン動力車両を発明していた。
1885年型ベンツ(パテント・モトールヴァーゲン)ベンツ社は、当初は三輪自動車を中心に開発していたが、しばらくして四輪車の研究に着手し、1890年代には実用的な四輪自動車を生産するようになった。ベンツ製のパテント・モトールヴァーゲンは、当時ダイムラーの後塵を拝していたものの、技術革新で追い上げ、ライバル関係になった。1926年、ベンツ社とダイムラー社は合併し、ダイムラー・ベンツ社となった。カール・ベンツは、合併成立のしばらく後、1929年に死去。

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『誰が本当の発明者か』 志村幸雄/著 ブルーバックス 2006年発行
自動車 ドイツ VS.フランスの意地の張り合い (一部抜粋しています)
自動車問題に詳しい英国人ジャーナリスト、ダグ・ナイは、その著『ベンツと自動車』(川上顕治郎訳)の書き出しで、「現在の私達は、自動車は発明されたものでないということを知っている。自動車は、豊かな全精神の産物のなかから『急にひとりでに生まれ出た』ものなのである」と意味深長に延べ、「しかし、すべてのものをまとめたのは1人の男、ドイツの技術者のカール・ベンツによってである」と続けている。
自動車の誕生がベンツの力に負うところが大きいとしても、あえて特定の人物による発明ではないというナイの指摘は、それなりに的を射たものである。何しろ「馬なし馬車」を夢見て考案された自動車の数は、3000種類とも4000種類ともいわれている。その中には、自動車に程遠いものや、1台だけ作られてそのまま消え去ったものも、数え切れないほどある。
自動車の発明が誰なのかについては、ドイツとフランスが争っている。ドイツ人はベンツが1885年に発明したと主張する。一方、蒸気自動車やガスエンジン自動車で先行したフランスは、自分たちが発明国だと主張して譲らない。
その背景には「自動車」の定義の曖昧さがある。自動車は「人工的な動力によって駆動する車」だが、その動力として、一般にはガスやガソリンに代表される内燃機関に限定して考えられている。しかし、自動車の発展史をひもとくと、外燃機関の蒸気エンジンを無視できない。意外なことに電気自動車の歴史も古く、1899年には時速100キロを実現している。
外燃機関というのは耳慣れないかもしれない。一般にエンジンは、ガソリンなどの燃料をシリンダーの中で燃やしてピストンを動かす。そこでこれを内燃機関とよぶ。これに対して蒸気機関は、シリンダーの外のボイラーで燃料を燃やし、それで発生した水蒸気をシリンダーに送りこんでピストンを動かす。そこで外燃機関とよぶのだ。
ドイツとフランスを公平に見て、いずれに軍配を上げればよいのだろうか。両国での自動車の歴史をたどりながら考えてみよう。
ドイツ人のベンツが自動車の発明者として後世に名を残したのは、ガソリンエンジン自動車を初めて開発し、しかもそれを実用的な車として育て上げたからである。
カール・ベンツは幼い頃に鉄道機関士だった父親を亡くし、母親の手1つで育てられた。だが幸い、父親からは機械への愛着心と洞察力を、母親からはひたむきな意思のの強さを受け継いだ。
ベンツが内燃機関に関心を持ったのは、カールスルーエ工業高等専門学校(政府援助の継続教育のための単科大学)時代である。内燃機関の研究に熱心な何人もの教師に出会い、「高騰専門学校エンジン」の製作にも、間接的ながら加わることができた。このエンジンは、当時開発が進んでいたガスエンジンだった。
工業高等専門学校で工学的な理論を身につけたベンツは、機械技術者として機械や製鉄関係の工場で実務経験を積む。とりわけ、この時代に発達した蒸気エンジンとガスエンジンには、利用者の立場で密接に関わり、その可能性や限界を、自分なりに把握することができた。
ベンツが石油を精製したガソリンの利用を思いついたのは、ある家での爆発事故がきっかけだった。容器に蓋をしないまま放置しておいたガソリンが気化して家中に充満し、大爆発を起した。この話を聞いたベンツは、人為的な爆発によってピストンを動かす内燃機関に、これほど適した燃料はないと直感した。それにガソリンを使えば、図体が大きいというガスエンジンの欠点も解消できる。
ベンツが初めて2サイクルのガソリンエンジンを完成したのは、マンハイムに最初の事業を興してから6年後の1878年のことである。特許局のミスもあって特許を認められるのに15ヵ月もかかったが、80年にはこのエンジンの生産に着手している。
さらにベンツは、80年代半ばに電気システムによる点火方式(マグネトー点火)を開発し、従来のホットチューブ式点火(シリンダー内に挿入したチューブを外部から熱する点火方式)より確実性や効率を大幅に改善している。
ガソリンエンジンは、最初、工作機械や小型発電機の動力用に使う据え置き型が発売されたが、その生産が軌道に乗ると、ベンツの関心は、待ちかまえたかのように自動車に向けられた。こうして1884年には、その後の自動車エンジンの主流になる4サイクルエンジンを生み出す。翌85年には、このガソリンエンジンを搭載した最初の自動車が完成した。
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原技術期は自動車の原型が誕生した時期で、いわば自動車前史に当たる時代である。その担い手は、あのレオナルド・ダ・ヴィンチであり、風力自動車のシモン・スティーヴンである。
次の旧技術期には、明らかに自動車とよべるものが登場する。蒸気エンジン、ガスエンジン自動車などで、いずれもフランス人技術者の創造によるものだった。これらは外燃・内燃機関を含めてエンジン自動車の歴史の最初の1ページを飾るもので、「自動車はフランス人の発明」という主張にも正当性を与えている。ただし実用性という観点からは初歩的で、その後の主流技術とはなり得なかったこともまた事実である。
さらに新技術期は、今日の実用的な自動車の技術基盤が築かれた時期を始まりとする。ドイツ人によるガソリンエンジン自動車の開発が、その口火をつけた。
注目すべきは、これらの自動車の発明国が当時の工業先進国の英国ではなく、欧州大陸に位置した国々だったことである。

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