じじぃの「人の生きざま_89_進藤・昭男」

進藤昭男 - あのひと検索 SPYSEE
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Welcome to ANA's Long-Haul (International) Boeing 787 Dreamliner. 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=G_mN1waur6A
炭素繊維の電気自動車を公開 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ysVSBRI24nQ
ボーイングB787ANAに引き渡し 2号機も公開 2011年9月26日 毎日jp
ボーイングは26日、シアトルで新世代の中型新旅客機「ボーイング787」の初号機を25日に全日空ANA)に引き渡したことを発表した。航空会社へのB787の引き渡しは世界初。
初号機は28日午前中に羽田へ到着する予定となっている。また、10月中旬に引き渡される予定の2号機を報道陣に公開した。
B787炭素繊維などの新素材や最新のコンピューター技術などを活用することで、従来型より燃費を2割向上させた新世代機。
ANAではB787による世界初の営業飛行を10月26日に成田−香港のチャーターフライトで行った後、同28、29日に成田発着の遊覧飛行を、30日に被災地の子どもたちを招待した復興応援フライトを行う。11月1日から羽田−広島、羽田−岡山線で定期航路に就航し、12月からは羽田−北京線で国際線にデビューする。
http://mainichi.jp/select/biz/news/20110926mog00m020009000c.html
進藤昭男 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
進藤昭男(しんどうあきお、1926年 - )は通商産業省工業技術院(現産業技術総合研究所)に在籍した炭素繊維研究者。1961年広島大学より理学博士を取得(博士論文タイトルは"Studies on graphite fibre")。日本化学会第25回化学技術賞受賞。
ポリアクリロニトリル(PAN)繊維を蒸し焼きにして生成する炭素繊維の発明者。1959年9月進藤博士が特許出願(アクリルニトリル合成高分子物より炭素製品を製造する方法)。1962年特許公告(特公昭37-4405号。関連する国内特許26件、海外特許7件)。1970年10社に実施受諾。
工業技術院(現産業技術総合研究所)では、1965年から1982年頃まで、進藤博士をリーダーとして、28社に技術指導を行った。
産業技術総合研究所経済産業省では、アクリル系炭素繊維が高温に耐え、強度に優れることの発見、国内特許(32件)、海外特許(10件)の取得、基本技術シーズの工業標準化(JIS)、企業に対する技術指導という発見から技術移転までの一連の流れを進藤モデルと名付け、公的研究機関の研究の理想的なあり方の一つと位置づけている。
現在、世界の構造部材用炭素繊維市場(3万トン)における日本企業の市場シェアは7割超となっている。

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『誰が本当の発明者か』 志村幸雄/著 ブルーバックス 2006年発行
炭素繊維 米国生まれで日本育ち (一部抜粋しています)
少し古い話になるが、『読売新聞』1996(平成8)年の1月8日付の紙面で「創造性立国への始動」と題した社説が掲載された。その冒頭には「炭素繊維は米国人が考案した。軽くて強いこの材料を、まず航空機に使いたいと彼らは考えた」と書かれている。
炭素繊維とは、読んで字のごとく、合成繊維などを高音で焼成して炭素状にした繊維。ある身より軽く、鉄より強い特性をを生かして、スポーツ用品から宇宙・航空用構造材に至るまで、幅広く利用されている。それが米国生まれなのだというのである。
すると読者からすぐさま反応があった。3日後のコラム「とれんど」乱で、中村政雄論説委員(当時)が「炭素繊維の発明者はだれ」と題して、次のように断っている。
炭素繊維の発明者は米国人だと書いたところ、「米国人ではなく、日本人だ」というお知らせを何人かの人から頂いた。通産省工業技術院大阪工業技術試験所の複合材料化学研究室長だった、進藤昭男さんだというのである。釣り竿やゴルフシャフト、航空機などに広く使われているアクリルニトリル系炭素繊維は、確かに進藤さんの発明である」
中村が書いているように、世界初の炭素繊維は、米国の化学会社ユニオン・カーバイトUCC)の子会社ナショナル・カーボン社が1959(昭和34)年に、レーヨンを焼いた製品として発表した。しかし、この炭素繊維は、米空軍研究所向けのロケット部品用などに一部納入されたものの、性能、価格面の問題が多く、大量需要にはつながらなかった。その欠点を補うようにして登場したのが、進藤のポリアクリルニトリル(PAN)系の炭素繊維である。
現在、工業化し実用されている炭素繊維には、石油や石炭のピッチ(残滓)を原料としたピッチ系も少量あるが、PAN系が市場の大半を占めている。読売新聞の読者が、炭素繊維の発明者は日本人だと思ったのには、こうした背景があった。
では進藤のPAN系の炭素繊維は、あくまでもアメリカ製の二番煎じなのだろうか?
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日本は材料王国だとよくいわれるが、炭素繊維も例外ではない。2005年時点の炭素繊維の世界市場は、重量ベースで2万トン強の規模に達しているが、その90%はPAN系が占め、その4分の3を東レ東邦テナックス三菱レイヨンの国内3社が占めている。中でも東レの占める割合が大きい。このように、日本がシェアを高めた理由は何か?
1つは、進藤によるPAN系の発明を後ろ盾にし、カーボンに強い日本カーボンや東海電極、繊維に強い東レや東邦レーヨン(現・東邦テナックス)などの企業が、世界に先立って本格生産に乗り出したことである。
とりわけ東レは、1969(昭和44)年、当時開発研究所所長の伊藤昌寿(後に社長、会長)をリーダーとした全社的プロジェクトを立ち上げ、200人を擁する研究体制を敷いている。そして、翌70(昭和45)年には自社の原糸技術とUCC焼成技術をクロスライセンス(特許交換)することにより生産に着手している。
第2に、今日、世界シェアの大半を握る国内3社が繊維(特にアクリル繊維)メーカーであるように、炭素繊維の生産に当たっては原糸技術への依存度が高いことにある。国内でいち早く参入した日本カーボンや東海カービンが早期撤退を余儀なくされたのも、繊維系企業の生産が拡大する中で、原糸の供給を繊維メーカーに頼る態勢では競争力を維持できなきなったからだ。もともとこの技術を発明した米国のUCCが、やがて生産中止に追い込まれたのも、同じ理由による。
第3に、炭素繊維の応用分野の本命は航空機産業にあったが、第二次大戦で敗戦国日本は航空機の生産が長らく禁止され、それ以後の生産でも遅れをとった。ところが、そのため逆に、釣竿、ゴルフシャフト、テニスラケットなどの民生用途で大量に使われる道が開かれたのである。
当時、東レ開発部門のリーダー的存在だった三井茂雄は、「この種の民生用途が参入間もなくの当社にとって文字通り”神風”になった。ゴルフシャフト1つとっても、年を追うごとに高性能のものが求められ、航空機用途などへのいいつなぎになった」と回顧している。
東レは1978(昭和53)年、米国ボーイング社向け航空機材料の認定メーカーとなって以来、この市場で着々実績を挙げてきた。現在では、次世代中型旅客機787(2008年就航予定)の一次構造用炭素繊維複合材料を、18年間にわたって供給する長期契約を結ぶまでになっている。

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