じじぃの「まず安いホンモノを提供し、その後で!ニセモノ師たち」

東山魁夷 Google 検索
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田中一村 Google 検索
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狷介(けんかい)とは コトバンク
頑固で自分の信じるところを固く守り、他人に心を開こうとしないこと。また、そのさま。片意地。

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『ニセモノ師たち』 中島誠之助/著 講談社 2001年発行
骨董道のあるべき姿 (一部抜粋しています)
お金を払う人が、人間を見分けられるかどうか、人間の真贋を見極める力量があるかどうか、それが骨董買いの重症なポイントだといいました。
これに関連したことを、明治維新の原動力の一人、坂本龍馬が厳しい言葉でいっています。
「人をおとしいれるには、まず利益を与え、のちに策をめぐらせば中人以下みな落ちるものなり」
まず最初に安いホンモノを提供し、あるいは本物で相手を儲けさせておいて、その他でそれを上回る高額のニセモノを提供すると、だいたいは落ちる、ひっかかる。それにひっかからないためには中人以上、すなわち上人にならなければいけない。そうなるためには人品卑しからず、無欲ということが必要とされるのだと思うんです。
儲かりますよといわれて買ったもので、儲かったためしはない。
儲かると思ってモノを買っても儲かったのは売った相手なんですよね。いつまでたっても儲かることはないし、そういうモノを買うということ自体が間違いなわけです。
本当の趣味というものは他人がなんといおうと自分の信念を通すことであり、自分の個性に合うとか自分が好きだというモノを無理してでも集めつづけていく。自分の求める世界を追求するという姿が、骨董に限らず、文学でも科学でも演劇の世界でも、あらゆる分野で重要なことだといえるのではないでしょうか。
そうして自分の好きなモノを集めたり仕事をやりつづけることが、たとえ誰も認めてくれる人がないまま世を去ることになっても、その人にとっては楽しい人生だったのであり、満足だし、後世になってそれを認めてくれる人がかならず出現するはずです。
1つの例として、2人の画家を挙げてみます。1人は奄美大島に渡り、「黒潮の画譜」と評された作品を描きつづけ、誰1人看取る人もなくなった田中一村(いっそん)。かたや、文化勲章の栄誉に輝いた東山魁夷。この2人の画家は日本画壇で「花の六年組」(東京美術学校昭和6年卒)といわれた同級生だったんですね。
現在の世の中における名声は、間違いなく東山魁夷にありますが、50年後、100年後の評価はどうなっているでしょうか。私は田中一村の作品が重要文化財に昇華していると思うのですが。
やはりあくまで自分の内なる声に忠実であり、人の意見には耳を傾けないほうがいい。
傾けないというのは「狷介にして人を入れず」ということではないんですよ。信念の強さということを私はいっているつもりなんです。

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どうでもいい、じじぃの日記。
先日、図書館のなかで本巡りをしていたら、『ニセモノ師たち』という本があった。
「ニセモノ師たち」か。書いているのはあの骨董鑑定団の中島誠之助さんだ。
パラパラ、本をめくったら、
「人をおとしいれるには、まず利益を与え、のちに策をめぐらせば中人以下みな落ちるものなり」
ふう〜ん。坂本龍馬がこんなことを言っていたのか。
「まず最初に安いホンモノを提供し、あるいは本物で相手を儲けさせておいて、その他でそれを上回る高額のニセモノを提供すると、だいたいは落ちる」
のだそうだ。
さらに、
「儲かりますよといわれて買ったもので、儲かったためしはない」
プロと言われる人は真贋を見極める力量のある人のことらしい。
人間にもホンモノとニセモノがいるんだ。
おれなんか、ずっとニセモノで生きてきたもんな。
ま。いいか、しょうがない。