じじぃの「人の生きざま_79_中島・誠之」

中島誠之助 - あのひと検索 SPYSEE
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開運なんでも鑑定団 青森出張大会その2 1997年 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=I6zlxmNBIOs&feature=related
開運! なんでも鑑定団 :テレビ東京
http://www.tv-tokyo.co.jp/kantei/kanteishi/nakajima.html
中島誠之助 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
中島誠之助(なかじませいのすけ、1938年3月5日 - )は、日本の骨董商・古美術鑑定家、エッセイスト、テレビタレント。骨董屋「からくさ」の店主。なお、「からくさ」は2000年に閉店し、店舗営業はしていない。
『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京)に鑑定団の鑑定士としてレギュラー出演。たとえ鑑定した結果価値の低い物であっても、意匠などを褒め「大事にしてください」と依頼者に語りかけるなど、細やかな心遣いを見せる。決めセリフの「いい仕事してますね」で1996年度の「ゆうもあ大賞」を受賞。この決めセリフは鑑定以外の様々な場面やゲスト出演時にリップサービスとして良く使われ、中島誠之助の代名詞と言える。
古伊万里磁器を世に広め、中島の鑑定によって「日本の古伊万里鑑定額の相場が決まる」といわれている。
陶磁研究家で戸栗美術館評議員の中島由美は娘。剣劇女優の浅香光代は遠縁の親類(ただし血の繋がりはない)。
【経歴】
東京都港区青山に生まれる。
東京の芝学園高等学校を経て日本大学獣医学部水産学科(当時)卒業後、当時は困難だった世界旅行をするため、マグロ漁船に乗り込む。その時稼いだ70万円(当時)は飲み代などで消えたらしい。
1960年から骨董商として古美術鑑定に従事。鑑定技術は骨董商だった伯父(養父)仕込みである。
「開運!なんでも鑑定団」に1994年4月19日の放送開始当初からレギュラー出演し、歯切れのよいトークで人気者となり現在も出演中。現在は、本業以外でもタレント業や講演等でも活躍。テレビなどに出演する際は和服姿であることが非常に多い。

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『ニセモノ師たち』 中島誠之助/著 講談社 2001年発行 (一部抜粋しています)
ニセモノも上手に操るのがプロ
さてここで、騙す、騙されるの具体的な話に入る前に申し上げたいことがあります。どんなジャンルの世界にもある、プロとアマの立場です。
骨董趣味は俳句などの世界と似ているところがあって、感性の世界ですから、自分の努力でもって上達できるし、審美眼を養う修練はいくらでもできます。自分の心を宇宙に遊ばせることにより、どんどん進化していく世界です。
ところが、どんな世界にもプロとアマがいます。この差はどこからくるのでしょうか。
プロは、その仕事で暮らしに糧(かて)を得ている。つまり、プロには暮らしを支えていくという苦しみがあり、アマチュアには苦しみがない。あっても支払いの苦労ぐらいで、楽しみがほとんどですね。
ここにプロとアマの厳然たる違いが存在し、ゆえにどこまでいってもプロとアマは平行線をたどるわけです。将棋でも碁でもしかり。
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翻(ひるがえ)っていうと、プロというものはニセモノもホンモノも両方がわかる。わかるということはプロの場合、ニセモノもホンモノも両方とも商売の材料にできるノウハウを持っていることです。ところが、アマチュアはホンモノしかわからないか、あるいはニセモノしかわからないという世界になります。
むろんホンモノ世界のアマチュアのなかだってニセモノがわかる人はいますが、あえてニセモノがわかる人はいますが、あえてニセモノに手を出す人はいない。ところがプロはそこのところがよくわかっていて、ニセモノとホンモノを二頭立て馬車の馬に仕立てて操ることができるのです。
だから、いつのまにかホンモノをニセモノにすり替えてしまう事件が、たびたび起こるわけです。
骨董道のあるべき姿
お金を払う人が、人間を見分けられるかどうか、人間の真贋を見極める力量があるかどうか、それが骨董買いの重症なポイントだといいました。
これに関連したことを、明治維新の原動力の一人、坂本龍馬が厳しい言葉でいっています。
「人をおとしいれるには、まず利益を与え、のちに策をめぐらせば中人以下みな落ちるものなり」
まず最初に安いホンモノを提供し、あるいは本物で相手を儲けさせておいて、その他でそれを上回る高額のニセモノを提供すると、だいたいは落ちる、ひっかかる。それにひっかからないためには中人以上、すなわち上人にならなければいけない。そうなるためには人品卑しからず、無欲ということが必要とされるのだと思うんです。
儲かりますよといわれて買ったもので、儲かったためしはない。
儲かると思ってモノを買っても儲かったのは売った相手なんですよね。いつまでたっても儲かることはないし、そういうモノを買うということ自体が間違いなわけです。
本当の趣味というものは他人がなんといおうと自分の信念を通すことであり、自分の個性に合うとか自分が好きだというモノを無理してでも集めつづけていく。自分の求める世界を追求するという姿が、骨董に限らず、文学でも科学でも演劇の世界でも、あらゆる分野で重要なことだといえるのではないでしょうか。
そうして自分の好きなモノを集めたり仕事をやりつづけることが、たとえ誰も認めてくれる人がないまま世を去ることになっても、その人にとっては楽しい人生だったのであり、満足だし、後世になってそれを認めてくれる人がかならず出現するはずです。
1つの例として、2人の画家を挙げてみます。1人は奄美大島に渡り、「黒潮の画譜」と評された作品を描きつづけ、誰1人看取る人もなくなった田中一村(いっそん)。かたや、文化勲章の栄誉に輝いた東山魁夷。この2人の画家は日本画壇で「花の六年組」(東京美術学校昭和6年卒)といわれた同級生だったんですね。
現在の世の中における名声は、間違いなく東山魁夷にありますが、50年後、100年後の評価はどうなっているでしょうか。私は田中一村の作品が重要文化財に昇華していると思うのですが。
やはりあくまで自分の内なる声に忠実であり、人の意見には耳を傾けないほうがいい。
傾けないというのは「狷介(けんかい)にして人を入れず」ということではないんですよ。信念の強さということを私はいっているつもりなんです。

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