じじぃの「人の死にざま_704_V・ホロヴィッツ」

ウラディミール・ホロヴィッツ - あのひと検索 SPYSEE
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Horowitz plays Chopin Ballade 1 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=XhnRIuGZ_dc
Horowitz plays Chopin Polonaise Op. 53 in A flat major 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=KZGi49Bnghs&feature=related
ウラディミール・ホロヴィッツ フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ウラディミール・サモイロヴィチ・ホロヴィッツ1903年10月1日-1989年11月5日)は、ウクライナ生まれのアメリカのピアニストである。義父(妻の父)は名指揮者として知られるアルトゥーロ・トスカニーニ
【生涯】
ホロヴィッツ自身は、ウクライナキエフで生まれたと主張していたが、隣のジトームィル州の小都市ベルディーチウで生まれたとする説が有力である。
幼少の頃よりアマチュアピアニストであった母から手ほどきを受け、1912年にキエフ音楽院に入学し、1919年に卒業。卒業時にはラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を演奏している。
アメリカデビューは1928年。同じくアメリカデビューを飾ることになっていたトーマス・ビーチャムの指揮でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏した。
1960年代から1970年代前半にかけてCBSにて意欲的に録音も行っており、この時期のショパンシューマンラフマニノフスカルラッティなどのCDは、現在でも最高の名盤の一つに数えられている。
1983年の初来日時には「ひび割れた骨董」と評されたが、伝記によれば処方薬の影響がかなり大きかったとされている。
指さばきの速さや難曲におけるミスタッチの少なさであれば、現代ではホロヴィッツ以上の技巧を持つピアニストは少なくない。しかしながら、一般の聴衆だけでなく実演に接したほとんどの評論家やピアニストも「ホロヴィッツの音は独特であった」と口を揃えて証言しており、ピアノを歌わせるという点で彼に比肩しうるピアニストを見出すことは困難である。

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『音楽という戯れ』 相沢啓三/著 三一書房 1991年発行
ポスト新時代 ●ホロヴィッツ来日 (一部抜粋しています)
ホロヴィッツの来演が突如発表され、最高5万円、平均4万円の切符が即日売り切れ、3週間さまざまなニュースを提供した挙句、わが国初のリサイタルがNHKホールで開かれ、その翌日の6月12日(1983年)にはもうわたしたちはテレビでその実況を見たのだった。
曲目はベートーヴェンイ長調ソナタ作品101、シューマンの「謝肉祭」、ショパンの「幻想ポロネーズ」その他で、78歳の巨匠は見た目にはすこやかでにこやかで、老残とはいえないが、その音楽は腐食し、空洞が生じて惨めたらしいものだった。
ベートーヴェンは索然たる演奏で、音域によって響きの違うピアノの調律がまずわたしには気に入らなかった。そして、まさか。信じられないことに時々変な音がたたき出されているのだった。「謝肉祭」では身の毛立つ思いがつのって、
――ああこれイヤな音。これもイヤ。うんうん、しばらくないね……。あ、これ駄目。
と、傍の者と一緒に数えていたが、玲瓏たるパッセージの間に、平然と気持ちの悪い音を出しうるピアノという楽器を呪いたくもなった。
休憩時間のインタビューで、ホロヴィッツを聴きに来たというだけでうわずっている人々には、わたしだって場合によってはどんな振る舞いを演じるかしれたものではなく、同情を覚えたのであるが、多分ご自分の財布を痛めなかったであろう大批評家が「ひびの入った骨董品ですね」とクールにおっしゃるのを聞くと、この方たちは事態を事前に指摘しておられたのだろうか、と頸を傾けたのである。
ホロヴィッツは50年前から超人的技巧をうたわれた大ピアニストだった。1939年あらえびす(野村胡堂)は『名曲決定版』に「新時代はこういう人を要求するだろう。曖昧模糊たる演奏で満足したのは、もはや過去のことになってしまった。芸術から明確な角々と、冷たい美しさを要求するのが、次の時代の好尚になることであろう」とホロヴィッツの将来を嘱目した。”新時代”はたしかにそうだった。その新時代が終わったとき、かれは爛熟することを許されず、蒼古たる前時代の遺物となるうる道もなく、部品がひとつひとつ腐朽脱落してゆく演奏機械としていまここにあるのだ。そしてかれをめぐる何かが狂っている。
ホロヴィッツのレコードでわたしが一番好きなのは、1953年に録音したクレメンティの3曲のソナタである。これは立派な仕事だった。

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