兼高かおる - あのひと検索 SPYSEE
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兼高かおる世界の旅 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=VcdXqivhrIk
JES初代会長、兼高かおるさんにインタビュー 日本エコツーリズム協会
https://www.facebook.com/video.php?v=2305765042477&video_source=pages_finch_main_video
兼高かおる ウィキペディア(Wikipedia)より
兼高かおる(かねたかかおる、本名:兼高ローズ、1928年2月29日 - )は兵庫県神戸市生まれのジャーナリスト・日本旅行作家協会長(ツーリストライター)である。香蘭女学校卒業後、ロサンゼルス市立大学に留学。その後ジャーナリストとしてジャパンタイムス等で活躍する。海外取材が多く、150ヵ国以上に渡航したことで知られる。
【経歴】
・1928年 兵庫県神戸市に生まれる。父親はインド人。香蘭女学校では黒柳徹子の先輩にあたる。
・1958年 スカンジナビア航空が主催した「世界早回り」に挑戦し、73時間9分35秒の新記録(当時)を樹立。
・1959年 この年より『兼高かおる世界の旅』(TBS)のレポーター、ナレーター、プロデューサー兼ディレクターを務める(〜1990年)。
・1985年 兵庫県津名郡津名町(現・淡路市)の淡路ワールドパーク内に兼高かおる旅の資料館が開館し、名誉館長に就任。
・1986年 横浜市の山下公園にある横浜人形の家館長に就任(2006年5月30日まで。後任は石坂浩二)。
【兼高かおる世界の旅】
『兼高かおる世界の旅』とは1959年12月13日から1990年9月30日にかけて30年10ヵ月の間、TBS系列で主に毎週日曜日朝に放映された紀行番組である。2007年5月6日からTBSチャンネルで再放送が開始された。
単に映像を放映するのではなく、兼高が芥川隆行に旅行の状況を語る、ナレーションや二人の会話がついていたのが特徴である。ただし『世界飛び歩き』時代は、芥川でなく別のTBSアナウンサーが、紹介する国の概要などをナレーションするなどその都度間に入り、それとは別に、兼高は旅先であったことなどの詳細をナレーションするという形で番組は進行していった。
海外旅行が高嶺の花だった時代、日曜日の朝、庶民にひと時の夢を提供し続けた番組とも言えよう。
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『語るには若すぎますが』 古舘謙二/編 河出書房 2003年発行
・兼高かおる(旅行家) 私は国際人ではなく「地球人」 日本も捨てたものではない (一部抜粋しています)
31年間続けたテレビ番組が終わってから12年が過ぎました。この間、訪れた国は南極や北極、映画『十戒』の舞台になったシナイ山なども含め、160ヵ国、飛行距離は地球180周分になります。
もっとも国の正確な数は、今ははっきりしません。というのは、時代とともに国境が変わり、国名も国の数も変ってきたからです。ソ連はすでに崩壊し、ユーゴスラビアも5つの国に別れました。
この間、数え切れないほどの多くの出会いがありましたが、改めて思うのは国境についてです。外国とは国境を越えたよその国のことを言いますが、その線引きが普遍的でないなら、何国人にこだわらなくてもいいのじゃないかと思うようになったのです。シュバイツァー博士の生地であるアルザスもドイツ領になったりフランス領になったりしました。
かって宇宙飛行士が「地球に国境線はなかった」と言いましたが、そのとおりです。私は自分を「地球人」と称しています。日本は明治以来、ことにこの数十年、「国際化」を進め「国際人」を育成しようと呪文のように唱えてきましたが、「国際人」とはどんな人のことをいうのでしょう。まず話す内容があって、外国語を話せれば確かに便利ですが、外国語が不得意でも意思疎通はできます。
私は40年前、スイスの国際孤児院を取材したことがあります。孤児たちの出身国は10数ヵ国に及び、チベットの子もいました。言葉も肌の色もさまざまなのに、けんかをし、仲良くし、助け合ってもいました。なぜだろうと考えたら、子どもたちは相手を「外国人」だと思っていないからだと気づきました。
「だめ」「ノー」「ニエット」と言葉は違っても、表情からだけでもニュアンスは伝わります。私が「国際人」という日本語に違和感を覚えるのは、この言葉に「外国人」「国境」という線引きを感じるからかもしれません。
アフリカももともと国境などなく、西欧人が入植してきて線を引きました。それは「先進国」の都合で分けたため、多くが直線的です。これらの国は、独立後も自分たちが引いたのではないラインに沿って統治しています。
国境には紛争の種が生じます。川を挟んで同じ種族が住んでいたのに川が国境になり、双方に政府ができ、やがて主義・主張が違って対立するようになると、それまで自由に川を行き来していたのが往来禁止となります。侵入を阻むため岸に地雷を埋め、それを知らない村人が踏み、死んだり足を失ったりしています。
ときの政府が国境に固辞するから紛争が起きるのです。固辞しなければ以前のように川を行き来でき、協力して地雷撤去作業にとりかかれるかもしれません。東西ドイツがそうであったように、国境とは人為的なもので、政府の考え方次第で危険地帯にもなるし、その危険を取り去ることもできます。
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誤解を恐れずに言えば、世界には自分の足ですっくと立てない国もあります。先進国の尺度で無理に独り立ちさせようとすると、歯車が合わない事態が起き、政治的対立や利権の争奪など殺伐とした状況が生まれることもあります。
急がせることもなく、その土地の風土と民族のテンポに合ったやり方に任せればよいのです。そして私たちは、「地球人」として彼らが必要とする範囲で、その国に手を差し伸べればいいのです。
どの国にも固有の文化があります。ワールドカップの日韓共催が決まってから、韓国の犬を食する習慣が欧米の反感を買いましたが、日本もエビや魚の生け作りが「生き物を苦しめながら食べている」と非難されることがあります。私も食べますが、外国人の前では食べません。固有の文化はあっても、相手を不愉快にさせるまでして押し通すものではないと思うからです。
文化には残すべきものと、時代とともに変っていくものがあります。いい、悪いでくくれる問題ではないということ、それを知ることこそ「地球人」になるために欠かせないことだと思います。そして何より、自分の国の歴史と文化をよく知り、他国と比較しながら自分の意見を持つことが大切です。
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北朝鮮やアルバニアなど行っていない国もありますが、それはほとんど政治的な理由からでした。1年の半分は海外で過ごしていましたし、可能なら月にも行きたいと思っていました。
それで断言できるのですが、日本人は優秀な民族です。教育が行き届き、手先も器用で勤勉な素質があります。この前もタクシーにカメラを忘れたとき、会社に電話を入れると出てきたので驚きました。運転手もそのあとのお客もとらなかった。残念ですが、多くの国ではこういう場合、めったに出てきません。
ただ、今の日本が長期不況に苦しみ、政治的にも経済的にも多くの問題を抱えているのも事実です。それは戦後、豊かになり、楽に慣れ過ぎて、日本人の本質が寝ているだけです。
私はテレビの仕事から離れ、淡路島の私の旅の資料館や31年間の資料整理を進めるかたわら、「横浜人形の家」の館長を務めています。横浜市民の人形コレクションの寄贈がきっかけで1986年にオープンし、現在138ヵ国のお人形が集まっています。
開館当時、日本は外国から工業一辺倒の国と思われていました。でも、日本には200〜300年前の美術品のようなお人形もあります。これだけの美の感覚、文化を持っていることを内外の多くの人に知ってほしいと思い、館長を引き受けました。毎年、ひなまつりにあわせて「ひな人形展」を開催しています。
小さな美しい世界をのぞきにいらっしゃいませんか。(注.2006年まで)
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兼高かおる Google 検索
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