じじぃの「人の死にざま_647_N・ボーア」

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textos cientifico Niels Henrik David Bohr 動画 YouTube
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STRUCTURE OF THE ATOM (PART 4) - THE BOHR MODEL 動画 YouTube
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ニールス・ボーア フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーア(1885年10月7日-1962年11月18日)は、デンマーク理論物理学者。量子論の育ての親として、前期量子論の展開を指導、量子力学の確立に大いに貢献した。
【生涯】
コペンハーゲンに生まれ、1903年コペンハーゲン大学に入学。1911年にイギリスへ留学、キャヴェンディッシュ研究所のジョゼフ・ジョン・トムソンのもとでの研究後、1911年にマンチェスター大学アーネスト・ラザフォードの元で原子模型の研究に着手した。コペンハーゲン大学に戻り、マックス・プランクの量子仮説をラザフォードの原子模型に適用して、1913年にボーアの原子模型を確立した。1921年コペンハーゲン理論物理学研究所(ニールス・ボーア研究所)を開き、外国から多くの物理学者を招いてコペンハーゲン学派を成することになる。原子物理学への貢献により1922年にノーベル物理学賞を受賞。
第二次世界大戦が始まり、ナチス・ドイツがヨーロッパでの侵略を始めると、ユダヤ人を母に持つボーアはイギリスを経由してアメリカに渡った。

1939年に発表されたボーアの原子核分裂の予想(ウラン同位元素235は分裂しやすい)は、原子爆弾開発への重要な理論根拠にされた。しかし、ボーアは軍拡競争を憂慮し、西側諸国にソ連も含めた原爆の管理及び使用に関する国際協定の締結に奔走したが、結局ボーアの願いは叶わなかった。

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『ワープする宇宙―5次元時空の謎を解く』 リサ ランドール/著、向山信治/翻訳、塩原通緒/翻訳 NHK出版 2007年発行
量子力学――不確かさの問題 (一部抜粋しています)
原子の電子軌道を説明するには、古典的な論法からの思い切った脱却が必要だった。この論理を突きつめたときに出てくる避けがたい結論は、古典物理学の穴をあらわにし、その穴を埋めるには量子力学を用いるしかなかった。まさにそのような革命的な見方を提出したのがニールス・ボーアである。彼はプランク量子化の概念を電子にも適用した。これもまた、前期量子論の重要な一部だった。
ボーアの結論は、電子はそれまで考えられていたような軌道にはいっさい移れず、彼の考えた公式に合致する半径の起動しかもちえない、というものだった。ボーアはまぐれ当たりともいえる独創的な推測から、そうした軌道を発見した。彼の量子化説は、のちに電子の動きから説明された。すなわち電子は波のように、上下に揺れながら原子核のまわりを回っているのである。
一般に、ある特定の波長をもつ波は、一定の距離のあいだに1回の上下運動をする。この距離が波長である。円を描く波も、やはりそれ自体の波長をもっている。この場合、波長はその波が原子核のまわりを回りながら1回上下するときの弧の長さということになる。一定の半径で軌道を描く電子は、どのような波長でももてるわけではなく、その波を一定の回数だけ上下させる波長しかもてない。つまり、可能な波長を定める規則があるわけだ。彼は、電子の軌道となる円のまわりを1周するあいだに整数回で上下しなければならないのである。
ボーアの提唱した仮説はきわめて大胆で、意味もわかりにくかったが、目的は果たしていた。これが事実なら、たしかに安定した電子軌道の説明がつく。ありえるのは特定の電子軌道だけで、その中間の軌道はありえないのだから。外部の力が働いて電子をある軌道から別の軌道へとジャンプさせないかぎり、電子は原子核のほうに近づきようがないのだ。
一定の電子軌道をもったボーアの原子モデルは、たとえて言うなら、2階、4階、6階と、偶数階にしか入れない高層ビルのようなものである。その中間の3階や5階には足を踏み込めないので、いま自分がいる偶数階に永遠に足止めされることになる。もちろん1回にたどりついて外に出ていくこともできない。
ボーアの波動説は、思いつきの仮定だった。ボーア自信、その意味をわかっているとは言っておらず、電子の安定した軌道を説明するためにこれを考えだしただけだった。にもかかわらず、その仮説の量子的な性質が検証を可能にした。とくに、ボーアの仮説は原子のスペクトル線を正しく予言していた。スペクトル線は、電離していない原子――電子をすべて備えた正味電荷ゼロの中性原子――が放射、吸収する光の振動数を示す。物理学者はスペクトルが連続的な分布(つまり、光の振動数がすべてそろっている分布)にならず、バーコードのような縞模様を示すことに気づいていた。しかし、その理由は誰にもわからなかった。さらに、そこに示される振動数がそのような値となる理由もわからなかった。
ボーアの量子仮説は、測定された振動数においてのみ光子が放射、吸収される理由を説明できた。電子軌道は孤立原子のまわりでは安定していたが、条件を満たす振動数の光子――つまりプランクの考えにしたがえば、条件を満たすエネルギーを持つ光子――がエネルギーを伝えたり奪ったりすると、その軌道が変わるのである。
ボーアは古典的な論法を使って、自分の考えた量子化の仮定にしたがう電子のエネルギーを計算した。そして、そのエネルギーから、電子を1個だけ含む水素原子が放射、吸収する光子のエネルギーを計算した。そして、そのエネルギーから、電子を1個だけ含む水素原子が放射、吸収する光子のエネルギーと、それにともなう振動数を予言した。ボーアの予言はたしかに正しかった。したがって、彼の考えた量子仮説もきわめて信憑性の高いものとなった。この点から、アインシュタインをはじめとする多くの研究者が、ボーアは正しいに違いないと確信するようになった。

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