じじぃの「人の生きざま_66_金・賢姫」

金賢姫 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E9%87%91%E8%B3%A2%E5%A7%AB/1989/
大韓航空機爆破23年目の真実_04 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Y1M4vW-BVx4&feature=related
大韓航空機爆破23年目の真実_05 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=WlKfkmAR7dc&feature=related
大韓航空機爆破23年目の真実_06 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=1mdQI8f21-A&feature=related
大韓航空機爆破23年目の真実_07 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=cmyIsDJVlDo&feature=related
大韓航空機爆破事件】金賢姫・元工作員の画像、写真 NAVER
http://matome.naver.jp/odai/2126473127589720701
金賢姫 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
金賢姫(キム・ヒョンヒ、1962年1月27日 - )は、大韓航空機爆破事件(1987年)を実行した朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)の元工作員。元死刑囚(後に特赦)。
【人物】
大韓航空機爆破事件を実行するため、「李恩恵」と呼ばれる女性(日本から拉致された田口八重子とみられている)に1981年7月から1983年3月まで東北里2階3号招待所で日本語教育を受け、「蜂谷 真由美(はちや まゆみ)」という名の日本人になりすました。
事件後に現地バーレーンの警察に捕まる直前、「蜂谷真一」という名の日本人になりすましていた共犯の金勝一(キム・スンイル)と共に煙草を吸うふりをして服毒自殺を図るが、金賢姫だけは一命を取りとめた。
日本語が堪能。北朝鮮李恩恵と一緒に暮らし、日本の文化や習慣、料理などを習得した。ちなみに、好きな歌手は山口百恵で、日本の民謡だけでなく山口百恵の曲も多く歌える。
拉致問題について「田口八重子は生きている」、「横田めぐみさんが自殺したとは考えられない」と発言している。

                              • -

文藝春秋 2010年1月号 昭和の肉声 いま蘇る時代の蠢動
昭和63年 私は100回死んでも当然です 金賢姫(キムヒヨンヒ) (一部抜粋しています)
昭和62年11月29日、バグダッドからソウルへ向かう大韓航空機が爆発。115名の命が失われた。実行犯は北朝鮮工作員。金勝一と25歳の金賢姫。逃亡中にバーレーン空港で訊問を受け、毒物入りタバコで金勝一は自殺。金賢姫は一命をとりとめ、逮捕された。
この事件を実行するため、金賢姫は20ヵ月にわたって「李恩恵」こと拉致被害者田口八重子さんと寝食をともにしながら日本語教育を受けていた。
バーレーンでは中国人だと自称して否認しつづけるが、12月15日に韓国に移送され、取調べの合間に美しいソウルの街を見せられたとき、「革命戦士」としての信念は崩れさった。
翌年1月15日、初めて記者たちの前に姿を現わした。
――どんなきっかけから心境の変化を起こしたのか。
「(北朝鮮を)離れた時から、こんどの事件の秘密を守ろう、と思っていました。親愛なる指導者同士の権威を守るために否認しました。 ところが、ソウル市内の景色や人民らの姿を見、さらにテレビを通じて多くの物を見ました。捜査官やその他の人々の話を通じて、私があそこ(北朝鮮)で考えていたものとは、あまりにも正反対の現実であることがわかるようになりました。それで、私があそこで欺かれて現在まで生きてきたことがわかりました。裏切られた感じがして、憤りを覚えました」
――現在の心境は?
「初め私は・・・・罪を犯した者として、こんどの事件で亡くなった方々とその家族が大きな衝撃を受けただろうとすまない気持ちで・・・・ここの人民の前に出て来る勇気がなくて、最初は記者会見をやめてくれるように言いました。ただ静かに死ねるようにして下さい。と言いました。そんな考えを捨てて私がここに出てくるようになったのは、車に乗って市内を通りながら、発展した姿と人民らの自由な表情を見、テレビを通じても多くのものを感じたからです。 私は罪を犯した者なので、100回死んでも当然です。しかし、このような真実を知った以上、事件の真相を明らかにするのが、亡くなった方々と家族の人たちに少しでも罪滅ぼしになる、と考えました。多くの罪のない人民らが犠牲になるような、暴力的で無意味な事件が2度と起きないことを望んでいるために、この席に出て来ました」