じじぃの「小笠原諸島・いのちの森と海・クジラとの出会い!CWニコルの旅」

登録から1年 世界遺産小笠原諸島から生中継 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=4gu4CuB-tZ4
小笠原母島のザトウクジラ 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=UiiPqtaM5vA
Heart of a Samurai book trailer 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ewVlHiIlOnw
小笠原諸島 Google 検索
http://www.google.co.jp/search?q=%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E8%AB%B8%E5%B3%B6&hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&prmd=ivnsm&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=A1z8TaqAHIyyuAOWpoWKAw&ved=0CE4QsAQ&biw=920&bih=540
おがさわら丸の25時間
http://zen.ms-n.com/ogamaru/ogamaru.htm
ボニンブルーの海へ(小笠原諸島)
http://4travel.jp/domestic/area/kanto/tokyo/izushoto/ogasawara/travelogue/10486131/
海 想−マッコウクジラ歯 スクリムシウ
http://www.kaisou.com/whalemuseum/scrim_shaw.html
『勇魚』 C・W・ニコル/著、村上博基/翻訳 文春文庫 1992年発行
紀州・太地は鯨取りの村である。将来の筆頭刃刺と目されながら較に片腕を奪われた失意の青年・甚助に、ある日ひとりの武士が声をかけた―。構想8年、若者の夢と野望を軸に西洋との出会いに揺れる幕末日本を描く傑作!世界8ヵ国同時刊行!
http://www.bunshun.co.jp/jicho/tokumu/tokumu01.htm
クジラの歌にも流行がある? オーストラリア研究 CNN.co.jp
http://www.cnn.co.jp/fringe/30002478.html
小笠原諸島 ウィキペディアWikipedia)より
小笠原諸島は、東京都特別区の南南東約1,000kmの太平洋上にある30余の島々である。日本の国土で、東京都小笠原村の区域と完全に一致する。総面積は104km2。南鳥島沖ノ鳥島を除いて伊豆・小笠原弧の一部をなす。
【歴史】
・19世紀になると欧米の捕鯨船が寄港するようになる。
1827年 - イギリスが領有を宣言。
1830年天保元年) - ラセニエル・セボレーら白人5人とハワイ人25人がハワイ・オアフ島から父島(奥村)に入植し、初めての移住民となる。
・1847年 - ジョン万次郎が米捕鯨船に乗って小笠原に来航。後年、今度は日本側官吏として小笠原にやってくることになる。
・1853年(嘉永6年) - アメリ東インド隊司令官ペリーが日本へ行く途中、沖縄を経て父島二見港に寄港。島民のために牛、羊、山羊や野菜の種子を与え、石炭補給所用の敷地を購入。
・1857年(安政4年) - ペリーが寄港してハワイからの移民を首長に任命した。
1862年文久元年) - 幕府は外国奉行水野忠徳らに命じアメリカから帰還したばかりの咸臨丸(艦長は小野友五郎)で小笠原に佐々倉桐太郎ら官吏を派遣、測量を行う。また、居住者に日本領土であること、先住者を保護することを呼びかけ同意を得る。同年6月(文久2年5月)駐日本の各国代表に小笠原諸島の領有権を通告。一行が小笠原諸島を巡視した際作成した小笠原島視察復命書に「島々の配置は、南北に連なり、あたかも家族のように並んでいるので、中央を父島群島、南を母島群島とし、北を聟島群島とする。」と記載され、これが父島、母島、聟島の由来にもなった。(文久2年)- 八丈島から38名の入植が開始される。
・1876年(明治9年)- 小笠原島の日本統治を各国に通告。(日本の領有が確定。)小笠原諸島内務省の管轄となる。日本人37名が父島に定住。内務省出張所設置。
・戦後 - サンフランシスコ講和条約によりアメリカ海軍の占領下に置かれた。
・1968年(昭和43年)- 日本に返還。東京都小笠原支庁設置。東京都小笠原村に属する。
【ザトウクジラ】
個体数の減少から1966年に商業捕鯨が禁止されている。
ザトウクジラは地域毎に集団を形成している。集団でまとまって移動し、集団間では交流がほとんどない。 北半球にも南半球にも存在する。夏は極の近くで主に捕食をし、冬は赤道迄は行かないが(北半球ならハワイや沖縄・小笠原あたりの)温かい海域迄移動し出産・繁殖・子育てをし、また春になるに連れ極の方に移動するという回遊生活を送っている。
ザトウクジラはブリーチングとよばれる大きなジャンプをする。何故ブリーチングをするか判っていない。寄生虫を落とす為、子供をシャチから守る威嚇の為、コミュニケーションの手段、単に楽しんでいるなど様々な説がある。

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首都圏スペシャル 「小笠原諸島 いのちの森と海」 2011年6月17日
【主演】作家 C・W・ニコル 【語り】森山春香 【朗読】小林清志
世界自然遺産に登録される見通しとなった小笠原諸島。東京から南へ1000キロ、太平洋上に浮かぶ亜熱帯の島々には独特の生き物が生息し、クジラの楽園としても知られてきた。旅人は作家のC・W・ニコルさん。クジラの専門家として知られるニコルさんがザトウクジラの群れに遭遇!! 小笠原にしかいない“ある生き物”を探して森にも入ります。
http://www.nhk.or.jp/shutoken/osusume/201163_5.html
どうでもいい、じじぃの日記。
6/17、NHK 首都圏スペシャルで「小笠原諸島 いのちの森と海」を観た。
こんなことを言っていた。
作家 C・W・ニコルさんの小笠原諸島の旅だ。
島々が点在する深い青色の海面をクジラがゆっくりと泳いでいる映像が出てきた。
ボニンブルーと呼ばれる神秘的な青をたたえた海。そこではクジラがゆうゆうと泳ぎ、イルカが楽しそうに飛び跳ねています。
小笠原諸島。東京の都心から南へ1000キロ。太平洋に浮かぶ楽園の島です。北赤道海流が流れ込む透明で暖かい海が育む色彩鮮やかな魚たちです。島を取り巻く周りのサンゴ礁で色や模様を競い合っています。
父島の山に森が広がっている映像が出てきた。
森もまた、ここにしかいない生き物で満ち溢れています。海によって隔てられた小さな島で、独自の進化を遂げた植物や動物たち。遠く離れたこの島にどのように辿りつき、根づいていったのか。人の手が入れば壊れかねない微妙なバランスの中で、命が受け継がれています。
船のへさきから、小笠原の景色を眺めている白ヒゲの大きな男が映像が出てきた。
小笠原を旅するのはC・W・ニコルさん。30年前からこの島に恋こがれていたといいます。300年も前から世界の注目を集めていたこの島には、国家の狭間で揺れた歴史のドラマがありました。
ニコルさん、「この小笠原、アメリ捕鯨と日本が出会う原点だったんです」
クジラが集まる地上の楽園、小笠原。今、この島の森や海の生き物たちは私たちに様々なメッセージを投げかけています。
海の中でクジラが仲間たちと一緒に歌を歌いながら泳いでいる映像が出てきた。
今日はこの島から聞こえる声に耳を傾けてみましよう。
小笠原諸島 いのちの森と海
東京の港を出てから一昼夜。ようやく島影が見えてきました。英国出身の作家 C・W・ニコルさん。自然を守る活動で知られるニコルさんはクジラの専門家でもあります。22歳の時に日本を訪れてから、まもなく50年。意外にも小笠原諸島への旅は初めてなのです。
ニコルさん、(にこにこした顔で)「私は昭和37年から日本に来て、まあ、世界をまわっていますけけど、日本の島では北海道の利尻島から南は慶良間諸島まで、だいたい行っています。でも僕にとって小笠原は初めてです。30年前から捕鯨の歴史をずっと勉強してからも、小笠原は私にとっても特別な所です。僕は70歳になりましたけれども、まあ日本人になって16年ですが、今日は私は16歳です。すごく、うれしい。胸がいっぱいです。ここも日本です。東京です。へへへ」
25時間の長い船旅。定期船小笠原丸はようやく辿り着いたのは小笠原諸島最大の島、父島です。気候は亜熱帯。ここもまた東京都です。
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小笠原父島に着いて、海岸の岸壁をゆっくり歩くニコルさん。
ニコルさん、「僕が小笠原で何よりも見たかったのは、やっぱり、クジラでした」
観光用の小型の船に乗り込んで、ホエールウオッチングの案内をしてくれる夫婦にあるものを見せようとしている。
案内の女性、(クジラの歯を手に取って)「わあ。重いですね」
「スクリムシウ」と呼ばれる彫刻を施したクジラの歯です。19世紀、欧米の捕鯨船の乗組員たちが、家族のみやげに彫ったものです。当時の捕鯨が描かれています。
この島には秋から初冬にかけて、ザトウクジラが毎年やってきます。
ニコルさん、(クジラを指さして)「おお、すごいすごい。20メーター。親子連れですね。おお」
シーズンに姿を見せるザトウクジラはおよそ1000頭。夏の間、北の海で豊富なエサを食べて体力をつけ、冬になると暖かいこの海に来て、子どもを育てるのです。島ではむやみと追いかけない、近づかないなどルールが定めています。しかし、時には好奇心旺盛なクジラが寄ってくることも。なぜ、太平洋の真っただ中に浮かぶこの島にたくさんのクジラたちがやってくるのでしょうか。これはシャチなどの天敵が少ないため、子どもを育てやすいのではないかと考えられています。
ニコルさんは小笠原がこうしたクジラの楽園であったことが、日本に影響を与えたといいます。
ニコルさん、「日本のクジラ捕りと初めて出会ったのは1965年。カナダの沿岸捕鯨で日本の捕鯨船に乗った。その後で何回も。捕鯨に参加してオブザーバーとして。そして、この本を書きました」
ニコルさんが船上で『勇魚』という本をバッグから取り出した。
ニコルさん、「これは勇ましい魚。いさなと呼びます。これは幕末の話です。長い間鎖国した日本はどうして幕府が倒れて、開けたかという原因は捕鯨でした。この小笠原はアメリ捕鯨と日本が出会う原点だったんです」
日本とアメリカの歴史に深くかかわったという小笠原の捕鯨。ニコルさんが今回の旅でぜひ見ておきたい場所がありました。父島の北、兄島です。かって日本の捕鯨基地がありました。
      ・ (兄島の捕鯨基地を見てまわる。島の人々との触れ合いなどがある)
ニコルさん、「小笠原諸島は本当に美しいです。景色もきれいだし、海も本当に美しい。何となく平和な島だなと思っています。だけど不思議な歴史だなあ。200年近くアメリカと日本の間にある島ですね。もともと日本の島ですけど。日本の国籍を取ってもうすぐ17年になりますが、この島に来ていろんな人に会って、外人という言葉を1回も聞いていないです。他の日本では必ず2日ぐらいで外人はどうのこうの言われます。だからこの小笠原は本当に日本の中の国連の島だと思います」
ニコルさんを乗せた船がまた、海に向かっている映像が出てきた。
ニコルさん、「旅の終りに、僕はクジラに別れを告げに来ました。この島に誘ってくれたことのお礼を言いたかったのです」
ニコルさん、「あ、いたいた。いるいる。ゆうゆうと」
船上で歌を歌い始める。
 「さらば ターワテイー さらば丘と谷
  美しきクリモンの地上 別れの時は来た
  いざ船出だ グリーランドを目指し
  ひと山当てよう 鯨を追って」
ニコルさんの頬に涙が流れた。

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じじぃの感想
クジラに思いを寄せるのは、なぜなのだろうか。
クジラと私たちとは最近まで同じだったという記憶があるような気がする・・・。