じじぃの「人の生きざま_51_小椋・佳」

小椋佳 - あのひと検索 SPYSEE
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めまい - 小椋佳 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=NLsL9eUKLRQ
俺たちの旅中村雅俊小椋佳 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ubw82mltDgc
小椋佳 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
小椋佳おぐらけい、本名: 神田紘爾(かんだこうじ)、1944年1月18日 - )は、シンガーソングライター、作詞家、作曲家。
【人物】
東京都台東区上野出身。両親は飲食店を経営。東京都立上野高等学校、東京大学法学部卒業後、日本勧業銀行(後の第一勧業銀行、現: みずほ銀行)に入行。大学、日本勧業銀行の同期には後に第一勧銀最後の頭取となる杉田力之がいた。銀行マンとして証券部証券企画次長、浜松支店長、本店財務サービス部長などを歴任する傍らで音楽活動も行ってきた。1993年、第一勧業銀行を退職し東京大学文学部哲学科に学士入学。歌手活動と並行して6年間にわたり学業に励む。
「さらば青春」、「俺たちの旅」など当初はフォークソングの作り手の一人とみられていたが、年を経るに従って分野の枠を越え、美空ひばりの「愛燦燦」、布施明の「シクラメンのかほり」、アニメーション『銀河英雄伝説』のエンディング曲など、他歌手への作品提供も多く、学校の校歌や市歌なども数多く手掛けている。 地方関連で特に目を引くのは、浜松支店勤務の際、地元の要請に応えて「やら舞歌」(「やらまいか」とは遠州弁で「やってみよう」の意味)を作ったことで、これは今も浜松まつりなど浜松市のイベントで使われ続けている。銀行退職後も、2005年には同市の菓子製造会社(第一勧銀浜松支店の取引先と推定される)の菓子CMソング「うなぎのじゅもん」を作っている。
現在は創作活動の傍ら、オーケストラ規模のコンサートの他、自ら「歌談の会」と名付けたミニコンサートで活躍中。薩摩琵琶や津軽三味線などの伝統楽器とのコラボレーションや、1987年から弟の神田富雄とともに続けてきたアルゴミュージカル、邦楽系の演奏家をも含む総合的歌唱舞台「歌綴り」なども手がけている。
長男・神田知秀は小椋のマネジメント会社である株式会社ゴツド・フイールド・エンタープライズ代表取締役。次男・神田宏司は、国内でも数少ない琵琶製作者である。

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小椋佳五輪真弓 2007年11月28日 NHK
今秋、五輪真弓がおよそ12年ぶりに発表したアルバムの中で「愛燦燦」を歌うにあたり、この歌の作者である小椋佳がコーラスで参加しました。ともに70年代初頭に音楽活動をスタートし、それぞれの音楽世界を築き上げた二人ですが、本格的な共演は今回のレコーディングが初めて。番組でも、同曲をデュエットで披露するほか、音楽家として同時代を生きてきた二人が対談。「歌と言葉にこめる想い」など、幅広く語り合います。
http://www.nhk.or.jp/songs/archive/071128.html
産経新聞』 音楽中心だが「また哲学学びたい」 シンガー・ソングライター小椋佳さん 2010年12月5日 Yahoo!ニュース (一部抜粋しています)
エリート銀行員と、シンガー・ソングライター。四半世紀にわたり、サラリーマンの仕事と創作活動を両立してきた小椋佳さん(66)は、50歳を目前に銀行員の肩書をはずします。「人間とは何か」。第二の人生に向かって背中を押したのは、そんな哲学的な思いでした。
■哲学で生き方を追求
退社後にすることは決めていた。大学への復学。「人はどう生きるべきか。若い日にやり残した哲学をきちんと学びたい」。平成5年秋に退社し、翌春には母校の東大法学部に学士入学。さらに文学部に進み、大学院でも哲学を修めた。
そもそもサラリーマンになったのは「人間観察」のため。哲学も「人間とは何か」を追求するもの。結局、復学を決意させたのは、「人間」そのものへの人一倍強い好奇心だったといってもいいだろう。
哲学を学び直したことは、作詞にも影響を与えた。それまでは、あえてあいまいな表現を使うことで詞の魅力を引き出すことがあったが、「それが許せなくなった。言葉遣いが厳密になった」。
いま生活の中心となっているのは、青春時代から続けてきた音楽だ。9年前に胃がんの手術を受けて1ヵ月休養したが、すぐに活動を再開し、精力的にライブを開催している。その音楽だが、70歳を節目に引退を考えることもあるという。
なぜなんでしょう?不思議な思いで聞いていると、「難しいと思うけど、大学で、また哲学を学びたい気持ちもあってね」。
人間とは−。この問いが、小椋さんの生涯にわたるテーマであり、生きるチカラになっている。
−−平成13年に57歳で胃がんの手術を受けました。家族から病名を聞かされていなかったそうですね
「たまたま見た入院の手続き書類の入院事由に胃がんと書いてあって、知ったんです。死というのは、突然、くるんだって思った。でも、早期発見だったので、回復は早かった」
−−手術後はずいぶん、やせられました
「肉体的にはよくなった。糖尿病がひどかったけれど、胃を(4分の3ほど)切ったから食べられなくなり、83キロから57キロに体重が落ちました。今は63キロぐらい。それで糖尿病が治っちゃった。胃腸は不調で不便ですが、がんのおかげで長生きしているんです」
−−音楽活動に支障がありますか
「公演の3〜4時間前からは一切口に入れません。歌っているときに胃がおかしくなると怖いので。一時期、声が思うように出ませんでしたが、もう大丈夫です」
小椋佳 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E5%B0%8F%E6%A4%8B%E4%BD%B3&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=mkv7TNzuFobnrAeVscG7CA&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=9&ved=0CFwQsAQwCA