じじぃの「人の死にざま_379_O・ウェルズ」

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ニッカウィスキー G&G CM オーソンウェルズ Orson Welles 動画 YouTube
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第三の男 ニコニコ動画
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オーソン・ウェルズ フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
オーソン・ウェルズはハリウッドを代表する映画監督、脚本家、俳優である。
【経歴】
オーソン・ウェルズは1915年5月6日にウィスコンシン州ケノーシャで生まれた。子供時代の彼は詩、漫画、演劇に才能を発揮する天才児であったが、傍若無人な性格で周りとの人間関係に問題があった。母は彼が9歳の時に亡くなり、父は発明に没頭するアルコール依存症の奇人で、祖母は神経質でオカルトと魔術に耽溺しておりウェルズとは嫌いあう仲であった。
1938年夏から、マーキュリー劇場はアメリCBSラジオにも出演し、小説や演劇を斬新な形式で短編ドラマ化した番組を毎週演ずることになったが大衆の反応は今ひとつだった。しかし10月30日にH.G.ウェルズSF小説宇宙戦争』の翻案、『火星人襲来』を放送する際、舞台を現代アメリカに変え、ヒンデンブルク号炎上の時を思い出させるような臨時ニュースで始め、以後もウェルズ演じる目撃者による回想を元にしたドキュメンタリー形式のドラマにするなど、前例のない構成や演出と迫真の演技で放送を行った。その結果、聴取者に本物のニュースと間違われ、パニックを引き起こした。
【晩年】
演技力だけでなく、脚本における含みを持たせた表現はウィットに富んだものと定評があり、俳優として出演した場合も、自分の台詞は自分で書いた。特に『第三の男』で演じたハリー・ライム役と彼の「ボルジア家の圧制はルネサンスを生んだが、スイスの同胞愛、そして500年の平和と民主主義は何を生んだ?……鳩時計だとさ」という台詞は有名。また、チャーリー・チャップリンの監督・主演で映画化された『殺人狂時代』の「一人の殺人は犯罪者を生み、戦争での百万の殺人は英雄を生む。数が(殺人を)神聖化するのだ」という台詞はウェルズが考え出したものだという説もある。
1985年10月10日、ハリウッドの自宅で糖尿病と心臓発作のため70歳で死去。
【火星人襲来】
ラジオドラマとして放送された『火星人襲来』が全米で聴衆にパニックを引き起こした、と言われる。聴取者に比してあまりにも反響のみが大きく、この事件が元でフィクションを放送する場合に一定の規制をかける法律が制定された。しかし、近年の研究では、社会パニックなどどこにも起きていないにもかかわらず、当時の新メディアであったラジオを恐れる新聞各社が、出典不明の試算記事によってラジオ規制のきっかけとするために大騒ぎしたことによる、と理解されている。
そのラジオドラマは、1938年10月30日に、アメリカのCBSネットワークにおける「マーキュリー劇場」という番組で放送された。宇宙人が地球(アメリカ)に攻めてきたという内容である。現場からの報告など、実際のニュース放送のような形で放送された。そのため、多くの市民が現実に起きている出来事と勘違いし、パニックを引き起こした、とされているのである。しかも、その作品をプロデュースしたのはオーソン・ウェルズであった。
【第三の男】
出演者 オーソン・ウェルズ
作中のハリー・ライムによる台詞、「スイスの同胞愛、そして500年の平和と民主主義はいったい何をもたらした? 鳩時計だよ」は、グリーンが執筆した脚本の草稿には存在せず、ライム役を演じたオーソン・ウェルズの提案によるものである。セルズニックは当初ウェルズの起用に反対していたが、最終的にウェルズを強く推薦する監督のキャロル・リードに同意せざるを得なかった。ウェルズの起用は結果的に正解だったとされるが、撮影中ウェルズは様々なトラブル(ウェルズがウィーンに到着するのが遅れたために仕方なく彼の代役を立てて撮影したこと、映画のクライマックスである下水道での追跡シーンに出演するのを拒否したことなど)を引き起こしスタッフを悩ませた。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
オーソン・ウェルズ (1915-1985) 70歳で死亡。 (一部抜粋しています)
1980年「キネマ旬報」(12月下旬号)がえらんだ「外国映画史上・ベストテン」の第3位が、彼の主演した「第3の男」で第4位が彼の監督主演した「市民ケーン」である。(ちなみに第1位は「天井桟敷の人々」)
ラジオドラマ『火星人襲来』で全米をパニックにおとしいれたのが1938年、彼が23歳のとき。上記の「市民ケーン」が1941年、26歳のときである。
このころに得た怪物的天才・神秘的名優の名は伝説的な栄光となって彼を一生食わせたが、一方で彼自身を縛りつけて、いつまでも怪物的天才。神秘的名優としてふるまおうとした。そのためかハリウッドと合わず、生涯ヨーロッパや中南米での仕事が多かった。強烈なエゴイズムのゆえか3人の妻とも次々に離婚し−−その中には女優リタ・ヘイワースもいた−−晩年はさびしい独り暮らしだった。
それでも1983年のカンヌ映画祭で賞を与える役目で舞台に登場したオーソン・ウェルズには、受賞者(日本の「樽山節考」の今村昌平たち)よりも大きな拍手が送られた。
しかしこのころ彼は140キロに肥満し、糖尿病に苦しんでいた。その後1年間に23キロも減量したのがたたったのか、1985年10月10日朝、ハリウッドの自宅のベッドで、バスロープ姿でひとり息絶えているのが、運転手によって発見された。糖尿病による心臓発作を起こしたのであった。
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「生はやがて終るからこそ、人間は生をエンジョイするのである。死こそ生の最高の味付けだ」
                              −−オーソン・ウェルズ−−

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