じじぃの「人の死にざま_271_J・ギャバン」

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Jean Gabin - Maintenant Je Sais 動画 YouTube
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Jean Gabin - Je Sais 動画 YouTube
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ジャン・ギャバン フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ジャン・ギャバンはフランスの映画俳優。歌手としても活躍した。往時のフランス映画を代表する名優で、一癖も二癖もあるならず者やお尋ね者を得意とし、ギャング映画に数多く出演。深みのある演技と渋い容貌で絶大な人気を得た。

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『20世紀命日大事典』 蕪木和夫/著 風塵社 1999年発行
11月15日−ジャン・ギャバン (フランス俳優)
映画の顔といってもいい名優だ。ミュージックホールの芸人を父に、シャンソン歌手を母に持ったギャバンは1937年『だれにもチャンスがある』という作品で映画デビュー。
その後も『白き処女地』(1934)、『地の果てを行く』(1935)に出演。そして史上に残る名作『望郷』ペペル・モコに扮し、彼の名前は永遠となった。
新星アラン・ドロンが台頭してくるとギャバンは静かにスクリーンから姿を消すようになったが彼は終始、国営のフランスTVには自由がないと出演を拒んできた。一俳優の意地としてジャン・ギャバンが示したその姿勢を私は評価したいと思っている。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
ジャン・ギャバン (1904-1976) 72歳で死亡。
戦前では『地の果てを行く』『望郷』『霧の波止場』『現金(ゲンナマ)に手を出すな』等で日本にも多数のファンを持ったフランス映画の名優ジャン・ギャバンは、60歳を過ぎたころから高血圧のため、妻にはもう仕事をやめたら、といわれながら、死ぬ前年まで映画に出た。「稼がなければ税金が払えないから」と彼はいったが、ギャバンは金も芝居も大好きな男だった。
1976年11月10日、彼はもらったばかりのレジオン・ドヌール勲章の記念パーティを予定していて、その日に心臓発作を起こしてベッドについた。彼のレジオン・ドヌールは四等で、日本の芸能人が常に勲四等をもらうのと符節を合している。
ギャバンは13日にヌイイーにあるアメリカ病院に入院して、アイゼンハウアー病棟270号室にいれられたが、15日午前4時20分に息をひきとった。それは前年にギリシャの大富豪オナシスが死んだのと同じ部屋だった。
この日、フランス国営放送は、「すべてのフランス人にとって悲しい知らせです」とトップで放送、彼の死をたしかめ合うためにフランス中の電話が鳴った。
11月19日、彼の遺骨は、ジスカール・デスタン大統領の特別措置で、フランス海軍の軍艦で運ばれ、大西洋に水葬礼された。このとき大統領は「フランス大統領に恥をかかせるような二等兵曹は、もう二度と現れないだろうね」と笑った。
ギャバン第一次大戦のとき二等兵曹として召集された。そして死の前年、ジスカール・デスタン大統領がエリゼ宮の宴会いに招待したとき、都合が悪いといって出席をことわった男だったからである。
「俳優はしょせん道化者だよ」というのが彼の辞退の弁であったが、じつは高すぎる税金に腹をたてての肘鉄(ひじてつ)だったといわれる。

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